教えて、愛を! 〜炎の天使、氷の天使〜 前編 「…アスカ、元気?」 レイが話しかけてる。 アスカは思った。 レイが誰かに向かって自分から話しかけるなんて、初めてじ ゃないかしら。 「元気も元気よ、レイ」 赤毛の美少女が答える。 「あのペンペンの面倒をどう見たらいいかが悩みの種だけどね。 アンタはどうなの?」 一瞬、言葉に詰まったレイ。 「…わからない」 暗い顔で答える。 「まったくもう、自分の気分くらい自分でわかるでしょうが。 いいわ、ちゃんとわからせてあげる。学校では、どうだった?」 「よかった」 「身体の調子は?」 「元気」 「友達、できた?」 「まだ」 「放課後は、どうするの?」 「泳ぎに行く」 「それだけ?」 「食事。あと、睡眠」 …ダメだわこりゃ。 アスカは思った。 みんなとまるっきり共通項が無いじゃないのよ。 最後の使徒を倒して、エヴァのパイロットという宿命から解 放された。あたしたちは生き延びた。 でも、いったいいつまでこうしてればいいの? 「いい、優等生。アンタ、友達つくんなきゃダメよ」 「どうやって?」 なぜ?って訊かなくなったぶん、まだマシよね。 アスカは思った。 これって、進歩だわ。 「もっと可愛く、自分らしさを見せればいいのよ。とにかく、 会話からスタートすることね。泳ぎのことだって、学校のこと だって、知り合いのことだって、将来のことだっていいじゃな い。ちょっとした会話から友情って育つものよ」 「…将来のこと?」 「そうよ、わかってるじゃない。どうなの、レイは卒業したら 何になりたいの?」 青い髪の少女は、ぽかんとアスカを見つめるばかりだった。 「たとえばさ、自閉症の子供を相手に、病気を治療する方法を 探すとか。コンピュータ・プログラマーになりたいとか、ファ ッション・デザイナーになりたいとか…。レイはどうなの?」 「エヴァの、パイロット…」 「それはもういいんだってば。使徒はもう来ない、エヴァには もう乗らなくていいのよ。レイ、アンタはこれからどうしたい の?」 「よくわからない」 首を振るアスカ。 「誰だって未来はどうなるかなんてわからないわよ、優等生。 考えなさい、自分がこれから何をしたいかを」 「私は、使徒と戦うために造られたんだもの。私にはそれ以外 に何もない」 「そんなことないわ、レイ!アンタも、あたしと同じ人間よ。 レイは頭もいいし、つらい戦いにも耐えてきた。レイなら、何 でもできるわよ。何かに興味をもつようにすればいいんだって ば」 …頼むわよ、黙ったまんまで対抗しないでよね。このことで あたしは負けるわけにいかないんだから! 「…歌」 「いいじゃない、それ」 赤毛の少女は、ホッとして言った。 「歌手になったら?レイは声がきれいだし、ルックスだってい いし、それにすごく…」 あやうく「魅力的だ」と言いかけて、アスカはあわてて自分 をたしなめていた。 なんで、こんなことを? 「歌をね、書くのが好きなの」 白状するレイだった。 「そうなの?どんなの書いたのか、あたしにも見せてよ」 さすがに、レイは躊躇する。 「だ、だめ…そんなの…どうせ時間のムダよ…。どうせ、たい したことないから…」 「ねえ、お願いだからさ。絶対に意地悪なことなんか言わない って、約束するから。興味あるし、できれば助言くらいしたい んだってば」 レイはバックパックを開けて、くたびれた表紙の青いノート を取りだした。そしてペラペラとページをめくって、ざっと目 を通した。レイは無言だったが、自分の目から見てふさわしい ものを選んでいることは、アスカも気づいていた。 アスカはこっそりそれを…歌詞のノートを自分の手に取って やろうと思った。目にも止まらぬ素早さで、力の抜けたレイの 手からノートをひったくった。 「ちょっと!」 抗議しながら、レイはノートに手を伸ばしたが、アスカは自 分の胸に抱え込んでしまった。 「一つか二つでいいからさ、ね。ちゃんと返すから。信じてっ てば、優等生?」 レイは顔を赤らめたが、伸ばした手を下ろした。 「早く、お願いだから」 「あれ、タイトルは無いの?」 困惑して訊くアスカ。 「通し番号だけじゃない。タイトルぐらい付けるべきよ、レイ。 あ、これ良さそうな感じ…」 青い目の元気少女は次々とページをめくる。 「もう一つくらい…」 ぼんやり呟いて、アスカはそのくたびれたノートをめくって いった。そして別の詩を読む。 「そんなに堅苦しくないね」 からかうように言いながら、アスカはノートをレイに返した。 「けっこう上手じゃん」 レイはうつむいたままだった。 「全然ダメ」 そう、呟く。 「だいじょうぶだって。誉められるのに慣れてないんだから。 二つ読んだけど、正直、気に入ったわ。ただ…ちょっと寂しい 感じ。なんだか寒々してるっていうか」 「寂しい?」 「うまく説明できないんだけどね、残念ながら。でも、あたし もけっこう感動しちゃったよ。もっと余裕があれば、いい助言 ができると思うけど。その、スタイルって言うか…ううん、な んていったらいいのかなあ!?つまり…」 「…私のアパートに来て、教えてくれる、アスカ?」 すごい進歩じゃないの! レイのお楽しみを見つけ出したことで、アスカは有頂天だっ た。その顔に、笑みが溢れた。 「レイの助けになるんなら、ね」 青い目の少女は温かく承知した。 「何時ならいいかな?」 「ええと、アスカの都合が良ければ、8時なら」 「問題なしよ」 *** アスカがレイのアパートの部屋の呼び鈴を押したのは、7時 50分だった。赤い瞳の友人がドアを開けてくれるまで、アス カは神経質に髪を手で梳かしていた。 ここに来る前、アスカは一時間近くも身支度していた。クロ ーゼットをひっかき回して、アスカはフリルの袖とハイネック、 そして膝うえ数センチまで刺繍の入った縁のついた、ラベンダ ー色のロングドレスを選んだ。そして、控えめで爽やかな、癒 し系の香水も少し。 レイの家に来る途中にも、部屋を明るくしようと、アスカは 雛菊と百合と芍薬の花束まで買っていた。衝動的に、百合の花 を一輪とると、アスカは左耳の後ろに挿して、火のように赤い 自分の髪が目にかからないように押さえた。 おまけに、レイがまだ食べたことがなかったら、と思って、 大きなお手製のシナモンブレッドを二つも持参していた。 ちょっと、ちゃんとこれは理由があるんだからね! アスカは自分で自分に言い繕う。 これはデートとかそういうのとは違うの。これはあたしが解 決してあげなきゃなんないことなんだから。あたしがドキドキ する理由なんか…。あたしは、ただ友人を助けるために…。 扉を開けたレイは、ハッとして、そしてアスカを部屋に招き 入れた。 レイの口元に笑みがこぼれていたことを、アスカは想像して いただろうか。 「どうぞ、入って、アスカ」 レイが言った。 アスカはすぐ、レイが学校の制服姿のままでいたことに気づ いたが、この青い髪の少女がどうしてそうしていたのかわかる ような気がした。 友人の狭い部屋を、アスカは一瞥した。壁には何も張ってい ない。床もフローリングがむき出し。マットレスが一枚に、椅 子、机が一つずつ、そして電灯が3つ。「質素」という言葉が レイの部屋にはピッタリだった。 なんとかしなきゃ、なんとかこの友人にものを教えなきゃ、 とアスカはどうしようもなく思っていた。でも、あれこれ口出 ししてレイを押しつぶしたくはなかったから、まずは約束した とおり、レイの詩についてのことから始めることにした。 とにかく目的は、レイのモチベーションとなればいいのだか ら。 「…アスカ、とっても…きれい」 元エヴァのパイロット少女は、赤毛の少女を褒めた。 その言葉に、アスカの頬が一気に真っ赤になった。 「あ、いや、その、ありがと。優等生」 口ごもりながら返事をする。 「あの、お花と、シナモンロール、持ってきたわ」 「嬉しい…」 たった一言、レイが言った。 「気にしないで。さ、例の詩について始めましょ、いい?どこ でやろうか?」 「ここで」 「ここで?テーブルもないし、椅子も一脚しか無いわよ。書き 物をするんだから、もっと気持ちよくやらないと」 「どうしたらいいの?」 「そうね。手を加えたらここもいい場所になるけど、このまま じゃやっぱりイマイチよ。いずれ何とかしましょ。でも今は、 レイの詩のことで作業するんだから…。じゃあ、あたしの知っ てる喫茶店に行って、そこでやりましょ。さ、行こうレイ。外 にあたしの車が止めてあるから」 赤毛の少女は内気な少女の腕をとると、有無を言わせず外に 連れ出した。 アスカは高速で車を走らせるのが好きだったし、運転もいつ も完璧だった。 こうやっていっしょに乗るの、いいな。 レイは思っていた。 アスカは最高のドライバー。エヴァのパイロットになったの もうなずけるというものだった。 *** 「よおし!」 興奮したアスカが、車から飛び降りた。 「行くわよ、レイ」 「あれ、アスカ、ここってアスカのアパート?」 「そうよ。まずはアンタのその制服から、何か似合う服に着替 えてもらうからね」 赤毛の少女は友人を引っぱって、弾むように建物に駆け込ん で自分の部屋に連れて行った。 「この制服じゃ、ダメなの?」 目を丸くしてレイが訊く。アスカが自宅の鍵を開ける。 「他の連中がアンタには制服だって言ったって、あたしは許さ ないんだから。さ、このクローゼット…。サイズはあたしとだ いたい同じよね、優等生。ええと、可愛い洋服、いっぱいある んだから。これなんか、すごくいいやつよ。ほらほら、好きな やつ選びなさいよ」 すっかり面食らって不安げなレイ。目の前に吊されているよ うな服を、レイは今まで着たことがなかった。レイにとって、 アスカのクローゼットはまるで布製の虹のようだった。 それ以上にとまどったのは、アスカがいきなり「友達」にな ってくれたことだった。「同級生」でも「同僚パイロット」で もない…。レイにとって初めての「友達」だった。 レイは「友達」をがっかりさせたくなかった。レイが選んだ のはショートスリーブの黄色いドレスに、白と青のストライプ とプリーツが入ったスカートだった。 「いいシュミじゃないの」 アスカは褒めた。 「これ、あたしのお気に入りよ。さ、着てみて。似合ってるか な…、って!」 レイがいきなり目の前で服を着替えだしたので、アスカの顔 は真っ赤になった。 もちろん、二人ともエヴァのパイロットだった時には着替え どころか、シャワーをいっしょに使ったことだって何度もあっ たが、今はそれとは何か違っていた。どうして自分が照れてし まい、慌ててさえいるのか、アスカにはわからなかった。 レイの肉体が整っていることを、レイの胸のふくらみがアス カよりも小振りなのにもかかわらず美しいことを、アスカはい やでも意識せざるを得なかった。その動きも、完璧なほどに優 雅だった。その白い肌の下の筋肉や腱の動き一つ一つが、アス カの心を引きつけ、奇妙な気分にさせていった。 アスカは頭を振って、視線をそらした。が、すぐに視線を戻 したのは、自分が顔を背けたとレイが気づいたらきっと答えよ うのない質問をしてくるからだった。実際、どう答えたらいい か自分でもアスカにはわからなかった。 レイが服の背中のジッパーを閉めると、同意を求めるかのよ うにアスカを見つめた。 アスカはニッコリ笑った。 「けっこうイケてる。すごく似合ってるわ。あ、それと靴も… ちょっと、足見せて」 レイはアスカに自分の足のサイズを確認してもらう。 「あたしの方がレイの足より大きいか…」 アスカは判断した。 「仕方ない、とりあえず学校の靴を履いてて。この服にはちょ っと似合わないけど、全然釣り合わないってほどじゃないし。 足元のオシャレは後でまた考えましょ。その他は、っと。レイ はピアスは開けてないんだ、じゃ、それはいいか。そのドレス にはネックレスもイマイチよね〜。…あ、そうだ!」 アスカは自分の宝石箱から、純銀のブレスレットを二つ取り だした。薄い金属の輪にはルビーとガーネットが光っている。 「これを両手にそれぞれはめて」 そう言いながらアスカはレイの手首に銀の腕輪をはめた。 「ほら、見てごらんなさいよ、レイ。すごく、綺麗よ」 その賞賛の言葉に、レイは赤面した。アスカの姿見で、自分 の姿を見つめた。ただの光の反射像だとわかっているのに、レ イにはそれが信じられなかった。鏡の中の少女は、今まで見た ことがない存在だったが、レイはうっとりした。 「アスカ…」 呟くようにレイが言う。 「…あ…りがとう…」 「友達でしょ?いいからいいから、あたしの…」 あ、あたしレイを『あたしの』だなんて呼んじゃって!あた し、どうしちゃったんだろう…。 「き、喫茶店に行こうか」 今、口を滑らせたことに、どうやらレイは気づかなかった。 それとも気づいていたのだろうか。レイの顔にははにかんだよ うな微笑が浮かんでいた。 二人の「友達同士」はアパートを出て、喫茶店に向かった。 *** 喫茶店に着くと、アスカはレイを自分のいつもの場所に案内 して、ベンチに並んで腰掛けた。アスカはすぐにいつものブラ ックコーヒーを注文した。あれこれ迷ったあげく、レイも同じ ものを注文した。 自分が好きなものが何なのか、レイ自身がわかっていないん だわ。 アスカは気づいていた。 レイはあたしに倣って行動してるから、あたしも自分の言動 には、気をつけた方がいいな…。 アスカがレイにあのノートを出させると、二人の少女はレイ の作品をじっくり読み始めた。 「これ、すごくいいわ。やっぱりこれがあたしの好み。ねえ、 とりあえず、ピッタリのタイトルを考えない?」 「こんなのどうかしら。『私の思いと心』」 大きなルビーの瞳を何度もパチパチさせて、レイが言った。 「うん、いいんだけど、それだと全部の詩が同じことになっち ゃうから。もうちょっと具体的にならないかな?」 「『勝利の哀しみ』とか…」 レイが考えてみた。 アスカは白昼夢を見ているようだった。レイの熱く深い瞳の 中に浸りきっていた。何か言ってくれるのをレイが待っている ことにすら、アスカは気づかなかった。 「…やっぱりダメかしら、こんなの」 レイがおどおどとして言う。 「…あ、いや!違う違う!うん、それ、とってもいいわ」 アスカはそう答えながら自分を秘かにたしなめた。 「友達」を助けるためにやってるんでしょ、集中しなくちゃ ダメじゃない!なんだか頭が混乱してきた…というか、幸せす ぎてボーっとなってるというか…。いや、ちょっと混乱してた だけだってば! 「と、とりあえずさ、優等生、ひとまずタイトルのことは横に 置いておきましょ。歌にするために重要なのは、やっぱり中身 よ」 まるでビジネスマンのような態度でアスカが言った。 「重要なのは…中身」 レイがその言葉を繰り返した。 「…どういうこと?」 「作詞する動機づけになるくらいに感情がどれだけ強くても、 実際よりオーバーに描写することはできないわ。わかる?」 レイの青いショートカットの髪が、うなずいて揺れた。 「哀しみ、嘆き、不幸、絶望…みんな感情の土台というか基礎 というか、ええっと…」 レイはつい笑った。この二人がこんな単語を交わし合うだな んて全く想像もつかなかった。 アスカが何気なく口にした。 「レイって笑うと可愛い。もっと笑い声が聞きたいな…」 アスカの青い瞳の視線がレイをじっと見つめた。 レイの頬が薔薇のようなピンクに染まった。 ふと、自分がレイにもたれるようにゆっくりすり寄っていた ことに、アスカはやっと気づいた。慌てて身を起こし、同じよ うに頬を染めるアスカ。 その直後、ちょうど注文したコーヒーが運ばれてきて、アス カは助かったとばかりに安堵した。 レイがコーヒーに口をつけた。 「哀しみは感情の土台だって言ったわよね…」 「うん、そうよ」 アスカが思い出しながら言った。 「哀しみは詩の重要なモチーフだわ。でも、ここに書いてるレ イの詩にはそればっかりな感じがするな。もっと他の感情も詩 にしてみたら?幸せとか、愛とか、嫉妬とか…」 アスカの言葉が止まった。レイの顔に困惑が広がっていたの を目にして。 「…書けない、そういうの」 ショートヘアの少女が言う。 「そういうの、私、知らないから…」 「レイっ…!」 いきなり前触れもなく、アスカが身を寄せてレイを抱きしめ た。涙をこらえようとまばたきしながら。 「ごめんっ、レイ」 アスカはそれしか言えなかった。 抱きしめられたことのなかったレイは、席に座ったまま、放 心したような表情を浮かべた。 「どうしてアスカが謝るの?アスカのせいじゃないのに、どう して…」 「…あたしって、バカ!エヴァのパイロットだった頃だって、 あたしはもっと気をつけていたのに!なのに、今になっても、 自分がレイの『友達』だって言えるようになった今になっても、 あたしったら、最低だわ!」 「アスカ…」 レイにはこの「友達」に何と言っていいのかわからなかった。 ただ、おずおずと、アスカを抱きしめ返した。しばらくの間、 二人は無言のまま、周りの目も気にせずに、抱きあっていた。 ようやくアスカは手を離した。 「決めた。あたし、レイの手助けをする」 涙に鼻を鳴らしながら、アスカが言う。 「レイに『幸せ』って何なのか、見せてあげる。いっしょに楽 しくすごそうよ。明日、オープンマーケットに連れて行ってあ げるわ、どう?」 「誘ってくれるの?私を?」 「そうよ!ねえ、いいって言ってよ。いっしょに遊びに行こう よ、ね?いっしょに楽しい経験、したいでしょ?」 レイはビックリした。 「ほんのついさっき、私、『幸せ』ってどんなものかわからな いって言ったけれど…。でも今は…私…わたし…すごく…嬉し い…。幸せだって思うわ、アスカ!」 ロングの赤毛の少女は頬を染めて笑った。 「じゃあ、いっしょに行ってくれるわよね?」 「うん、行く」 「よかった!じゃあ、いま『幸せ』実感できたんだから、それ を詩にしてみようよ」 「わかった」 レイも承知した。 二人の「友達同士」は、その後2時間ぶっ通しで4つの詩を 書いた。おしゃべりしたり、笑ったり、自分たちの経験や詩に ふさわしい言葉の選択について話し合った。 レイは、自分が素敵な時間を過ごしていることを実感してい た。だから、盛り上がっていたさなかにアスカが壁の時計を見 上げた時には、レイは心底残念そうな表情を見せた。 「私たちの時間は、いったいどこに消え去ってしまったのかし ら?なんちゃって」 青い瞳の少女は気取ってそう言った。 「ここの店、あと10分で閉まっちゃうの。もう帰らなきゃね、 レイ。さ、行こ、家まで車で送るから」 少女たちはとりとめのない会話を交わしながら、レイのアパ ートまで戻っていった。 アスカは建物の正面玄関前で車を停める。 「じゃ、また明日ね、優等生っ!10時にどう?」 「アスカ」 そのレイの声の響きに、アスカはぞくっとした。 見上げたが、レイの目をまっすぐ見られなかった。口を開こ うとしたが、声が出なかった。心臓がドキドキしていた。でも、 それが何なのか、アスカにはよくわからなかった。 「な、なに?」 かすれた声でやっとアスカが言った。 「今日はとても嬉しかった。こんなふうに誰かにかまってもら えたなんて、今夜が初めてだった」 突然、レイの声がくぐもったが、臆せず言い続ける。 「ありがとう、アスカ。『楽しい』ってこと私、教わったわ。 どれだけアス…今夜が私にとって大切か、わかってくれる?」 アスカは気がついただろうか?レイがあやうく「…どれだけ アスカが大切か」と言いかけたことに。 アスカは神経質になって、友人の感謝の言葉を笑ってやり過 ごした。 「レイの友達になったら、そんな大げさに感謝されちゃうなん てね。でも、あたしはそうなるようにするからね、レイ。ぜっ たいに約束するから」 「ありがとう。午前10時に」 レイは車を降りて、滑るように駆け足で建物に入っていった。 赤い瞳の少女の姿が見えなくなっても、アスカはしばらく見 つめ続けていた。 車のギアを入れて、アスカは家に向かって走り出したが、ほ んの少し自分が震えていることに気がついた。 *** その夜、アスカはなかなか寝付かれなかった。ようやく眠り についた時、アスカは不思議な夢を見た。 アスカは二つの泉の間に立っている。その泉はかすかに光を 放って輝く、真っ赤な水に満ちていた。 アスカは、その右側の泉に飛び込んだ。その赤い水は穏やか なほどに温かかった。不安な気持ちもきれいに洗い流されてい く。 しばらく泳いだ後、アスカは今度は左の泉にも入ってみた。 その赤い水は冷たく爽快で、何をするにも、生きていくことも、 踊ることも、愛することも、元気づけられるような気がした。 二つ目の泉を泳いでいるうちに、その二つの泉が水路で繋が っていることにアスカは気がついた。アスカは水中に潜って、 その水路を通っていった。 二つの泉の水が出会うところ。赤が赤と混じり合い、そして 信じられないほどに明るい青になっていった。なぜかアスカに は、それが当然のような気がした。 二つの水が混じり合い、渦を巻いていく。水路の中を漂いな がら、アスカは二つの泉の水が一つになったパワーを感じてい た。神々しいほどの恍惚をも感じていた。 早く息を吸うためにこの水路を出なくちゃ、とわかっていた が、アスカはそうしたくなかった。どこにもアスカに息を吸う ように言える存在などなかった。 『このまま、息ができるわ』 柔らかな声がアスカの耳に囁いた。 『ずっと、ここにいて』 でも、このままじゃ溺れちゃう、とアスカが思った時。 『信じて』 その声が、すがるように言った。 アスカは、それに従った。 つづく
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