愛のレッスン、ステップアップ



第3話・後編


〈昼下がり・森の中〉

 ただの風のイタズラ、と柾木天地は自分に言い聞かせた。そ
れとも気持ちが浮かれて錯覚しただけさ。
 

 でも、いま、頬に軽く触れた感触が、まるで阿重霞さんのキ…。

 あんなに上品で内気で、人見知りでよそよそしくて。

『でももし阿重霞さんが今日その気になったら、俺は…』
 天地は慌ててその考えを振り捨てた。
 皇女さまと一緒に素敵な時を…邪魔者無しで過ごすだけなの
に、それだけで天地の胸はじゅうぶん熱くなっていた。

 チェック柄の敷布に座った天地は、どうしても阿重霞の脚に
目が行ってしまった。何度見ても、今日の阿重霞のいでたちに
は驚きと共に嬉しさを感じてしまう。

『いつもの姿が悪いわけじゃないけど…』
 認識を新たにする天地。
『今日の阿重霞さんは、いつもよりずっと…』

 しどけなく寄りかかる阿重霞は、雪花石膏のような白い脚を
揃えて曲げ、一口サンドイッチに可愛く口をつけていた。自分
への天地の視線に、阿重霞は温かな微笑を浮かべてウィンクを
送った。

 魎呼との「話」の後、この丘で天地と落ちあった時には、阿
重霞は悲しそうな表情だったが、すぐにそれは消えた。おまけ
に、時間が経つにつれて、阿重霞がますます寄り添ってきたこ
とに天地は気づいた。阿重霞の笑みが増すごとに、阿重霞の手
が触れることが多くなった。

 小川を渡るのを助けた時には、阿重霞はさりげなく天地の腕
に触れ、手を握り、なんたることか頬にキスまでしてきたのだ。
森を巡り、獣道を歩いて、干上がった川床に降りるまで、阿重
霞はこんな行動をとった。

 そして今、阿重霞は、初めて二人が二人きりになったあの丘
の上で、あからさまに天地にモーションをかけてきていた。振
る舞いに口を差し挟む者が周りに一人もいないと、阿重霞さん
ってこうなっちゃうんんだろうか、と天地は訝しく思わずにい
られなかった。(もっとも自分も、周りに誰もいなくても魎呼
の誘惑に対してあんなに抵抗しちゃうのはなぜだろう、とも思
っていたが)

「阿重霞さん」
 天地が口を切った。
「今日のことですけど」

「はい、天地さま?」
 そう言って凄まじいほどに愛くるしいルビーの瞳で見上げて
くる阿重霞に、天地はあやうく気を失いそうになった。

「ええと」
 息を呑む天地。
「俺たちがここに来た目的は憶えていますよね?先週の出来事
を」

「あの件については、私もうとっくにお許しいたしましたわ」

「わかってます」
 神経を高ぶらせながら、天地が言った。
「俺はただ、はっきりさせたくて…」

「きれいだってお思いになった?」
 阿重霞が遮って言う。

「ええっ!?」

「私、きれいでした?」

「その…いや、あの…」

「私あの時、天地さまのことを想っていましたのよ、ね」
 静かな声で阿重霞が続ける。
「天地さまと一緒にいる自分を夢見ながら、あの下着をつけて…」

 天地は今さらながら、皇女が自分に積極的に攻めかかってい
ることに気づいた。そう言いながら阿重霞は、天地の手をとっ
て自分の膝に導いた。

「あ、ああ、阿重霞さんっ!本気なんですか!?」

「『本気』になるまで、ずいぶん時間を浪費してしまいました
わ」
 そう言って阿重霞は、もう片方の手もとって、頬ずりした。
「もう外聞も、肩書きも、禁欲も捨てて、私たち一緒に…ね?」

 心臓を止めどなくドキドキさせて、天地は力無く抵抗しよう
としたが、阿重霞の言葉の意味を悟って何も言えなくなってし
まった。
「これはまずいよ!」という声が、心の奥からかすかに響く。
だが何ヶ月も蓄積されてきたフラストレーションと、この少女
への憧れと、内分泌系の働きと、行動開始にふさわしい完璧な
状況の前に、その声は沈没してしまった。おそらくそれが、責
任ある行動をとることを振り捨てる機会に他ならなかったのだ。
美しく愛らしく、ゾクゾクするほどの美少女がほんの目の前に
いて、そして何と言っても、天地だって男なのだ。

 今まで保ってきた方針を転換し、天地は阿重霞の背中を抱き、
目を閉じ、顔を寄せ…そして運命の必然に膝を屈した。

***

〈柾木家〉

 魎呼にとって、時間はもう意味がなかった。自分が居間の壁
に向かって座り込んだままどれだけ経ったのかもわからなかっ
た。信幸や砂沙美や魎皇鬼がどうしたのか訊いてきたのは、そ
してみんな自分の仕事に戻っていったからたぶんそれなりの返
事をしたんだろう、ということは、漠然と憶えてはいたが。
 魎皇鬼だけはたしか、ひどく不審そうな顔をしていたが、そ
んな好奇心を満たすように魎呼は「あっち行け」という強烈な
テレパシーを送ってやった。

 へたり込んだままの宇宙海賊少女の心に、どす黒い絶望がし
みのように広がっていた。

…貴女の望みはわかってましたけれど、そんなのありえません
わ!…

 阿重霞の言葉を思い出し、幻が痛みとなって魎呼の胸を突き
刺した。

…私が、貴女みたいな怪物を愛するはずがあるもんですか!…

 しかも、言葉だけではなかった。魎呼の魂を焼き尽くしてし
まいそうなあの皇女の顔に浮かんだ表情。
 全くの、絶対的な憎悪に満ちた表情。

「あれが阿重霞の本当の気持ちだったの?阿重霞はアタシをそ
んなふうに見てたの?」

 自分は今までずっと何も見えていなかったのか、と思った。
 今の魎呼の望みは、心を解き放ってこの苦しみを完膚無きま
で踏みつぶしてしまうことだった。

「これが好きな人から受ける仕打ちだなんて」
 魎呼は呟いた。
「こんなの、絶対イヤだ」

 ふと、馴染みのある存在を魎呼は感じた。自分が生まれてか
らずっと感じ続けていた感覚。この宇宙でたった一人、自分を
励まそうとしてくれる人の存在。
 遅ればせながら、魎呼は自分の心の壁を這い上がろうとした。

 心の中で「鷲羽」の存在が元気を与えてくれた時、マッドサ
イエンティストが部屋の隅から姿を見せた。

「用意しなさい、魎呼ちゃん」
 鷲羽が言った。

「何の用意だよ?」
 強がって訊き返す魎呼。
『抱きついてなんかきやがったら、大声あげてやる』

「何のって、検査よ。決まってるでしょ」
 鷲羽が陽気に言ったのと同時に、両肩からチビメカ鷲羽ちゃ
んが看護婦姿で現れた。

「お元気注入の時間よ!」
 チビ鷲羽Aが巨大な注射器を抱えながら言った。

「は〜い、こっちを向いて咳してちょうだい〜」
 チビ鷲羽Bが血圧ベルトを持ち出す。

「この場合は適切じゃないけど、アンタたちの姿勢はありがた
いわ」
 鷲羽は両肩のチビたちに声をかけた。

「なんでアタシが?」
 皮肉っぽく目を回して魎呼が訊いた。

***

 冷たい金属製の実験台の上でホログラフ・スクリーンに囲ま
れながら、全裸で座らされた魎呼が睨む。

「もういいだろ?」
 魎呼がわめく。

「何度言ったらわかるの、ダメよ!」
 全身看護婦姿の鷲羽が、慌ただしくデータリーダーをいじり
ながら答えた。

「どうせ大したこと無いんだろ、天才さんよぉ!」
 魎呼が言い返す。

「まあ、お菓子をもらえなかった女の子みたいね」

「何だよ、ちくしょう!」

「ちょっとはお母さまに敬愛の情を持ちなさいな」
 叱りつける鷲羽。

「何がお母さまだよ」
 魎呼が鋭く言い返す。
「アタシを実験室で造って、そのままポイしたくせに!」

 しばらく黙り込んでしまった鷲羽の姿に、魎呼は自分が痛い
ところを突いてしまったことを悟った。

『今だってアタシのことなんかほったらかしのくせに』

「すこし遅かったわね」
 やっと鷲羽が口を開いた。
「でも最初の予想より0.01ミリ秒も早いわ」

「何のことだ?」
 魎呼が問いただす。

「でも、今までこのあたしをさんざん侮辱してきたわけだから、
もちろんあたしに頼ったりしないわよね」
 言葉を続ける天才科学者。
「で、何があったの?」

「何のことだって言ってるんだ?お前なんかお呼びじゃない!」

「不正確な答えね!」
 そう言って鷲羽はデータ・スクリーンを娘に向かって見せた。
「午前11時15分、あたしは強力な精神波を撃ち込まれて、
あやうく昏倒するところだったわ。もし何か重要なことを伝え
たいと思ってなかったら、あんなヒドイ名刺攻撃したりしない
でしょ。あれは何だったの?」

「鷲羽」
 静かに魎呼が言った。
「アタシにもわからない…」

「あたしが知らないとでも思ってんの?」
 鷲羽が言葉をつなぐ。
「アンタはあたしの娘なのよ、やっぱり。アンタの産まれた状
況はともかくとしてね。アンタが苦しい時はいつもわかるのよ」
 実験台の周りを回った鷲羽が、傍の椅子に座った。
「話してくれるでしょ?」

「その…複雑でさ…」
 口を閉じた魎呼が、目ににじんだ熱い涙を拭った。

「人生は複雑なものよ、時々はね」
 そう言いながら娘を見上げる鷲羽。

「でもこんなにツラいものかな?」
 涙にうわずった声で魎呼が訊いた。

 鷲羽は寂しげに首を振った。
「あたしがそんな思いをしてたって、アンタが苦しいと思った
りはしないわよ。でもアタシはそんなの無理だけど」

「じゃあ未経験かよ?」
 魎呼が言い返した。

「話してスッキリしちゃいなさい」
 鷲羽が答えた。
「抱えたまんまじゃ、ますますツラくなるだけよ」

 魎呼はキツイ目で睨んだが、鷲羽は引き下がらなかった。

「恋しちゃったわけじゃない!」
 叫ぶ魎呼。
「ただ、一緒にいたいだけなのに、どうにもならなくなっちゃ
ったんだ」

 魎呼はふと、肩に体温を感じた。見上げると鷲羽が毛布をか
けてくれていた。

「話して」
 赤毛の天才科学者が言った。そして、魎呼は語った。

 最初は、自分と阿重霞が初めて出会った時のこと。まだ子供
の時の、そしてその直後に起きた激しいやりとり。やがて膨ら
んでいったその少女への愛着。この地球で一緒に過ごしてきた
「友」に対して抱いた秘密の想い。そして最後に、心も、魂も、
身体も一つに重ねたことを。
 そして、もちろん、その終焉をも、魎呼は語った。

「アタシは阿重霞には何でも話したかった」
 流れる涙を拭おうともせず、魎呼は言った。
「どうしてアタシたちが惹かれあったか、アタシにも説明でき
ないけど、でもそうなったんだ!なのに今、阿重霞は口をきい
ただけのアタシを憎んでる。アタシ、どうしたらいいかわから
ないんだ!!」

 手を伸ばした鷲羽が、娘を抱きしめて絶望の波を押さえてや
ろうと慰めと愛情の念を送ってやると、やがて魎呼はやっと落
ち着きを取り戻した。

「鷲羽」
 そう言った魎呼が、涙でグシャグシャになった顔を母親に向
けて見上げた。
「アタシ、どうしたらいいの?」

***

〈森の中〉

 心に憧れを満たし、ただ一つのものに心を集中させて、顔を
寄せる阿重霞…。

 その時いきなり、阿重霞はギリギリの状態から、自分を押し
のけていた。

「え?」
 ハッとした天地が、息を吐いた。今まで息を詰めていたこと
も思い出せなかった。

「天地さま…」
 喘ぎながら阿重霞が言った。
「だめ…」
 声が途切れた阿重霞の心に、招かれざる記憶が甦ってくる。

 女風呂の中で抱きしめてくれて、涙をそっとキスで拭ってく
れた魎呼。
 手をつないで歩いた夜の森。
 髪の香り。肌の手触り。

『ダメ!思い出させないで!』

 だが、そんな嘆願も空しく、魎呼の笑い声が、滑らかな唇が、
電気の走るような触れ合いが、音楽となって阿重霞の心に鳴り
響いた。

「阿重霞さん?」
 そう呼びかけた天地の声が、ひどく遠くから聞こえる。
「どうしました?」

 紫の髪の皇女は、目に涙を溜めながら、ただ首を振るばかり
だった。涙にかすむその向こうに、あの美しい金色の瞳から裏
切られた涙を流して悲痛に歪む魎呼の顔が見えた。

「お願い、許して…」

「な、何をですか、阿重霞さん?」
 天地が訊く。

 心配そうに見つめる天地の顔が目に入って、阿重霞は自分が
声に出して言っていたことにやっと気づいた。

「わ…、私、こんなことしちゃいけないんです」
 狼狽して言う阿重霞。
「天地さまに向かってこんなはしたないことをしちゃいけない
んです」

「阿重霞さん、謝ることなんかないですよ」
 安心させようとする天地。
「きょう一日、阿重霞さん自身が俺と一緒に、気分良く過ごせ
たら良かったんですから」

 ピクニックのバスケットの網目を見つめる阿重霞。
「天地さまはおわかりにならない」
 阿重霞の言葉。
「私、待っていましたのに。ずっとずっと、待ちこがれていま
したのに」
 顔を上げて天地を見上げる阿重霞。
「でも、それはこのことじゃなかったんです。このためじゃな
かったんです」

「それは何だったんですか?」
 天地が訊いた。

「なんでもありません」
 きっぱり言い切る阿重霞。
「私がこのまま流されてしまっていたら、私、大事な人を傷つ
けるところでした。それも、二人も」

「俺、そんなつもりなかったん…」

「いいえ、天地さま!貴方はお気にすることなんかないんです!」
 阿重霞が激しく言った。
「ただ、今のことをお許しいただけたら…」

「そんなこと、かまいませんですってば」
 そう言いながら天地は阿重霞を抱き寄せようとした。
「でも、そうじゃなかったら阿重霞さんらしくないですね」

 しばらくの間、天地は阿重霞の存在の近さを後ろめたく感じ
ながらも、そのまま抱き寄せていた。二人の間にいま何が起き
たのか、天地にとってはどうでもよかった。そして正直、あの
まま本当に何かが起きていたとしても、それが良いことだった
のかどうか天地には確信が持てなかった。…タイミングも良い
とは思えなかった。

 突然、天地の腕の中の阿重霞が身をこわばらせた。

「私、行かなくちゃ」
 そう言って、阿重霞はそっと身を離した。

「でも、なぜです?」
 そう訊く天地に、紫の髪の少女は立ち上がって服を払う。

「やらなきゃならないことがあるんです」
 そう言ってサンダルに足を入れる阿重霞。
「置いたままにしていって、よろしいでしょうか?」
 阿重霞がピクニックのお弁当の残りを指さした。

「かまいませんよ」
 まだ落ち着きを取り戻す途中の天地が答えた。

「それじゃ、私、急ぎますので」
 そう応えた阿重霞は、もう森の小径を駆けだしていた。
「何もかも、ありがとうございました」

「どういたしまして、阿重霞さん」
 天地の声を背に、阿重霞は森の中に消えていった。

 あたりの後始末をしていると、空の彼方からゴロゴロいう音
が聞こえた。見上げると、入道雲があっという間に神社に向か
って広がってくるのがわかった。

「カンペキに、泣きっ面になんとかだな」

***

(亜空間のどこか)

 小さな天才科学者は、長いこと考え込んでいた。
 自分のほんの一言が、魎呼の一生を変えてしまうかもしれな
い。決して仲が良いとはいえないこの娘の粉々に打ち砕かれた
世界を、自分の選んだ道に正してやることもできる。
 そう、正しい道に。

『ううん、これは魎呼自身の人生よ。どれだけその道が苦しく
っても、あたしにはそんな権利はないわ』

「アンタは、阿重霞殿のところに行くべきね」
 鷲羽が言った。
「早く行って、阿重霞殿を取り戻しなさい」

「な、何だって?」
 弾かれたように顔を上げる魎呼。

「何よ、まさかまだあたしに母親らしい言葉を期待してるんじ
ゃないでしょうね」
 鷲羽が言う。
「『阿重霞殿のことなんかすっぱり忘れて、自分なりの人生を
作りなさい』とか『失恋も悪くないわ』とか言って欲しい?」
 バカにするような笑い顔で、鷲羽が言葉を切った。
「あたしとしては、そんなのバカバカしいと思うけど」

「本気で、阿重霞のところに行けって?」
 唖然とする魎呼。
「それでかまわないのかよ?」

「かまうわよ!あたりまえでしょ」
 天才科学者は笑うしかなかった。
「バカだと思うわよ。あたし的には、アンタは天地殿と一緒に
なった方がいいに決まってる」

「じゃあ、なぜ…」

「それは、アンタを幸せにできるのが阿重霞殿だからよ、魎呼
ちゃん」
 輝くような微笑みで鷲羽が言った。
「だったらこのあたしの至高の意見だって、その事実の足元に
も及ばないじゃないの。あんたの勝手気ままな性格じゃ、恋を
諦めるなんてタイプじゃないでしょうが。理由はそれでじゅう
ぶんでしょ。ほら、行かないの?」

「でも、あんなこと阿重霞が言って、アタシは…」
 頭を抱える魎呼。

「バカな娘ねえ」
 そう言いながら、鷲羽は魎呼のあご先を持ち上げる。
「アンタまだわかってないの?まあ、あたしは驚かないけどね。
魎呼ってばいつも問題の本質を全然わからないうちに解決しよ
うとするんだから」

「いったいどういうことだよ?」

「思い出してみなさい」
 我慢強く鷲羽が言う。
「阿重霞殿がそんなことを口にした時、阿重霞殿はどうしよう
としてた?」

「アタシを…突き飛ばそうと」
 ためらいがちに魎呼が言った。

「そして、阿重霞殿の目に憎悪の炎が見えたって言ってたわね」
 鷲羽が言葉を続ける。
「憎悪ってのは何が原因で起こる?」

「怖れ…」

「じゃあ、自分で考えてみましょ」
 推量する鷲羽。
「阿重霞殿が何を怖れているっていうの?樹雷皇家の皇女たる
阿重霞殿が、アンタを突き飛ばさなきゃならないくらいに怖れ
ているものって何なの?」

 考えにふける魎呼の心の中で、大きな固まりのようなものが
何度も何度も転がった。そしてそれを今までの皇女について知
っていることと比べ合わせる。

 ふと、この宇宙海賊少女の金色の瞳が、全てがわかったとい
う輝きに見開かれた。

「アタシったら、何でわからなかったんだろう」
 驚いたように言う魎呼。
「ずっと、アタシの目の前だったのに。前にも見たことあった
のに!ああ、阿重霞…!」

「自分を責めるこたぁないわよ、魎呼ちゃん」
 たしなめる鷲羽。
「こんなふうに傷だらけになってこその心の繋がりってものを、
見たことがなかったんだから。肝心なのは、いま阿重霞殿をつ
かまえに行くことでしょ」

「でも、阿重霞はもう…天地と…」
 魎呼の心が沈む。

「もうじきよ」
 そう言って、鷲羽はいきなり安物のスーツと出来の悪いカツ
ラ姿になって、天気予報図の前に立った。
「え〜、現在これらの積乱雲が接近していま〜す」

「はあ?」
 あっけにとられて訊く魎呼。

「まったく!アンタのどこにこの天才科学者の遺伝子が受け継
がれているんだか」
 くたびれたように鷲羽が言った。
「とにかくさっさと行きなさい!それと、何か着なさいよ!ラ
ボの水槽の中で産まれたばかり?あ、それは事実だったわね」

 魎呼は毛布を身体に巻いて、手近な入り口に向かって駆け出
した。

「鷲羽って」
 その途中で魎呼が言った。
「時々さ、ホントのママみたいだよな」

 赤毛の天才科学者は苦笑するだけで、魎呼を見送った。

***

〈森の奥深く・かつ心象風景〉

 清音は心の中に結び目を抱えたまま、密林の中をひたすら歩
いていた。美星が離れていってしまった時、清音はそのあとを
追いかけようと思ったが、考え直してやめた。この衝突をどう
したらいいかわからなかったので、そのため清音は、空が暗く
なったのも気づかないまま、森の中の道をうろうろしていた。

 爽やかな風に、高い枝の葉がカサカサと鳴る。
 清音は今までの自分の人生と、決断を振り返った。
 母親の反対を押し切ってギャラクシーポリスに入ったこと。
アカデミーでは最難関の捜査課コースを選んだこと…。そして、
昇進を袖にして美星とのコンビを続ける道を選んだこと。

「そうよ、選択の余地なんて無かったじゃないの」
 一人ごちた清音。
「それじゃ、どうしてこんなことになっちゃったの?」

『何かを見落としてる。何か大きなものを』

 決断することに直面した時に、清音はいつもこういう混乱状
態を経験してきた。真の意味での選択などそこにはない。おそ
らく清音にとって、最愛の親友がいない人生など考えられない
のだから。

「それじゃどうして、私はこうしているの?」

 だが、その答えはもうわかりきっていた。それは、自尊心と
怖れのせい。
 自尊心が、この暗い森に清音を閉じこめていた。怖れが、真
実を直視することから清音を遠ざけていた。
 清音は、間違いを認めたくなかった。自分の人生の間違いを、
自分の選択の間違いを、そして美星を愛していることの間違い
を、怖れていた。

 自尊心と怖れ。それらは有用だが、潜在的には破滅的な感情
である、とアカデミーの教授は言っていた。
 自尊心は、警察官の最高の能力を引き出す動機を与えてくれ
る。
 健全な怖れは、同じく警察官に、危険に近づきすぎることに
対して一定の制限を与えてくれる。
 だが同時に、強すぎる自尊心は、自分は有能だという思いこ
みとなって警察官の判断力を失わせる。
 そして大きすぎる怖れは、決定的な場面での判断力を麻痺さ
せ、逆に命を落としかねない。

 自尊心と怖れ。二つの危険な感情が、清音を放さない。

 黒髪の宇宙刑事は、重苦しくジトジトする空気にも気づかず
に歩き続けた。道を微妙に外れてしまい、清音はニンジン畑を
歩いていた。

「あ、清音おねえちゃん!」

 ハッと顔を上げて現実に戻ると、目的もなく歩き回っている
うちにいつの間にか柾木家の縁側に戻ってきていたことに、清
音はやっと悟った。
 信幸と勝仁の義理の父子が、うたた寝している魎皇鬼と並ん
で座り、鷲羽(気分転換のせいかコンピュータを使ってはいな
かった)と砂沙美がお茶を運んでいる。

「何をしてるんです?」
 その様子を見て、清音が訊いた。

「雨が降りそうだから」
 鷲羽の湯呑みにお茶を淹れながら、砂沙美が嬉しそうに答え
た。
「もうすぐみたいだよ」

 空を見上げ、嵐が近づいていることにも気づかなかった自分
に驚く清音。

「おねえちゃんも何か飲む?」
 砂沙美が訊く。

「いや、私は…」

「いらない」
 別の声が清音の言葉をさえぎった。

「美星…」
 呟いた清音は、その声から美星がどれほど傷ついているかす
ぐに悟った。

 金髪美女の顔はうつむきがちで、パートナーが戻ってきてい
ることにも気づいていなかった。

「美星」
 清音がもう一度呼びかけた。

「気が変わりました、砂沙美ちゃん」
 何気ない様子で言う美星。
「お茶を、頂けますかぁ」

「う、うん」
 そう応えた砂沙美の顔からも、陽気さが消えた。

「美星、お願いよ、話を聞いて」
 もう一度呼びかける清音。
「私、謝りたいの」

 ようやく美星が清音を一瞥したが、まるで仮面を付けたかの
ようにその顔からは何も読み取れない。
「謝るって何を?清音?」
 そう訊き返す美星。

「それはあの…森で私が言ったことを」
 清音が言う。
「ごめんなさい、美星を傷つけるつもりなんてなかったの」

 しばらくじっと清音を見つめていた美星が、やがて悲しそう
に首を横に振った。

「何なの?」
 ショックに立ちすくむ清音。
「美星の望みはこれじゃないの?私、自分が全部悪かったって
認めてるのに?ねえ!」

 また涼しい風が吹くと、今度は雨粒が運ばれてきたが、清音
は気にもしなかった。
「私にどうして欲しいの?言ってよ、何でもするからっ!」

 金髪の宇宙刑事は黙ったままだったが、さっきの遠くを見て
いるような視線は、今や清音の魂を貫通するかのようにじっと
見つめていた。
 展開されるこのドラマを見つめている一同の視線と同じよう
に、美星の視線の重みを清音は感じていた。

『美星は、最初に私に言ってほしいんだわ!』
 気がついた清音。
『今ここで、みんなの前で私に言ってほしいんだ!』

 清音は立ちすくんだまま、美星の顔を見返したが、動くこと
はできなかった。

 勝仁の咳払いに、二人がハッとした。
「…え〜、争いごとというものは、勝つことばかりが大事、と
いうわけではなくてのう」
 静かに言いながら、勝仁がまたお茶に口をつけた。

 そして、最後のピースが清音の心のパズルにはまる。

「負けるが勝ち、ということもある」

 あの青い髪の女賞金稼ぎの言葉が、清音の脳裏に甦った。

「私の負けね…」
 縁側に駆け寄った清音だったが、その階段を上がる前に、激
しい勢いで抱きつかれた。

「愛してるの!」
 涙にむせんだ声で、叫ぶ美星。

「私も、愛してるわ」
 そう言いながら、同時にキスしようとした。
 美星の純粋な魂の温もりに包まれて、清音は柾木家の人々の
反応にも気がつかなかった。

 びっくりして見つめるばかりの砂沙美。
 相変わらずストイックに冷静なままの勝仁。
 全部承知済み、と言わんばかりに微笑む鷲羽。
 そしてもちろん、喉を鳴らしてでれでれ顔の信幸。

 驚いたことには、誰一人としてそれを問題視しようとしてい
なかったこと。そのことに清音はホッとして笑った。

 大事なのは、美星。肝心なのは、愛。その他は全部、ただの
BGM。
 ちょうど激しく降り出してきた雨音も含めて。
 心臓が止まりそうなほどのキスから離れると、清音の顔には
心から浮かぶ笑顔。

「ありがとう、那岐」

「え、何のこと?」
 手をとりながら問いただす美星。

「何でもないわ」
 清音は応える。
「さ、どこかで濡れた服を脱ぎましょ」

 ニッコリ微笑みを返した美星が、イタズラっぽくウィンクし
た。
「うんっ!」

***

 魎呼は屋根裏の梁に座って、これからどうなるのか考えてい
た。
 ラボから出てきて、最初魎呼は雷雲が接近しているのを見て
大はしゃぎだった。森の中の道を駆けていくと、戻ってくる途
中の天地と出くわした。そして「阿重霞はどこっ!?」と訊く
魎呼に、天地はたまげた。

 家に戻って、宇宙海賊少女は部屋から部屋を片っ端から探し
たが、全く見つけられなかった。誰に訊いても、阿重霞は部屋
から出て行ったとしかわからなかった。魎呼は、自分が遊ばれ
ている、という気持ちになっていた。
 もう一度女風呂を覗いてみると、清音と美星がすっかりご陽
気な様子で、クスクス笑いながら、今しがたまで阿重霞がここ
にいた、と言うではないか。

 とうとう魎呼はギブアップした。

『もし何かアタシに言いたいことがあるんなら、そうするだろ
うに…違うってことは…』

 魎呼にはそれ以上何もわからなかった。そこで魎呼は、一日
が終わるのを待つことにした。
 食器のカタカタ言う音、水の流れる音が、砂沙美の夕食の支
度と共に、柾木家に活気をもたらした。

 もう一度探しに行こうとしたちょうどその時、皇女が玄関を
抜けて入ってきた。
 阿重霞は白い縁取りのあるゆったりしたピンクの着物を身に
つけて、髪もまたいつもの2本のツインテールに結い直してい
た。

 見た目の振る舞いは落ち着いていたが、その奥に不安を抱え
ていることに魎呼は感じ取った。

「お、やっと顔を出したか」
 そう言いながら魎呼は阿重霞の隣にテレポートした。

「お待たせしちゃって、ごめんなさい」
 静かに言う阿重霞。
「自分の考えをまとめるのに、時間がかかってしまったの」

「で、何がわかった?」
 そう訊いた魎呼が、近づく。

 後ずさった阿重霞だったが、誤解を解こうと一息入れた。
「わけもなく魎呼さんに酷い仕打ちをしてしまいました。許し
てくださる?」

「それが謝っているようには見えないけどなあ」
 魎呼が答える。
「時々アタシたちってどうでもいいこと言ってるしさ」

「でも、魎呼さんはわかってない!」
 叫ぶ阿重霞。
「こんな事を魎呼さんに言うのは間違ってる。魎呼さんのこと
をこんなふうに想うのは間違ってる、あの…、あの方の…」
 口ごもりながら阿重霞は魎呼を必死に見つめる。

「あの、潮璃さんのように、かい?」
 静かに阿重霞の想いを言葉で言い切った魎呼。見ると皇女は
身をこわばらせ、魎呼の回答にショックを受けたのがわかる。
「前に話してくれただろ、自分の気持ちが怖かったって。憶え
てる?あの風呂でさ」

 黙ったまま頷いた阿重霞は、視線を床に落とした。

「そしてアタシたちは互いに、それを思い知ったんだ」
 魎呼の言葉が続く。
「アタシが阿重霞に好きだって言った時、強烈すぎたんだよな。
ごめん」

「いいえ、魎呼さん」
 床に落ちる影の動きを目で追いながら、阿重霞が言った。
「あの時だって魎呼さんが私を傷つけるつもりなんかないこと
はわかってました」
 床から視線を上げて、阿重霞は魎呼の目を真っ直ぐ見据えた。
「私は怖ろしかったの。誰かを愛する心によってまた自分が支
配されてしまうことに。理性では魎呼さんは潮璃さんじゃない
ってわかっているのに、その怖ろしさを押さえられなかった。
だから、魎呼さんをはねつけてしまった」

「じゃあどうして気が変わったんだ?」
 魎呼が伸ばした手が、阿重霞の頬に触れる。最初はびくっと
身を避けて逃げようとした皇女だったが、すぐに落ち着いた。

「それはきっと、こんな理由のない怖れにとらわれることなん
か、一番の親友を失うことに比べたら意味のないことだってわ
かったからです」
 そう言いながら阿重霞は、そっと魎呼の手に口づけして、ま
た身を離した。

 阿重霞の後ろ姿を見つめながら、阿重霞の肩から張りつめた
ものが消えていることに、魎呼は気づいた。
 だが、その手はまだ固く握られている。

「他には理由はないのか?」

 阿重霞は見晴らし窓から外を見やった。
 ますます強まる雨が、窓の上に当たって刻一刻と変化する模
様を描いていた。雲に隠れた夕陽から射し込む光が、阿重霞の
顔を深い茜色に染めていた。

 阿重霞に触れようと手を伸ばした魎呼だったが、その手を止
めた。皇女は離れたところに立ちつくし、両腕を固く胸の前に
組んで自分自身を抱きしめながら、現実と空想の向かい風に立
ち向かっていた。

 阿重霞の紫水晶の髪が、湯上がりに濡れて微かに煌めいた。

「魎呼さん、今、何が見える?」
 振り返りもせずに、阿重霞が訊いた。

「な、何だって?」

 阿重霞は、冷淡さを無くした顔で一瞥した。
「質問したのよ」

『これって、ゲームか』
 魎呼は思った。
「アタシに見えるのは、とっても可愛らしくてセクシーな皇女
さま」
 大声で答える魎呼。
「本気で愛されることを、求めている」

「ダメ」
 阿重霞が口を挟んだ。
「私の姿を見て、何が見える?」

「わかんねえよ」

「だと思った」
 言い返す阿重霞。
「私は、何者?」

 ハッとした魎呼。
「訊きたかったのは、そのことか?」

 皇女は無言のまま。

「そうだな…」
 ためらう魎呼。
「阿重霞を見ると、アタシに見えるのは、くだらないしきたり
に従って生きなきゃならないって悪戦苦闘してる美少女だな」

「ちょっと待って!」
 阿重霞が遮る。

「ごめん」
 早口で言う魎呼。
「ごめんな。でも最後まで言わせて。いい?」

 そっけなく頷く阿重霞。

「アタシが言いたいのはさ、阿重霞がいつも理想像にふさわし
い存在になるように追いやられていたってこと。ちっぽけな箱
の中に自分の感情を全て仕舞い込んでしまおうと悪戦苦闘して、
本当の自分自身の姿がほんのちょっとでも漏れてしまうことを
怖れていた阿重霞。他の人のような楽しみを捨てて、『完璧な
貴婦人』になることばかりかまけてた阿重霞。ゆっくりと自分
自身を押し殺し、全宇宙に自分が生まれながらの肩書きにふさ
わしい存在だと全宇宙に証明しようとしている阿重霞を、アタ
シはそばで見つめていた」

 キッと振り向いた阿重霞だったが、その頬に一筋の涙が光っ
ていたことに魎呼は気づいた。

「自分自身の人生を生きられず、他の連中が抱いた完璧のイメ
ージに自分自身を当てはめようとしていた阿重霞」
 再び阿重霞に近づきながら、魎呼が続ける。
「いつになったら訊いてくれる?『阿重霞を幸せにしてくれる
のは、何?』って」

「わ…私は知りませんわ、そんな、何が私を幸せに、だなんて」
 呟く阿重霞。
「そんなこと考えたこと、私は一度も…」

 魎呼は皇女にそっと両腕を廻した。
 最初、阿重霞は振りほどこうとしたが、すぐにそのこわばっ
た背筋も抱擁の中でとろけていった。

「だいじょうぶ、阿重霞」
 シアン色の髪の少女が言った。
「きっとそれは、二人で一緒なら見つかるよ」

***

〈柾木家・深夜〉

 夜の静寂が柾木神社一帯を、あたかも抱擁するかのように包
んでいた。家の中のほとんどの住人(客人も含む)が眠ってい
る一方、宇宙海賊・魎呼はこっそり天井裏の梁の上から降りて、
ふわふわ浮きながら壁際に近づいた。ミシミシと音がして、見
てみると、ビデオカメラを担いだ信幸が階段を、抜き足差し足
で上っていくところだった。

『美星と清音を覗きに行くつもりだな』
 ヤレヤレと思いながら、魎呼は移動した。

 その直後…。

「ひえええっ!」
 建築家兼アマチュアビデオカメラマン先生は、客間の前で警
備役を務めている阿座化と火美猛によって、丁重に居間の長椅
子まで「送り届け」られた。

 肩をすくめて魎呼は、家の奥の壁をすり抜けて皇女を捜した。
「ええと、メモだとここなんだけど」
 呟きながら魎呼は、その美しい手書きのメッセージを見つめ
た。
『覚悟してね!』と読めるその文字。

「へへ…もしかして阿重霞、とうとうギャラクシーポリスの制
服でも着てるのかな」
 イタズラっぽく魎呼が想像する。

 シアン色の髪の少女は、もう一度あたりを走査した。裏玄関
に、湖に続く石畳の小径。湖は細やかな霧で覆われ、神秘的な
雰囲気を醸し出している。
 そこを見た途端、魎呼は馴染みのあるパワーの波を感じ取っ
て、急いで船着き場に向かった。

 案の定、そこには魎皇鬼が、宇宙船の姿で魎呼を待ち受けて
いた。
 何があったのか訊こうとした寸前、魎呼は中に瞬間移動させ
られた…。

 船の中に入ったことを、魎呼はとっさには気づかなかった。
 ブリッジの中は一面、布のワンダーランドに一変していたの
だ。薄手の生地が無数に天井から吊り下げられ、微細な空気の
流れで微かに揺れている。

 魎呼は何枚かの生地をそっと撫でてみた。
「シルクだ…」
 その滑らかな機目の肌触りに、魎呼は思いをはせた。
「すごく上等なシルク。でも、いったいなぜ?」

 あたりを探検するうちに、何枚かの布が床にまで届き、それ
が仕切りになって通路のようになっていることに魎呼は気がつ
いた。

「阿重霞?」
 魎呼が呼びかけると、素足の足音が聞こえた。
「じゃ、ゲーム、スタート…!」

 船の中を、魎呼は阿重霞の足音を追って、ずっとあとをつけ
た。阿重霞が近くにいる、と思った途端にいつも、シルクの壁
が行く手を塞いだ。そして引き返してみると、歩いた跡がまた
変化しているのだ。
 金色の瞳の宇宙海賊は、テレポートを使って阿重霞を見つけ
ようかと思ったが、それは止めた。なんだかズルのような気が
したのだ。

『それに、こういうゲームは好きだもん。きっとステキなご褒
美も待ってるだろうし』
 魎呼は思った。

 阿重霞の甘い唇を思い出して、魎呼はやる気を維持した。だ
がその探索はいきなり終了となった。角を曲がってみると、そ
こに皇女が待っていたのだ。
 暗紫色の、床にまで届くガウンに、ナイトキャップをかぶっ
た阿重霞が、恋人に向かって気高い微笑を投げかけていた。

「テレポート、使わなかったのね」
 嬉しそうに阿重霞が言った。
「忍耐を学んだってことかしら」

「その方がゲームが楽しくなると思ったからさ」
 微笑みを返した魎呼が、皇女に手を差し伸べたが、踊るよう
に身を翻して離れてしまう。

「もう一つ、学ばなきゃならないことがありますわ」
 揺れる布の隙間に向かって歩いていく阿重霞。
「苦難に耐えるってことをね」

 阿重霞が肩からガウンを脱ぎ捨てると、たった一度だけ身に
つけた、あの純白のレースのランジェリー姿になった。そして
ナイトキャップを脱ぐと、紫の髪がまるで滝のように背中にこ
ぼれ落ちた。

「これがお前の言う苦難だっていうなら」
 そう言って一歩踏み出した魎呼だったが、また別のシルクの
間仕切りが行く手を阻む。
「おい、どうなってんだよ?」

「これも貴女が言った『くだらないしきたり』よ」
 そう言いながら小悪魔のような笑みを浮かべる阿重霞。
「ね、魎呼さんも脱いで」

 好奇心をそそられて、魎呼はいそいそと青と緑の縞模様の服
を脱ぎ捨てた。
「これ、いいパンティだろ?」

「何も必要ないわ」
 阿重霞が遮る。振り向いて、全裸になってしまった魎呼の手
を引いて、阿重霞はあの馴染みのある回転ベッドに連れて行っ
た。

「おい、よせってば」
 魎呼が囁く。

「厳密にはしきたり通りじゃありませんけれど、この方が快適
だと思うの」
 そう言いながら阿重霞は、ベッドに敷かれたサテンのシーツ
をポンと叩いた。

 魎呼がベッドに乗って仰向けに横たわると、皇女も競うよう
に寄り添った。
 阿重霞の紫の髪が全身に掛かってきて、魎呼はゾクゾク感じ
た。阿重霞が顔を寄せて、魎呼のしなやかな唇にそっとキスす
ると、宇宙海賊少女は手を伸ばし、両手で後頭部を押さえつけ
るように抱きしめた。

 阿重霞が菫色のシルクのリボンを取りだし、魎呼の両手首を
巧みに一つに縛り上げ、魎呼も存在に気づいていなかったフッ
クに固定してしまった。

「これがアタシへの『苦難』か?」
 このゲームに好奇心をそそられて、魎呼が言う。

 阿重霞はさっさとシルクのスカーフで、魎呼に目隠しする。

「ほら、うつぶせになって」
 阿重霞が頼む。

 シアン色の髪の少女はその言葉に従うと、フックは動きを制
限するキャスターのようなものに付いているのがわかった。
 その結び具合を確かめる魎呼。
「こんなの、アタシなら簡単に壊せちゃうけど」

 阿重霞が一瞬、言葉を詰まらせた。
「そうなさりたいなら、ご自由に」
 静かに言う阿重霞。
 そのまま阿重霞は離れてしまった。阿重霞の身体の重みが魎
呼の背中から消えてしまった。

 そして…魎呼はめくるめくような感覚をおぼえた。シルク生
地で優しく背中を波のように撫でられていく。阿重霞がシルク
の布を滑らせていたのだ。
 息を詰まらせる魎呼に、皇女はゆっくりとシルクを上からお
尻にと動かしていった。

 魎呼の口から悶え声が漏れると、シルクは上に向かって滑り、
そして阿重霞の口づけが続く。それが魎呼の首筋まで達すると、
阿重霞はたっぷり時間をかけて耳たぶをねぶり、レースのブラ
に包まれた乳房を宇宙海賊の背中にむにむにと滑らせた。

 阿重霞が魎呼の全身をシルク責めし続けると、シアン色の髪
の少女は鬱積されていく興奮にのたうち回っていく。

「さ、今度は仰向けになって」
 阿重霞が優しく命じる。

「やっとかよ!」
 激しく喘ぎながら、魎呼がしきりにねだる。

 阿重霞がまたキスして、舌を差し入れて魎呼の口の中を舐め
回し、下唇をしゃぶった。

「ああん、阿重霞ぁ!」
 呻く魎呼。
「アタシもう、我慢できない!」

 だがその唇に、阿重霞の指が当てられる。
「ほおら、もうちょっとがんばって」
 面白がっているような声が聞こえた。

 恋人の勝ち誇った瞳を見せてくれない目隠しを、魎呼は心中
呪った。

 だが、そんな魎呼の思いはすべて吹っ飛んでしまった。あの
シルクが魎呼の唇をなぞりだし、固くしこった乳首をなぶって、
そのまま滑らかなお腹を抜けて、濡れそぼった秘裂を通り過ぎ
たのである。

 しかしこの時、阿重霞はそのシルクを魎呼の全身にふわりと
掛けてやった。そして皇女はそのシルク越しに歯と舌を使って、
首筋にキスし、固くなった乳首を噛んだりしゃぶったりして魎
呼を責め立てた。

 喘ぎながら背中をのけぞらせる魎呼の肌に、阿重霞が舌で電
気のような刺激を走らせる。
 巧みな指使いで、阿重霞はたっぷり時間をかけて魎呼の秘部
の外側をなぞり、奥に隠された悦楽の秘芯を焦らしつくした。
均整のとれた魎呼の内股に手を滑り込ませ、阿重霞は宇宙海賊
少女にまたもディープキスをする。

「外してほしい?」
 阿重霞が訊ねた。

「お願い!早くっ!」
 間髪入れず魎呼が応える。
「早く外してぇっ!」

 一呼吸おいて、またキスしたが、今度はずっと軽いキスだっ
た。
「何なんだよ、いった…あああああっ!!」
 魎呼の問いかけが、皇女のシルク越しの愛撫に妨げられた。

「魎呼さん」
 再び、阿重霞の声。
「外してほしい?」

『何だ?さっきも訊いたじゃないか?どういうゲームなんだ?』

「いま、言っただろ」
 大声で魎呼が言う。
「放してくれよ」

「魎呼さん!外してほしいの?」
 またも阿重霞の問いかけだが、今度は切羽詰まった響き。

『何なんだ?これってまたアタシをなぶってるのか?』

 魎呼はいましめを外そうとしたが、そのためのまともな集中
力を発揮できそうもない。

「魎呼さんっ!…お願い!」
 阿重霞の叫び声。

『まるですがってるみたいな声。でも阿重霞が今まで何かを懇
願したことなんて一度も…』
 その時、魎呼は気づいた。
 口元に微笑を浮かべ、魎呼は縛られた手首が動けるギリギリ
まで起きあがった。

「ううん」
 阿重霞の耳元で囁く魎呼。
「放さないでいて。永遠に、アタシを縛っていて」

 沈黙。

 そして顔じゅうにキスの雨が降ったと思うや、手首のいまし
めが外され、目隠しが外された。
 目を開けると、そこには上から跨った阿重霞が、ルビーの瞳
を感謝の涙で潤ませている姿が見えた。

「わかってくださったのね」
 阿重霞が言った。

「樹雷人がこんなに乱暴な遊びをするなんて知らなかったぜ」
 そう答えながら、魎呼は阿重霞の顔から紫の髪の房を掻き撫
でた。その手を掴んだ皇女は、そこに頬を押し当てた。

「酷いことをしてごめんなさい」
 阿重霞が言う。
「でも、魎呼さんに決断してほしかったの」

 魎呼は阿重霞の後頭部に手を当てて、グッと引き寄せた。
「それがホントなら、アタシは永遠に阿重霞の心の中で囚人で
いることを選ぶよ。自由の身になんかなりたくない」
 魎呼がまたキスして、自分の中に溜め込まれていた熱情を皇
女の中に注ぎ込んだ。

「言って」
 息も絶え絶えの阿重霞。
「今、どうなったのか」

「アタシは阿重霞の手の中から出られない」
 そう言いながら横たわる魎呼。
「お嬢さまの、お気に召すままに」

 阿重霞はたちまち唇と舌を使って魎呼の口唇をリードし、そ
のまま乳房に移動して愛撫した。紫の髪の少女が夢中になって
乳首を吸い、さらにもう片方の乳首をしゃぶると、その反復す
る快感に魎呼の背中がえびぞった。阿重霞の唇はそのまま魎呼
の全身をなぞり、その引き締まった肉体を賞味した。

 巧みな舌が魎呼のおへそから、さらに濡れそぼる秘所にまで
なぞっていき、その悦楽の神殿に拝礼した。舌で陰唇を押し開
き、阿重霞は恋人の愛液を味わった。ほんの一口だけで、皇女
の渇望はいや増すばかり。さらに力をこめて、阿重霞は舌を使
って魎呼の陰核を弄んだ。魎呼は激しく首をのけぞらせ、阿重
霞の紫水晶の髪に指を絡ませる。一方の阿重霞は、欲望をたぎ
らせて、二本の指を魎呼の固く締まった秘所に差し入れ、宇宙
海賊少女の秘肉に包まれる感触を堪能する。

「もっと!お願い、もっとぉっ!」
 喘ぐ魎呼に、阿重霞は激しく中に抽送していく。
 魎呼の全身を強烈な戦慄が駆け抜け、全精力を費やした絶頂
に達すると、阿重霞が心を込めて魎呼の秘所を舌で清めた。
 魎呼の激情がおさまると、阿重霞の欲望も(とりあえずは)
やっと満たされた。宇宙海賊少女の全身をその手でまさぐりな
がら、阿重霞は魎呼の金色の瞳を見つめた。

「私にも教えてくださいな、すばらしいものを」
 囁く阿重霞。

「仰せのままに、皇女さま」
 そう言うと魎呼は、皇女の引き締まったお尻に両手を滑らせ
た。

 身を起こすと、魎呼は自分の腰の上に阿重霞を跨らせた。阿
重霞は皇女さまらしからぬ笑みを浮かべると、魎呼と腰を擦り
合わせはじめた。一方の魎呼は完璧な体位で必死に抱き寄せて、
阿重霞の乳房を愛撫した。固くしこった乳首を口に含み、歯で
固定して舌先で弄びながら、魎呼は阿重霞がエクスタシーに身
震いするのを感じ取った。シアン色の髪をわしづかみにし、内
股をひきつらせ、激しく呻く皇女の姿に、魎呼は阿重霞がもう
ギリギリになっていることを、…そして阿重霞が求めているも
のを、感じとることができた。

 だが、もっと雄弁だったのは、その瞳だった。
 二人が初めて愛しあった時に阿重霞が見せたのと同じ、あの
深紅の激情に燃え上がった二つの瞳。しかし今、魎呼はそれが
ただの情欲だけではなかったことに気が付いた。
 愛されること、そしてその愛をお返しに与えることこそが、
阿重霞の求めていたこと。それは長いこと心の奥底に隠され、
罪悪感と怖れと羞恥に何年ものあいだ苛まれていたことだった。
 そんな貴重な贈り物を受け取ることに、魎呼はさすがに畏ま
ってしまった。だが今、阿重霞の心の窓は開け放たれている。

『なぜ?なぜ今になって?』

「それは貴女だけだからよ、魎呼さん」
 阿重霞が大きく喘いだ。
「貴女だけが、私を幸せにしてくれるから!」

「聞こえたの!?」
 びっくりして問いただす魎呼。

 阿重霞はただ、微笑みを返すだけ。
「そんなこと、わかりませんわ」
 静かに言う阿重霞。
「でも、私もうイッちゃいそうなの、お願い、魎呼さんっ!」

 宇宙海賊少女は頷くと、阿重霞の股間に手を伸ばして最高の
悦楽の中心点を探った。この樹雷の皇女と分かち合っている不
思議な繋がりのせいか、その場所はたやすく見つけることがで
きた。魎呼の経験豊富な指がそこを見つけると、阿重霞の全身
が痙攣した。一回、二回、そして三回。獣のような絶叫をその
美しい唇からあげる阿重霞の意識は、悦楽の波が次から次へと
押し寄せる中、オルガズムの原初的な力によって引き裂かれた。

 魎呼は阿重霞をしっかり抱きしめながら、その悦楽の波を乗
り切った。やがて二人の熱情はようやく果て、ぐったりしてサ
テンのシーツにのたうった。

 意識を取り戻した皇女は、自分が後ろから魎呼の腕に抱きす
くめられていたことに気づいた。
 恋人の鼓動を感じながら、阿重霞は片手をちょっと上げて、
その柔らかな肌に触れた。

「ううん…」
 心地よい抱擁と共に、魎呼が囁いた。
「阿重霞」

「魎呼さん」
 阿重霞はこの穏やかなひとときを満喫している。
「これからもあんなふうにしてくださる?」

「かんべんして!」
 クスクス笑う魎呼。
「魎皇鬼がボロボロになっちゃうよ。…あんな調子じゃ」

「もっとステキなことを秘密にしてるみたいですわね」
 阿重霞が考え込む。
「ところで、感謝しますわ」

「何のこと?」

「私のやり方で魎呼さんを愛させてくださったこと」
 阿重霞が答える。
「そして私に、怖がることなんかないんだって教えてくださっ
たことに」

「礼を言いたいのはこっちの方さ」
 阿重霞の唇に指を当てる魎呼。
「アタシを受け入れてくれて、ありがとう、阿重霞。自分の壁
の内側にようやく他人を受け入れたな。どう、怖かった?」

「いったいどれだけの時間を無駄にしたか、思い知りました」
 寂しそうに答える阿重霞。
「でも今、私たちが一つに結ばれたこと。それが全てですわ」

「ええと、もう一つあるな」
 魎呼がゆっくりと言う。
「天地のこと、これからどうしようか?」

「わかりません」
 阿重霞が答える。
「前に言ったみたいに、『共有』できると思う?」

「無理だよ」
 眉をしかめる魎呼。
「アタシ、阿重霞を誰かと共有するなんて、もう耐えられない
もん」

 笑い出した阿重霞が、魎呼に顔を寄せる。
「ホントに自分勝手な人ね」
 微笑む阿重霞。
「でも、私も今は天地さまのことをどうこうなんて無理だと思
います。それに、私も魎呼さんを誰かと共有なんてしたくあり
ませんもの」

 阿重霞は魎呼を抱き寄せて、熱い口づけをした。

「私、貴女の全てを知りたいわ、魎呼さん」
 とうとう、阿重霞が言った。
「身体も、心も」

「じゃ、まだ道半ばってとこだな、皇女さま」
 魎呼が言う。
「だって、まだアタシの心を読んだだけだからな」

 宇宙船魎皇鬼は、誕生したばかりの恋人たちを乗せ、宇宙を
伴奏に奏でられる二人の愛の歌と共に、どこまでも飛んでいっ
た。


完

 

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