非MEの世界

 

第39話・真実は唐突に

 

 深優は自分のベストの下の方のボタンを外し、シャツの裾を
ちらりとめくった。その腰のところに、奈緒のものと同じ紋章
があった。

「すみません、もっと早く言うべきでした」
 深優の声は聞き取れないほどだったが、やはりいつも通り無
感情だった。

 奈緒は頭が混乱した。

 え?でも深優は…。いったいいつから…。

 頭に少しズキンと痛みが走って、奈緒は手で額を押さえた。

 何か思い出すと頭が痛くなる。
 …HiMEだったのはたしかアリッサの方だったんじゃ?

 奈緒はしばらく無言のままだった。

 …舞衣が言ってた元の世界では、深優はアンドロイドだった。
 奈緒はハッキリ思い出した。青いスーツに身を包んだ深優の
姿を…あの爆発とともに死んでいった深優とアリッサを…。

 喉の奥に何か詰まり、胸が押し潰されるのを、奈緒は感じた。
 いま目の前にいる深優は、親友。たとえかつて敵同士だった
としても、この世界での二人の記憶を追いやることなど出来な
かった。
 深優と、その「妹」の死の記憶に、奈緒の心が痛んだ。

「だいじょうぶですか?」
 しばらくして、深優が訊いた。

「…アリッサもHiMEなの?」
 問いかけに答えもせず、出し抜けに奈緒が訊き返した。

 親友がなぜそんなことを訊くのかわからない、といった顔で
深優は絶句した。
「…いいえ」
 そっと首を振る深優。
「…なぜそんなことを…?」

 奈緒はため息をついた。

 後で鴇羽舞衣に会いに行く時には、深優を一緒に連れて行っ
た方がいいか…。

「あ…後で説明するから…」
 口を開いた奈緒。
「長引いちゃったわね…アンタも授業に遅れるわよ」
 奈緒は膝を抱えて、ひざ小僧の上にあごを乗せた。

「一緒にいます」
 深優も姿勢を楽にした。
「親友に求められたら、授業など些細なことですから」

 赤毛の少女は苦笑した。

 今度は力づくってわけか…。
 何もかも話さないかぎり、深優は梃子でも動かないつもりね。
…アタシの人生に何が起きているのか、全てお見通しって顔し
てるくせに…。

「…ったく、うまくいかないわねえ…ホント…」

***

 なつきはまたもや憤然としていた。

 今朝、鷺沢先生は夜通し調べてくれた検査結果を手に戻って
来るや、最初から学校をサボって静留が目覚めるまでここにい
るつもりだったなつきのもくろみにすぐさま反対した。

『藤乃さんはきょう一日はたぶん眠ったままよ。学校の勉強も
大切でしょ。心配しないで、藤乃さんは大丈夫だから』

 そう言った鷺沢先生だったが、なつきが聞く耳持たない様子
だったので、だんだんその口調は脅迫じみてきて、すぐに教室
に行かないと蹴りをカマして二度とここには入れない、とまで
言い出した。
 当然なつきはそれを笑い飛ばし、絶対にここを離れないと言
い放ったのだが…。

 なつきは数学の授業中の老教師を見やった。
 驚いたことに、鷺沢先生はどうあってもなつきに授業に出る
ように言ったのだった。もちろん、先生が文字通りになつきの
椅子を抜き取り、力づくで追い出したことはどうということは
なかった。
 鷺沢先生ったらよっぽど疲れていたのか、それとも酔っぱら
った碧を運び込んで介抱でもするのか、となつきは思った。

 お昼休みになるやいなや静留の様子を見に行ったものの、静
留は当然のごとくぐっすり眠っていた。鷺沢先生は(ええい、
あの顔、何を笑ってるんだ!)もうじきよ、と言ってくれた。
 なつきはすぐに静留をじっと見つめ、顔色が少し良くなって
いたことにホッと安堵した。

 時間はあっという間に過ぎてしまい、鷺沢先生に再び追い出
されたなつきは、教室に戻らされた。ありがたいことに今回は、
なつきは一回脅されただけですんなり従い、再び揉めようとは
思っていなかった。舞衣や命の目が気になったのだ(おそらく
笑われていただろうし)。

 終業のベルが鳴るのと同時に、なつきは荷物をまとめた。廊
下を進んでいくなつきの気持ちはひたすら医務室へと急いてい
た。

 あれだけ教室に戻るよう無理強いしたんだ、医者として(少
なくとも「先生」の責務として)ふさわしいことをしてくれた
はずと、なつきは信じてはいた。

 …さもなきゃ、一日じゅう静留のそばにいてやったほうがよ
かったんだから…。

 何よりも、検査の結果がどういうものになるのか…不安で仕
方なかった。心配するようなことはない、あの奈緒の唾液以外
に問題になるようなことはない…だが、あの唾液がどうしても
なつきを悩ませていた。
 奈緒が静留に毒を盛ったわけではない。そんなことはしてい
ない。奈緒が静留にしたのは、物理化学的な反応ではなかった。
…超自然的な、そう、HiMEの力に関係することだった。科学の
目では理解できない、何か…。

 考えているうちに、なつきの心に今まで気に留めていなかっ
た些細な言葉が突き刺さった。
『何があったにせよ…どうやら…私は門外漢のことのようね』
 静留の症状を説明した後に、鷺沢先生が呟いた言葉。

 眉を寄せて、なつきは足を早めた。

「玖我なつきっ」
 怒声とともにいきなり腕をつかんだ黎人が、なつきを空き教
室に引き込んだ。そして無造作に扉をバタンと閉じた。

 乱暴な振る舞いに、なつきは黎人の手をムリヤリ振りほどい
た。
「神崎、何のつもりだ?」
 まるで氷の女神のような視線を、なつきは投げかけた。こん
な時に黎人と関わりたくもなかった。

 …静留と奈緒の無茶な行動のことだけでも大変なのに…。
 嫉妬に駆られた元恋人のことなんか、今はどうでもいい。

 なつきは落ち着こうと、こめかみをゆっくり揉みほぐした。
「いったい何なんだ?」
 もう一度訊き直したなつきだったが、しかしその声の刺々し
さは消せなかった。

 黎人も頭を冷やそうとしているらしく、深呼吸した。
「静留に何が起きたか聞いた」
 なつきを厳しく睨みつけながら、黎人が口火を切った。抑揚
を抑えた声だったが、やはりなつき同様にトゲがあった。

「それがどうした」
 ヤレヤレと目を回したなつきは、さっさとこの場を離れたか
った。

 黎人は一歩進み出て、その目に憎悪をたぎらせ、歯がみしな
がら高圧的に迫った。

 脅迫するつもりなのか、となつきは一瞬とまどった。

「ここ数日でお前と静留は『二回』も騒ぎに関わった」
 わずかに黎人の声が高くなった。

 なつきと静留の関係があの廊下でのキスで学園中に知れ渡っ
たのは、わずか二日前だった。だが黎人がそれ以前から何か感
づいていたのは、なつきも察していた。
 まだ何か黎人は知っているのか…。

「静留に起きたことは、事故だ」
 なつきが吐き捨てるように言った。黎人の言葉は核心をつい
ていた。しかし、公式には、自分と舞衣が争っていたところに
静留が運悪く建物のそばを通りかかった、となつきは言い張っ
ていた。

「…僕は『HiME』のことを知っているんだ。命は僕の妹だぞ」
 黎人はなつきに唾を吐きかけた。
「命が全部話してくれた」

「…」
 何と答えればいい?
 なつきは歯ぎしりしながらも、言い返せないことに苛立った。
「どこまで知っているんだ?」
 ようやくそれだけ言ったなつき。

「静留は、お前のせいで入院したんだ」
 さらに迫りながら、黎人が責め立てた。黎人は自制し続けて
いるが、怒りに駆られているのは明らかだった。

 なつきは今度も答えられなかった。
 事実、奈緒が静留を襲ったのは自分が原因だった。意に沿わ
ぬ事であるが、なつきにも部分的に責任があった。

 黎人の視線を受けとめる自分の目に、軽蔑がこもっているこ
とをなつきは自覚した。
 キッと顔を上げたなつきは、思わず拳を握りしめていた。

 黎人の圧力に屈する様子も無かったが、何も答えないままの
なつきに、黎人は声を落として、しかしやはり脅すような口調
のまま言い放った。

「お前は疫病神だ。静留から離れろっ」

「…くたばれっ」
 怒鳴ったなつきが、教室を出て行こうとした。

 再び黎人がなつきの腕をとって、引き止める。
「静留を安静にさせてやろうとは思わないのか?僕は心配して
いるぞ!」

 凍りついたなつきが、ゆっくり振り返った。
「…私が静留に会いに行くことを、その程度のことだと思って
るのか?」
 信じがたげな顔で、なつきは黎人を茫然と見つめた。

 こいつは、自分だけが静留のことを気にかけているとでも思
っているのか?

「私が静留の身代わりになれるなら、喜んでなるぞ!」
 怒鳴るなつき。

「それなら、どうしていま身代わりになっていない?」
 黎人はなつき以上に声を荒げた。
「お前もHiMEなんだろうが!それならどうして静留を守ってや
らなかったんだ?静留を愛していると言ったのは口先だけか?」

 なつきは何も言い返さなかった。

 なつきが、切れた。

 我を忘れ、なつきの拳が黎人の顔面をとらえ、そして狂った
ように殴り続けた。その打撃は少女のものとは思えないほど強
烈で、黎人はあっという間にのけぞって倒れた。しかしそれで
もなつきの狂乱は止まらなかった。
 以前にも増して、なつきは黎人を憎んでいた。他の誰よりも、
何よりも憎かった。

 倒れた黎人に、なつきは顔面への苦痛を減らす代わりに、思
い切り蹴りをかました。
 黎人はようやく身を守ろうとしていたが、その蹴りが胃袋に
入ったために、また起き上がらざるを得なかった。

「き、気でも狂ったのか!?」
 口元を拭いながら、黎人が必死に言った。

 なつきは、拳をポキポキと鳴らした。
「貴様が静留に結婚を無理強いしたときから、ずっとこうして
やりたかった…」
 そう罵ったなつきは、両手を開いてエレメントを出現させた。
その銃口を、なつきは黎人に向けて、ニヤリと笑った。

「動けば撃つ」

 黎人は息を呑んだ。
 なつきの拳の一撃一撃がどんどん勢いを増し、黎人はなすす
べもなかった。口の中を切った血の味は、珠洲城遥に殴られた
時以上に激しく、黎人はまた膝をつき、腹を押さえてうずくま
った。

 見上げたその先に、自分を睨みつける冷たいエメラルドの瞳
があった。
 

続く

 

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