黒髪のあの娘

 

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第5話

 
 亜美、うさぎ、そして美奈子の三人組は、麻布十番体育館の
弓道場に集まった多くの観衆に混じって、並んで座っていた。
 初夏のこの日、弓道場のオープニングセレモニーとして、こ
の古武術を身につけた中高生による演武が行われていたのだ。

 しんと静まりかえった空気が場内に張りつめ、聞こえるのは
弓弦の音と、空を裂いて飛ぶ矢の音と、その矢が的に命中する
音と、そして時折湧き起こる観客の拍手だけだった。だが、そ
んな弓道場の静寂の中にも例外は存在したのだった。

 うさぎは退屈そうに椅子の上でグタッとなってしまい、最初
はパリッとしていた花柄の白いブラウスもすっかりしわになっ
てしまっていた。その上に、今日はちょっときつめのデニムの
ショーツと安手のスニーカーなんぞを穿いてきてしまったのが
大失敗だった。

「ねえ、まだなのお?」
 もう待ちくたびれたというウンザリ顔もあらわに、愚痴るう
さぎ。
「三角関数の勉強の方がマシだよ〜」

「何回聞けば気が済むのよ。まだよ」
 オレンジの服を着た美奈子も、タメイキをついた。うさぎを
一瞥し、愛くるしいブロンド少女は友人の椅子をストラップの
サンダルを履いた足でコツンと蹴った。その一撃に、うさぎは
すぐ身を起こした。

「ちょっと、やめてよっ」
 美奈子を怒鳴るうさぎ。

 真面目に見ている観客からたちまちシーッという声が浴びせ
かけられた。

 口を手で覆ってクスクス笑う美奈子。
「ゴメンゴメン、つい反射的にね」

 ふと見ると、亜美は弓道の試技をビデオ撮影している真っ最
中だった。
「ねえ亜美ちゃん、そんなに弓道に興味があったっけ?」
 美奈子が言った。

 小ぎれいなニットの青いブラウス、膝上の黒のスカート、ス
リップオンの革靴といったいでたちの亜美は、小型ビデオカメ
ラを膝に置いた。
「まあ、そういうわけじゃないけど。今度のプロジェクトのた
めに弓道のスキルを分析したくて」

 うさぎが椅子でもぞもぞしている一方、美奈子は天才少女を
訝しそうに見つめた。
「へえ、まさか伝説の無敵弓術を復活させるとか?」 
 からかう美奈子。

「あ、そっか!」
 うさぎが大真面目な顔で頷く。
「てことは、世界征服のために百発百中の弓矢をもった殺人ロ
ボット兵団を開発しようって腹ね!」

 亜美は親友たちを無言のまましばらく凝視したが、やがてヤ
レヤレと首を振ってため息をついた。
「天才的な作戦でしょ」

 二人のブロンド少女は顔面蒼白になって天才少女から思わず
身を引いた。

 顔にニヤリと笑みを浮かばせ、亜美はまた撮影を再開した。
「やあね、二人とも。うちの家の防犯システム強化にデータを
応用したいだけよ」

 美奈子はヤレヤレと目を回し、額に手を当てた。
「うさぎちゃんの妄想よりはまだマシだろうけど」

 そうして三人は弓道の試技を無言で見守り続けた。亜美がす
っかり落ち着いたのを見計らって、うさぎが意を決して沈黙を
破った。

「ところでさ、最近レイちゃんとはうまくいってるの?」
 美奈子の脇腹をちょんちょんと肘でつつきながら、うさぎが
聞いた。

 その問いかけに、美奈子の顔がパッと明るくなった。
「よくぞ訊いてくれましたっ。あのね、いい感じなのっ!」
 少女は両手で頬を押さえ、目をキラキラさせた。
「レイちゃんやっとわたしのこと、バカブロンド女じゃなくて
『愛野さん』って呼んでくれるようになったの」

 亜美が撮影を中断して、美奈子の言葉に振り向いた。
「それで…?」

「それでって、何が?」
 美奈子が訊き返す。

「美奈ちゃん、他には?」
 天才少女の問いかけを補足するうさぎ。

 美奈子はニッコリしたまま首を振った。
「何にも」

 うさぎと亜美は信じられないとばかりに唖然として親友を見
つめた。
「そんだけ?」
 確認するうさぎ。

「そんだけ」
 美奈子が言い切った。
「だって、何か問題ある?」

 亜美は弓道のビデオ撮影に戻った。
「美奈子ちゃん、自分の使える時間を全て費やして、春休みも
潰して、二ヶ月も火野さんのところでバイトしたんでしょ」
 天才少女が素っ気なく言った。

 美奈子は顔をポッと赤らめた。
「そうよ?」
 美奈子は椅子の上で身もだえするようにジタバタした。
「レイちゃんて、ちょっと古風だから」

「やれやれ、のぼせちゃってぇ〜」
 うさぎがヘンな節を付けてからかうように言った。

「なによお」
 美奈子がうさぎに向き直ってムッとした。
「時間をたっぷりかけて、レイちゃんのことをよく知ろうとし
たから、ハートをつかむのが後回しになってるだけだもん」

 ブロンド少女たちの声が道場に響いて邪魔だ、という見物人
の言葉を耳にして亜美が、恐縮して俯いた。
「あのね、美奈子ちゃん、うさぎちゃんも、ちょっと静かにし
てね」
 天才少女がたしなめた。

「あ、そっか、ごめんね亜美ちゃん」
 天才少女の言葉にハッと悟って、うさぎが声を潜めた。それ
から美奈子に顔を戻した。
「それで、美奈子ちゃんの『イケてる巫女さん』についてもっ
と何かわかったことはないの?」

「そうねえ…ええと…」
 火のような気性のあの少女について深く理解したということ
を意味する情報を何とか脳裏から掻き出そうとした美奈子は、
ふとその口元にニヤリと笑みを浮かべた。

「触るととってもぷにぷになの」

 ビデオカメラのタッチスクリーンを突っつきながら、亜美が
声を殺して言った。
「そんなことどうやってわかるったのかしらね。身の回り2メ
ートル以内に近づいただけで怒鳴られてたくせに」

 天才少女のツッコミにたじろいだ美奈子だったが、すぐに詮
索好きな目で応戦した。
「あら、亜美ちゃんこそそんなゴシップに興味津々だなんて」

 天才少女はコホンと咳払いしただけで、すぐに無言のままビ
デオ撮影の方に戻った。

「そ、それと、レイちゃんって応急手当とかにもすごく詳しく
てね」
 美奈子は自慢話を続け、今度は口を手で覆ってクスクス笑い
を押し殺したのがいかにも鼻高々だった。
「それにね、めちゃめちゃきれい好きなの」

 うさぎは眉をひそめて肩をすくめた。
「ええと…それって、あんまり意味無さそうな…」

「ふうん、美奈子ちゃんがどうしてそんなことを知ったか、こ
っちはお見通しなんだけどな」
 亜美がビデオカメラを試技を終えて退去する射手に向けたま
ま、さりげなく言い放った。

 美奈子が唇を噛むのと同時に、うさぎは天才少女ににじり寄
った。
「ほんと?亜美ちゃん?」

「そうね、たしか美奈子ちゃんは火野神社の屋根の落ち葉を掃
除するように言われて、梯子から落っこちたのよね?」
 天才少女があっけらかんと説明する。

「ありそう…」
 うさぎがゆっくり頷く一方で、美奈子はといえば、身じろぎ
もしなかった。

 頷き返す亜美。
「それと美奈子ちゃん、神社の庭先の大きな杉の木の枝を切っ
ていた時に、枝バサミの刃先で怪我をしてたでしょ?」
 興味津々のうさぎに向かって逆に訊き返す。

「そうそう、確か一週間前だったよね?」
 美奈子に確かめるうさぎだったが、美奈子は次に登場する射
手が誰かに意識がいっぱいだった。

「で、美奈子ちゃんは梯子から火野さんの上の落っこちた。枝
切りで怪我した後で我らが親友の怪我の手当をしてくれた、っ
てわけ。火野さんのきれい好きっていうのは、のべつ美奈子ち
ゃんに神社をきれいにしてって言い続けていることからの想像
ね」
 天才少女はそこで美奈子に目を向けた。
「でしょ?美奈子ちゃん?」

 美奈子は心ここにあらずといった様子で何か呟いていたが、
呻くように「うん」と言ったきりだった。
 そこにいきなり、大きな影が上からかかったことに気づいた。

「誰…?」
 振り向いて見上げた美奈子の声が、途切れた。

 美奈子の視線を追ったうさぎも、ゴクリと息を呑んだ。

 目の前に立っていたのは、あのカトリック系女学校で出くわ
した不良少女のうちの三人だった。いかにも不良っぽい派手な
格好をしている。

「お〜やおや、誰かと思えば、あの巫女さんのストーカーと、
おダンゴ頭じゃないのさ」
 トゲトゲのヘアスタイルの青髪女がそう言うと、亜美に顔を
向けた。
「このチビは誰よ?」

 亜美は不良たちに顔を向けたが、その表情は石のように平然
としたままだった。
「私は水野亜美。貴女たちのような人種と辱知になるなんて、
身に余るほどの頽運と言うべきね」
 そう言って亜美は会釈した。

 青髪女はこの自己紹介に毒気を抜かれてしまい、背後の二人
を肘で突いた。
「こいつ、何言ってんの?」

「さあ」
 肩をすくめる不良。

 小柄な不良がたじろぎつつも、笑顔を浮かべたままの亜美を
見つめた。
「ムカツクっ」

「ま、いいさ」
 青髪女が鼻息粗く言い捨てると、三人の横の空いていた席に
腰を下ろした。虚勢を張って座った青髪女は美奈子に顔を向け
た。
「で、ここで何してるんだ?ブロンドちゃん。あの巫女さんの
ヘタレ姿を見に来たのかい?」

 美奈子は無礼な青髪女に白い目を向けた。
「高橋さんだっけ、あのね、三つ言っておくわね。一つ目、わ
たしにはちゃんと名前があって、決して『ブロンドちゃん』じ
ゃないから」
 高橋の目の前に指を一本立てる美奈子。
「二つ目、わたしはレイちゃんのストーカーじゃありません。
むしろ『可愛いアシスタント』とでも言ってほしいわ。もっと
も『恋人』まで昇格したいな〜っていうのはウソじゃないけど
ね」
 二本目の指を上げる美奈子。
「最後に三つ目、わたしはレイちゃんの活躍を見に来たのであ
って、ヘタレだ失敗だなんてあり得ないようなことなんかどう
でもいいの」
 美奈子は最後の指を立てると、不良たちに向かってべーっと
下を突き出した。

「美奈ちゃんってば、亜美ちゃんの言葉の真似してるみたい」
 うさぎが亜美に身を寄せた。亜美は鷹揚に同意して頷く。

 美奈子の言葉に不良たちも一瞬たじろいだが、すぐに不作法
に睨み付けた。
「けっ、あんな巫女さんなんかより、うちのリョウの方が何倍
もイケてるもん。な、アキ」

 イキがった笑みを浮かべて、アキと呼ばれた茶髪が親指を立
てて答えた。高橋が振り返って、黒のショートヘアの仲間に訊
いた。
「ミキもそう思うだろ?」

 ミキはちょっと躊躇して座った足を組み替えた。
「そうだなあ…トキにそう言われると。でもリョウは足癖がち
ょっと…」

 その不良の言葉が、アキに遮られた。
「ちょっと、噂をすれば!」
 そう言って、アキが指さした。

 全員が黙り込んだ。弓道場の射位にリョウこと橋本綾子の長
身が立ったのだ。大柄な少女はしばらく身じろぎもせず、和弓
と矢を腰のところで束ねていた。謹厳な表情だけが、そのボー
イッシュな面立ちに浮かんでいる。

 美奈子は亜美に身を寄せた。
「ねえ、どうしてあんなふうに突っ立ったままなの?」

「へ、バカでえ」
 トキと呼ばれた不良が軽く嘲る。

「あんたには訊いてないでしょっ、ふんだ、ヘンな青い髪しち
ゃってさっ」
 言い返すと、美奈子はすぐ亜美に向き直った。
「あ、もちろん今のは亜美ちゃんのことじゃないからね」

 亜美はヤレヤレと首を振って、親友に微笑みかけた。
「わかってるわよ、美奈子ちゃん。気にしないで」
 そして亜美は綾子にカメラを向けた。
「あれはね、『射法八節』って言って、矢を撃つ前の八段階の
基本的な動作なのよ」

「しゃほうはっせつ?」
 二人のブロンド少女が声を合わせて繰り返した。

 ため息をつく天才少女。
「さっきまでの人たちも同じようにやってたのに、気づかなか
ったの?」

「じょーだんじゃない」
 美奈子が言い返した。
「私が見たいのは、弓道着をバッチリ着込んだイケてるレイち
ゃんの姿だけだもん」

「へへっ、バカの上にエロかよこいつ」
 アキが美奈子の言葉にツッコんだ。

 不良の言葉に、美奈子はたちまち真っ赤になった。うさぎは
ぷっと吹き出し、亜美は唇を噛んでこみ上げる笑いをこらえた。

「何よ二人とも、笑いたきゃ笑いなさいよ、お尻に弓を突っ込
んでやるから」
 美奈子は親友たちに呟いた。
「言っとくけど、縦に、じゃないからねっ」

 亜美は何度も咳払いして、失いかけた落ち着きを何とか取り
戻した。
「とにかく、あの人の動作をちゃんと見ていたら、八節がどう
いうものかわかるわよ」
 天才少女はそう言って、綾子を指さした。

 言われたとおりにブロンド二人組は、視線を射位に向け直し
た。だがすでに背の高い少女は動作の中盤に達していて、打ち
起こした両手を頭の高さに引き下ろし、左手は弓を構え、右手
は矢をつがえていた。

「あん、ずるいっ、まだ見てなかったのに!」
 そう言ってうさぎがムッとふくれた。

 美奈子は肩をすくめ、友人の肩をぽんぽんと叩きながら、周
囲を恥ずかしそうに見回した。

「あのね、うさぎちゃん。そんなのどうだっていいんだから」
 むしろ自分を慰めるような口調で、美奈子が言った。

 三人の不良は不愉快そうに睨み付けた。

 シュンッッッッ!!

 亜美以外の全員がハッと顔を上げて綾子を見つめた。

 弓を的の方向に向け、右腕を斜め後ろに伸ばした姿勢のまま、
射手はさっきまでの厳しい表情から、誇らしさを両目にきらめ
かせていた。細い木製の矢は、的の中央の小さな黒円に正確に
命中していた。

「しまった、『離れ』を見そこねた!」
 小柄な不良が叫んだ。そしてブロンド二人組をにらんだ。
「お前らのせいだからな」

 うさぎはミキの言葉を無視して、また弓を持ち直した射手を
見つめていた。
「ふええ、すごいねえ」
 そう言ったうさぎの声は、感心しきりだった。

「ふんだ、あんなのレイちゃんだったらあの矢を縦に真っ二つ
にしちゃうんだから」
 ムッとした美奈子は感心していない様子。

「確かにね、今までの人たちと比べたら…」
 亜美が綾子の射をビデオカメラで再生しながら、科学的公平
さをもって言及した。
「…格段に上ね。でも、あの人の射はまだちょっと固いところ
があるわ。弓道の作法に身体の動きを合わせることより、的に
命中させることの方に気が回ってる」

 亜美の観察に、青髪女があざ笑って、追い払うように手を振
った。
「ふん、お前なんかに何がわかるって」

「あら、問題ないわよ、高橋さん」
 美奈子がマイペースの天才少女に親指を立てながら、鼻で笑
った。
「亜美ちゃんが正解、に毎回10円賭けてれば、今に島が買え
るもん。そこでアンタたちを飼って太らせて、レンジでチンよ」

「何をくだらないことを…」
 不良少女が美奈子をぶん殴ろうとしたが、さすがに周囲の観
客が白い目を向けつつあるのに気づいた。やむなく不良は勝ち
誇った美奈子に向かって小声で毒づいただけで、拳を納めた。

 亜美はちょっと肩をすくめただけで、射位の向こうできちん
と居住まいを正して座っている次の射手にレンズを向けた。そ
の射手が正座から優雅に立ち上がったのを見るや、カメラのフ
ァインダーを覗いていた亜美の目がハッと見開かれた。
「これこそ、私のプロジェクトにうってつけの素材だわ」
 亜美は口元をほころばせて、笑顔とともに歓声をあげた。

 うさぎが深青の瞳をパチクリさせ、くだんの射手をジッと見
つめた。
「んん?あれ、ねえ、あれがレイちゃんじゃない?」

 うさぎの声に、美奈子が視線を向けるやいなや、ほぼ同時に
美奈子のアドレナリンとフェロモンが過去最高の記録的レベル
に達した。

「そうよっ!あれこそわたしのレイちゃん!!」
 声を振り絞った美奈子が、古式に則った弓道着に身を固めた
乙女の姿にうっとりした。
「あの流れるような黒髪、端整な顔立ち、最高のプロポーショ
ン、そして、ああん、凜とした優雅な弓の達人ぶりっ。ああ、
わたしのレイちゃん!わたしの天使、わたしの女神、わたしの
支配者、わたしの…わたっ、わたし…の…っっ」
 一瞬言葉に詰まった美奈子の脳裏から、トンデモナイ語彙が
噴出した。

「…わたしの、カレーラーメン!」

 美奈子はこうして熱に浮かされたような賞賛を締めくくった。

 亜美は一瞬で手が硬直してカメラを取り落としかけ、うさぎ
は椅子からすてーんと転がり落ちた。三人の不良も、狂乱のブ
ロンド少女を唖然として見つめるしかなかった。

「か、カレーラーメンって?」
 座席によじ登りながら、うさぎが訊いた。

 トキは頭に手を当てて振った。
「他の言い方はまだわかるけど、カレーラーメンって何だよ?」

「おかしいんだって、アイツ」
 アキが続ける。

 ミキは首を傾げて考え込んだ。
「ハニーとかキャンディとかだったらまだしも…普通じゃない
よな」

 一方、亜美はとにかくビデオカメラに没頭することにしよう
と、低い声で元素周期表を暗唱し続けた。

「凡人の皆さん、質問は後回し。わたしのカレーラーメンちゃ
んの登場なんだから」
 美奈子は周囲をシッと黙らせると、全身の感覚を総動員して
巫女少女に一心に向けた。

 レイは静かに射位に進み出て、28メートル先にある的を、
これ以上ないほどにキリリと引き締まった謹厳さを顔に浮かべ
て見やった。そして少女は、作法に則って左足を前に出し、そ
して右足を後ろにずらし、的に向かって平行に立ち位置を決め
た。弓懸(ゆがけ)をはめた右手には二本の矢を手挟み、長い
和弓を左手に持ち、その両方の手を腰の側に据えたまま、身体
の中心に向けている。

「あれが『足踏み』」
 カメラ越しにレイを見つめたまま、亜美がさりげなく呟いた。

「え、何て?」
 うさぎがちょっとレイから視線を外して訊いた。

 天才少女は親友にちょっと頷いた。
「射法八節の第一段階よ。あれ、完璧だわ」
 亜美の顔に本気の笑みが浮かぶ。
「そう…いいわ…完璧なデータよ」
 独りごちる亜美。

「ちょっと、レイちゃんはわたしのものなんだから、横取りし
ないでよね!」
 苛立つ観衆のシーッという声も何のその、美奈子は思わず友
人に息巻いた。が、即座に美奈子はレイを熱く凝視し直したが、
その時レイは、弓の下端を左膝に当てたまま、胸元に上げてい
た。レイは一瞬置いて、姿勢を正した。

「『胴造り』」
 亜美が今度は熱のこもった声で再び言った。
 ブロンド二人組はじれったそうに親友を見つめる。

「亜美ちゃん、すっかり学術調査気分ね」
 美奈子がため息をついた。うさぎもヤレヤレと目で同意する。

 衆目の期待の中、レイの右手が体側から滑るように弓弦に伸
び、そして素早く矢の一本を弓につがえた。
 目を細め、少女はやっと顔を的に向けた。

 美奈子はうさぎのお下げを握ると、無意識に引っ張りだした。
「いや〜〜〜んん、しびれちゃう〜〜〜!」

「ちょっと、放してってばっ!」
 うさぎが叫んで、自分の髪を友人から取り戻した。
「自分のを引っ張ればいいでしょっ!」

「おっと、ゴメンゴメン、つい反射的に」
 繰り返し謝って、美奈子はピースサインを出した。そして視
線を亜美に向ける。
「ねえ?」

 天才少女がその声に気づくのに少しかかった。
「あ、そうね、ごめん」
 亜美がすまなそうに苦笑した。
「『弓構え』よ」

 小柄な不良ミキが、仲間に耳打ちした。
「トキ…あれって、リョウよりも…」

「シッ!そんなことあいつが的に命中させたら言いな!それま
では黙ってな!」
 青髪女がなじった。

 巫女少女が弓と弓弦につがえた矢を完全に水平に保ったまま、
巧みに両手を頭上に上げた。その視線は的をしっかりと見据え
ていた。その姿勢で一瞬静止したレイは、そっと弓を前に押し
出しながら右腕を折り、滑らかに磨き抜かれた弓に対して効果
的に矢を半分の長さまで引いた。
 レイは再びいったん静止し、次の瞬間、両腕を胸の前、背後
いっぱいに最大限まで伸ばして、ついに矢をいっぱいに引き絞
った。
 少女の紫の瞳が、的の中央一点に焦点を合わせた。

 その刹那、美奈子がくにゃくにゃになってとろけてしまった
のを、観客の何人かは気づいただろう。華奢なブロンド少女は
胸で両手を固く握りしめたまま椅子の上でふらふらし、そして
途切れなく賞賛の言葉を紡いだ。

「真善美の化身、イケてるカレーラーメンちゃんっ」

「『打起し』、『引分け』、…『会』」
 亜美のカメラを持つ手が震えた。
「さあ、いよいよ来るわ」

 シュコ…ンっ!!

 しんと静まりかえった観衆の見守る中、細い矢はまるで的の
中央に溶け込んでいくかのようだった。
 そしてその日初めて、雷鳴のような拍手の嵐が弓道場に轟き
渡った。射手がまだ八節を終えていないにも関わらず。

 レイはまだ重々しい表情を崩すことなく、視線を矢と的に釘
付けにしたままだった。ゆっくりと、レイは弓懸をした手に持
った弓を下ろした。そして左足を半歩引き、さらに右足を半歩
動かして両脚を揃えた。

「『離れ』、『残心』」
 亜美がそう言って締めくくってカメラを置き、椅子から立ち
上がった。そして天才少女は白い手で拍手し、レイに浴びせら
れる嵐のような拍手に加わった。うさぎも、そしてトキ、アキ、
ミキも並んで、それぞれ椅子から立ち上がって観客のスタンデ
ィングオベーションに同調した。

 生真面目な美少女はまず回れ右して、師匠に、そして同輩た
ちに一礼した。立派なことに、綾子の生意気な表情も無視して、
レイは変わらない態度を固持した。そしてようやくレイは生真
面目な表情を落とし、盛り上がる観衆に向き合った。

 美奈子は昂揚して巫女少女を見つめた。そして、二人が出会
ってから初めて、レイが心からの笑顔を見せた。輝くばかりの、
正真正銘の笑顔だった。夢を見ているのかどうか確かめようと
、美奈子は何度も目をこすった。そして嬉しいことに、夢では
なかった。

 レイが感謝の一礼をしたその時、鳴り響く拍手を引き裂くよ
うな甲高い声がした。

「ああん、わたしのレイちゃん!もう、どうにでもしてえええ
ええ!」

 その声があまりに強烈で、全員の目が一斉に美奈子に向いた。
巫女少女は下げていた頭をハッとして上げ、運命の命じるまま
に、その鋭い紫の視線をブロンド娘に向けた。

「…おおっと」
 美奈子は決まり悪げにみんなに笑顔を向けた。
「…ええと、つい、反射的にね?」
 オドオドと、美奈子が言い訳する。

 次の瞬間、弓道場はパニックになった。今の今まで賞賛の的
だった射手が、いきなり卒倒してしまったのである。
 
 

続く

 
 
第6話に続く   第4話に戻る

 

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