ノー・リグレット2



〈大学衛星、翌日〉

「それが君の本当の気持ちなのかね。神崎くん」

 校長はデスク脇の椅子に座って、窓の外の宇宙空間を眺めて
いた。激しい訓練と時間の果てに手に入れたものを、あかりが
全てうち捨てて、たった一年でこの大学衛星から去って行こう
としていることに、校長はどうしても納得がいかなかった。
 グラン・オールドマン校長は、深いため息をついて、ようや
くあかりに顔を向けた。

 あかりはオフィスのドアを背後に立ち、校長に頭を垂れて視
線を外していた。今日のあかりはどこか違っていた。だが、校
長は、それが何なのかを推し量ることができなかった。

「はい、先生」
 あかりは、ようやく小声で返事をした。

 自分でもわかっていた。退学したいと校長に申し出ることの
辛さを。
 でも、私はクリスを愛している。そして、クリスも私を愛し
てくれている。学校を去る理由は、それで十分。そうよ!

「あかりくん…」
 校長が口を開いた。

「わかっているのだろうが、大学衛星を去ったなら、君のコス
モ・ビューティの称号は剥奪され、ラーリのものになる。そし
て一度退学したら、もう戻ることはできない…」

 あかりは唇を噛んで泣き出したいのを我慢し、落ち着きを保
った。
「わかっています、先生」

 こらえきれずに校長はあかりをまっすぐ見据え、進み出て言
った。

「なぜだ?なぜ、全てを捨てて?これを手に入れるために、頑
張ってきたのではないのかね?あかりくん」

 そう言った校長の目に、あかりの涙が頬を流れて制服に滴る
のが見えた。

「君のお母さんも、ここに残ってほしいと思うのでは…」

「お母さんのことを、今は持ち出さないでください!」

 あかりの叫びが、校長の言葉を押しとどめた。

「わたし、お母さんの言ったとおりにやり遂げました!!コス
モ・ビューティの称号を勝ち取りました!それがわたしに与え
られていた道でした!」

 あかりは噛みつくように顔を上げて校長を見据え、さらに言
った。

「でも、それも、道の一つでしかないじゃないですか、先生!
お母さんだって、こうも言ってました。未来に向かう道は、た
くさんあるって!」

「より良い道、というのはあると思うぞ、あかりくん」

 あかりは最初、校長を殴りつけてやりたいとまで思った。
 だが、なんとか落ち着きを保った。

「もう、決めたことなんです」

 あかりはドアに向かった。

「いろいろ、お世話になりました、先生」

 ドアを開けて出ていこうとしたあかりだったが、校長はそれ
でもあかりの退学の理由を知りたかった。

「まだ、私の質問に答えてないぞ、あかりくん」

 あかりがドアをくぐった。

「失礼しました」

 そして、ドアが閉じた。

 校長は立ち上がって、また座り込んで考えた。

『どうしてもわからん。なぜこんなに急に、大学を中退したい
などと言い出したんだ?』

 その時、校長の脳裏にある考えが浮かんだ。

『まだ、あかりくんを引き留めることができるかもしれん』

 そして校長が机の上のボタンを押すと、秘書のホログラフが
浮かび上がった。

「南極訓練校につないでくれ。そして、訓練生の柳田一乃くん
を呼び出してくれたまえ」

 秘書の女性は会釈して「承知しました」と言うと、スクリー
ンは消えた。校長の顔に笑みが浮かんだ。

***

〈再び、あかりの部屋〉

 クリスが最後の私物を詰め終えた時、あかりが泣きながらド
アを抜けて、まるで命の綱のようにクリスを抱きしめた。

「あかり!どうしたの?」

 泣いている親友を、恋人を、クリスは見下ろした。

「…やっちゃった。わたし、大学をやめちゃったの。でも、こ
れでわたしたち、一緒にいられるんだよ」

 そう言ってあかりが見上げたクリスは、しかし、難しい顔を
していた。

 クリスはあかりの明褐色の瞳を見つめた。

「私のためだけに、そんなことをしたのか?そんなの、私は嬉
しくなんかないんだぞ」

「違うよ、クリス。これは自分のためにやったことなんだよ」

 あかりはゆっくりとクリスの腰に両腕を回した。

「わたしは、お母さんのためにコスモ・ビューティの称号を勝
ち取った」

 あかりは、つま先を立ててクリスに顔を近づけた。

「そして今、わたしは自分の幸せのために、クリスと一緒にい
たいって思ったの。お願い、クリス。わたしと、一緒にいてち
ょうだい」

「ああ、あかり…、私は、いつもお前と一緒にいるよ」

 その言葉と共に、クリスは唇をあかりに寄せた。

 二人はじっとそのままでいたが、やがてあかりが顔を傾げ、
もっと深く濃厚なキスを交わすと、クリスもあかりの熱い唇に
舌を差し込んできた。あかりは甘い声を漏らした。そしてクリ
スがあかりのお尻に手を伸ばして抱え上げると、あかりも脚を
絡めて身体を上にずらした。
 目と目を合わせた二人は、もっとうまくキスができるように
なった。

 二人はじっとしたまま、互いの瞳を見つめ合った。
 互いに何を求めているのか、すっかりわかっていた二人は、
もう、夜まで待ちきれなくなった。

 あかりの黄色いヘアリボンをほどこうと、クリスが手を伸ば
した、その時…。

(コンッ、コンッ)

 クリスとあかりはハッとドアを見ると、あわてて身体を離し
て、ドアを開けてもいいように身繕いした。

「はい、どなた?」
 愛し合う寸前だったせいか、ちょっと舌をもつれさせながら
クリスが訊いた。

「大学管理局です。ミス神崎にお話があります」

 クリスがあかりを見ると、あかりは肩をすくめた。

「何だろう、わかんない」

 クリスがドアを開けると、二人の人が立っていた。大学衛星
の上級職の制服を着た男性と女性は、あかりの前に進み出た。

 男性が最初に口を開いた。

「ミス神崎。本日、大学標準時10時31分をもって、あなた
のコスモ・ビューティの称号は訓練課程中退により剥奪され、
ラーリ・フェルドナントに移譲されました。トロフィーと冠を
引き取らせていただきます」

 あかりは何も言わず、軽くうなずいただけで、自分のドレッ
サーを指さした。そこにはトロフィーと、その上に掛かるよう
に黄金の冠が飾られていた。

 ショックを受けて見つめるクリスの前を、女性職員が横切っ
て二人のドレッサーに近づき、トロフィーと冠を取りあげ、一
言も言わずにドアのそばに戻った。

 男性職員もドアに戻り、二人の少女に軽く会釈した。

「ご協力、感謝します」

 その言葉と共に、二人は部屋を去っていった。


 クリスは一分ほどもドアをじっと見つめ、ようやくあかりに
向き直って支えた。

「あ、あかり、本当だったんだな…」

 それは、問いではなかった。

「うん」

 あかりは答えた。

「あたしは、お母さんの望みをかなえた。そして今、自分のた
めに行動したの。クリスが言ったように」

 あかりはため息をついた。

「でもあの冠だけは、クリスのためにとっておきたかったな」

「なんでもない、あかり。あの冠なんかより、あかりの方がず
っと大事だもの。お前や私から彼らが奪っていったものなど、
どうってことはない」

 あかりはクリスに歩み寄り、その胸に顔を埋めた。

「クリス、さあ、行こう」

 あかりが言った。

「口座からお金を引き出したら、すぐ出発だよ」

 小さな恋人を、クリスは見つめた。

「どこに行くんだ?」

 最高の笑顔と共に、あかりはクリスを見上げた。

「北海道の、わたしの家に戻るの。昨日の夜、ベッドで言った
でしょ。そこでわたしたち、ずっとずっと一緒に暮らせるんだ
よ。永遠に」

 クリスは何かを思って、そのまま立ちつくしていた。が、そ
の顔にはだんだんと笑みが広がっていった。

「ああ、ずっとあかりと一緒だ。でも、一つ条件がある」

 あかりが訊いた。

「なんなの?」

 クリスは自分のスーツケースに近寄って中をかき回した。そ
して中から、小さな黒い箱を取り出した。
 その箱を手にしてあかりに歩み寄ると、クリスは片膝をつい
て箱を開き、あかりの中指に金の指輪をはめた。

「神崎あかり。私と、結婚してくれる?」

 クリスの、問いかけ。

 あかりは何にも言えずに、ただ立ちつくしていた。そして、
また涙が頬を伝った。
 あかりは両膝をついてクリスに抱きついた。

「うん!うん。結婚するよ、クリス!」

 クリスは喜びに打ちのめされたかのように、未来の花嫁の手
を握りしめた。

「よかった。ありがとう、あかり。さあ、泣くのはやめて、キ
スしてくれる?」

 あかりはニッコリ笑って、愛する伴侶にキスするために、顔
を寄せた。


つづく
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