王の言葉

 

 ラ・ロシュのミシェル王は長いこと一人娘のエレノア姫に相
応しい婿を探していた。しかしどこの貴族の子弟であっても、
この王の一人娘の心を捉えることは無かったのである。

 姫は17歳になっていたが、これ以上自分の結婚を先延ばし
にしておくわけにはいかないこともよくわかっていた。父王も
母后も王位継承の危機を口を酸っぱくして繰り返していた。男
の世継ぎがいないことで、愛しい母エルスペス王妃を父王が非
難しているのも、何度も耳にした。
 ラ・ロシュにはとにかく世継ぎが必要であることは、老いた
父王に対する陰謀の噂をエレノア姫も直接耳にして、わかって
はいた。ビルドスタット王にしてミシェル王のいとこであるサ
ムエル1世が、すでに以前からラ・ロシュの玉座を要求してお
り、王国の独立をあからさまに脅かす姿勢をとっていたのであ
る。

 アルタリアのオーク樫で作られた重厚な扉に、控えめなノッ
クが鳴って、エレノア姫は物思いから引き戻された。

「誰?」

「わたくしです、姫さま。ガランティーヌです」

 ガランティーヌはエレノア姫の忠実な侍女であり、背信と悪
意が充満する父王の宮廷の中で唯一、信の置ける人物だった。

「鍵はかかっていないわ。お入りなさい」

 ガランティーヌの青い瞳は明るく喜びに満ちている。編んだ
金髪で縁取られた薔薇色の顔には、屈託のない笑顔が広がって
いた。
 ガランティーヌは小さくお辞儀して、近づいてきた。

「姫さま、皆様方がお待ちかねですわ。トーナメント試合がも
うすぐ始まります」

「そうね」
 エレノア姫はため息をついた。ラ・ロシュ王家の金の指輪を
指先で触りながら、エレノア姫は窓の外を向いて、晴れた空に
浮かぶ白いはぐれ雲を見つめていた。

「姫さま…気乗りされておられないようですね」

「そんなことはないわ」

 主人の表情をガランティーヌはつぶさに見つめた。…月光の
ように白く、天使のように美しい、しかししばしばそれは寂し
げで、不機嫌だった。

「姫さま、わたくしにはわかりません。王国一の優れた方々が
栄誉を求めて戦おうとしているのです。貴女様のお手をとり…
妻とする栄誉を求めて」

「私の手だけで満足できればいいのですけど」

 肉欲をあてこすった皮肉に、ガランティーヌは赤面した。こ
の主人はその並はずれたあけすけさで、父王の宮廷で揉め事の
種として知られていた。
 エレノア姫は、夫なんかいなくても自分一人で女王としてや
っていけると父王を説得したのだが、父王はその言い分を一笑
に付してしまった。

『子供じみたことを』
 王は言った。
『子供じみたことを言いおって』
 繰り返して言った王は、その言葉が娘の心を砕いてしまった
ことにも気づかなかったのである。

「姫さま、行きましょう。王も王妃も忍耐の限界です。あの忌
々しいイアーゴ伯が近衛兵を連れてでも来たら…」

「ええ、ガランティーヌの言う通りね…いつも。まいりましょ
う」

 ガランティーヌの不安げな足どりも覆い隠すほどの、青と白
のサテン地のロングドレスをひるがえし、エレノア姫は回廊を
進んでいった。王家の指輪を中指にはめ直し、もう一度王家の
紋章を確かめた。
 だが、自分だけで女王となることはできない。その権威を確
立するには、夫が必要なのだ。エレノアは悲鳴をあげたかった。
あらゆる不当な事実に怒りを表したかった。しかしエレノア姫
はただ首を振って、ラ・ロシュの城壁を出た。

 跳ね橋と王家の座席前に詰めているイアーゴの近衛兵の前を、
エレノア姫は足早に駆け抜けた。父王が絶大な信頼を寄せてい
る美髭のこの男…イアーゴ伯を、エレノア姫は嫌悪していた。
 エレノア姫は身震いしながら、母と父の間の自分の席につき
ながらも、目に残ってしまったイアーゴの顔を消し去ろうと必
死だった。

 エルスペス妃はエレノア姫が醜態を見せていないことに安堵
の表情を浮かべつつ、娘に微笑みかけた。一方、ラ・ロシュの
ミシェル王は娘の遅刻に不快だったが顔にはおくびも出さなか
った。客人を前にして娘を叱責するのはうんざりだったのであ
る。
 何よりもまず、王は馬上槍試合を開始させ、この王国の独立
を確保する第一歩としたかった。高貴な身分の中から勇敢な独
身男性を片っ端から招聘し、誰が試合の勝者になろうと、その
者をエレノア姫の婿に迎え、次の王にするつもりだったのだ。

 王のいとこであるサムエル1世は、息子であるアルサールの
ライスを試合に送り込んできていた。最初、サムエル王は怒り
狂ってこの試合に横槍を入れようとしたが、ふと心変わりした
のだ。
 大法官である、イアーゴの言葉を耳にして…。

 一方、ミシェル王はイアーゴからこう吹き込まれていた。
 サムエル王の息子ライスは剣士としては凡庸で、トーナメン
トでは勝ち抜くことはできますまい。ですがライスの挑戦を受
け入れれば、サムエル王の王位要求をくじき、ラ・ロシュとビ
ルドスタットとの血で血を洗う戦を回避できまする。ライスめ
がラ・ロシュの貴族に敗れるのは、まさに台本に沿ったような
もの。何せ、王国の始祖の紋章を掲げたる競技場にて待ちかま
えているのは、この王国最良の騎士たちなのですからな…。

 ところがトーナメント試合が始まるや、ライスがレイスダー
ル伯とサイズ伯を立て続けに打ち破ったことに、皆が仰天した。
退屈と苛立ちに苦しんでいたエレノアの目が、ライスの姿にと
まった。ならず者ふうの若者は、間違いなく槍を受け流す技術
に長けていた。サムエル王の息子の剣が敵の楯を切り裂き、鎖
帷子を貫くと、そのあとには忌まわしい血が糸を引いて流れた。
 エレノア姫はイアーゴの姿を目で追ったが、観覧席にも泥だ
らけの闘技場にも、どこにも姿はなかった。

 数時間が経過し、残っているのは4人だけだった。
 サムエル王の嫡子であるアルサールのライス。ラヴィール大
公。リッセ男爵。
 そしてエレノア姫には見覚えのない若武者が一人だった。

「母上、あの第四の騎士はどなたです?」

 エルスペス妃は目をしばたたかせて、黒馬にまたがり黒い甲
冑に身を固めた騎士に注意を向けた。だがその騎士は頬も顎も
覆った兜をかぶっていたので、その顔はわからなかった。

「わからないわ。ですがおそらくは、若きラルース公のお身内
の方でしょう。あの尊いお方は病に倒れられたと聞きましたか
ら」

 どういうわけか、その「黒騎士」はエレノア姫の注意を惹い
た。胸の奥で心臓の鼓動がたがねのように鳴り出し、背筋に冷
や汗が流れ、不思議な身震いをおぼえていた。

 黒騎士がリッセ男爵を落馬させ、この二年もの間エレノア姫
を必死で追い回していた男の喉笛に鋭利な剣の切っ先を突きつ
けた瞬間には、エレノアはあやうくこみ上げる嬉しさを抑えき
れなくなりかけた。
 敗北を認めた男爵に、黒騎士は籠手をはめた手を差し出した。
渋々ながらも、男爵はしかめ面をしながら差し出された手をと
って立ち上がった。そして足を引きずりながら、小姓が待つ闘
技場の端まで行って泥だらけの甲冑を脱がせた。

 目をみはるほどの俊敏さで、三日月を縫い込んだ頬当てをし
た堂々と厳めしい黒馬に、黒騎士は跨りなおした。そして目に
見えないほどの踵の一撃で、騎士は馬を反転させた。
 その刹那、エレノア姫とその騎士の目があった。その不思議
な騎士は姫から50フィートは離れていたというのに、その射
るような視線はエレノア姫にもはっきりわかった。
 目が合ったのは一瞬のことで、騎士はやにわに馬を早足で駆
けさせ、闘技場の端に向かうと、次のラヴィール大公とアルサ
ールのライスとの試合結果を待った。

 城内の一同は恐慌に陥った。ライスがその剣で大公の重甲冑
とその下の鎖帷子を物ともせずに胸を貫きいて、大公を斬殺し
たのである。
 サムエル王の息子はきっと何者かと…いや、間違いなくイア
ーゴ伯と手を組んでいたんだわ、と思ったエレノア姫は、一気
に暗澹たる気持ちになった。

 その時、王女も、貴賓席じゅうの人々も息を呑んだ。あの黒
騎士が妙に甲高い雄叫びをあげながらライスめがけて突撃して
きたのである。
 ライスは長い脚で軽々と鹿毛の馬に乗りなおしたものの、防
御するより先に、黒騎士の剣の一閃がライスの首を胴体から切
り離したのである。

「目には目を、歯には歯をっ」
 黒騎士が、ハスキーな声で叫んだ。
「我が兄の復讐は、遂げられた!」

 ラ・ロシュの貴い人々は一斉に立ち上がり、手を叩いて若き
騎士の武勇を誉め讃えた。大いに安堵した表情で、ミシェル王
は黒騎士に貴賓席まで来るように合図した。
 それに従う若き騎士と黒馬を、エレノア姫はつぶさに見つめ
た。そしてその騎士の瞳が朝の青空のようなライトブルーであ
ることに気づいた。それは、エレノア姫が今まとっているドレ
スの色と全く同じだった。

 エレノアの鼓動が再び高まり、思わず両手を固く握りしめて
いた。

「兜を取るがよい、若き騎士よ。汝は何者じゃ?」

 エレノア姫は驚いて父王を見上げた。
 父上もこの方が誰なのかご存じではなかったの?

 競技場に張りつめた空気を切り裂くように、黒騎士は兜の顎
帯を外した。

 エレノア姫は手で口を押さえ、信じられないとばかりに首を
伸ばした。

 この方は…この方は…女性!?

 その驚きは、燎原の火の如くに競技場全体にも広がっていっ
た。
 あまりの驚きに眩暈さえ起こして、エレノア姫は椅子にどっ
と座り込んでしまった。
 黒騎士は、長い黄金の髪を靡かせた、自分と同じ女性の顔立
ちだったのである。

 仔猫のような笑顔を浮かべ、その女性はエレノア姫を見上げ
ながら、逆手に持った長剣の柄を顔のそばに掲げ、勝利を捧げ
るしぐさを見せた。それはこの女騎士が自分の勝利をエレノア
姫に捧げたことを示していた。
 そして、王の娘と結婚する権利を勝ち得たことを…。

 ミシェル王は咳払いして、必死で平静を装った。
「汝は何者じゃ?よもや魔女では?」

「私は陛下の王国を、最も憎悪なさっておられるお従弟殿の手
からお救い申し上げただけでございますのに」
 女騎士は剣を鞘に収めて答えた。
「なのに陛下は私を魔女だと仰せでございますか」

「女ごときがそちのように戦えるはずがなかろう」

「陛下、私が魔女ではないことは証しを立てられます。私はラ
ルース公の妹、ラルースのグエンドリンでございます。そして、
愛の河が許しの湖に流れ込むところで洗礼を受け、陛下から名
を頂いた娘でございます」

「ラルースのグエンドリンじゃと?おぬしが?」

「今年で19になりました、陛下。もう、何があっても守って
やると陛下がお約束してくださった幼子ではございません」
 その場の全員が不信の顔を見せている様子に、グエンドリン
は甲冑の下から黄金の首飾りを取り出すと、そのぶら下げた先
には、真昼の太陽の下にラルース家の紋章が光り輝いていた。
「私は兄の死を贖うために、やってまいりました。兄は二日前、
サムエル王の手下の手で毒殺されましたのです。陛下、これは
陛下のお従弟殿が、ビルドスタット王国がラ・ロシュを併呑せ
んとする企みの最大の障害となる存在を、手段を選ばず葬り去
ったのだと思われます」

***

「なんだとっ!」

 血走った目に怒りを迸らせた王国の大法官から、思わず従者
が後ずさった。

「殿、作戦は失敗です。トーナメントは女が勝ってしまいまし
た」

「女?女だと?たわけたことを申すな、この役立たずの屑めが、
女が勝ったと申したのか?」

「さようで、殿。ラルース公の妹、レディ・グエンドリンが」

「グエンドリン?ラルースのグエンドリンが?」

「はい、殿」

 しばし言葉を切って考えこんだイアーゴ伯が、訊いた。
「…で、その…レディは、今、どこに?」

「王女の一室を与えられ、身分相応の、女性としてもっとふさ
わしい服に着替えているでしょう。国王陛下が祝宴に招いてお
りますので、おそらく…」

「アルサール卿はどうした?」
 従者の説明を待つのが耐えきれず、イアーゴ伯が口を挟んだ。

「死にました。グエンドリンに殺されました。兄の復…」

「もうよい、ガイダル。その件については何もしゃべるな。よ
いな」

 イアーゴ伯は近衛兵の兵舎を出て、そそくさと王宮に戻った。
イアーゴが試合を欠席したのは、絶妙のタイミングでサムエル
王の密使と会っていたからだった。もし闘技場にとどまってい
たら、どうなっていたことやら…。
 サムエル王の息子も死んだ。自分の首と胴も残酷な方法でバ
ラバラに泣き別れになっていたかもしれない危険が迫っていた
ことを、王国の大法官は実感していた。

 イアーゴは、サムエル王の怒りを自分から逸らす企みを思案
しなければならなかった。

 復讐。

 サムエル王はたぶんそれを考えるだろう。そうだ、それでい
こう…。

***

「グエンドリン様は、どこで剣技をお習いに?」

 グエンドリンは、まだよそよそしげなエレノア姫の顔を見つ
めていた。こんなに美しい乙女に出会ったのは生まれて初めて
だった。赤みがかった褐色の滑らかな長い髪は、まるで瑞々し
い薔薇の花のように輝き、芳しかった。
 エレノア姫はといえば、生まれついての用心深い好奇心を暗
緑色の瞳に宿しながら、グエンドリンをちらちらと盗み見てい
た。

「…父と、兄から習いました。ずいぶん甘えたりねだった末に
でしたが」

「このたびの試合が行われるまでは、お兄様というのはすばら
しい騎士だったと伺っていました」
 そう言うエレノア姫の前では、ガランティーヌが金髪の女騎
士を手伝って、脚の股当てを外していた。

「我が家は剣士の家柄なので」
 グエンドリンは笑いながら、籠手を外した。
「私の曾々祖父は、姫の曾祖父であらせられるルイ3世陛下を
お助けして、エクス・ラ・パクスの戦いでビルドスタット家と
激突し、その戦功でラルース公に封じられたのです」

 鎖帷子をやっと脱ぐことができて、グエンドリンはほっと安
堵の息を吐いた。女性用として特別にあつらえたしろものとは
いえ、身を守る鎧の各部はやはり重く、かなりしんどいもので
はあるのだ。
 この風変わりな女騎士の胸のふくらみに、エレノア姫の目は
止まってしまった。汗のにじんだ白いシュミーズの下は、美し
く整った柔らかな女の双丘が隠されていた。エレノア姫はグエ
ンドリンを無遠慮に凝視していた自分に気づき、はっと赤面し
た。そんな王女に向かって再びあの猫のような笑みを浮かべて
いるグエンドリンに、エレノア姫は畏怖と憧憬を同時に感じて
しまっていた。

「これで私は失礼いたします」
 エレノア姫が言った。
「ガランティーヌが温かい湯浴みの支度をしてくれますから…」

「姫、どうかこのまま居てください。私には三人の妹がいて、
毎日着替えを手伝ってくれましたから」
 そう言いながら、グエンドリンはシュミーズを掴んで肩から
脱ぎ捨ててしまうと、エレノア姫が今まで見たこともないほど
に美しい肉体が露わになった。

 グエンドリンの両腕と胴は健康的にきゅっと締まり、乳房は
石榴の実のように豊満で形良く、肋から腰のくびれのすらりと
したラインは、長い金髪で半分覆われ、あたかもネコ科の動物
のような女らしさを発散していた。

 ガランティーヌの手を借りて、グエンドリンがキュロットも
脱いでしまうと、エレノア姫は自分の身体が反応してしまって、
滑らかなドレスの記事に自分の乳首が当たってしまっているこ
とに羞恥を覚え、クルリと背を向けてしまった。

「やっぱり、行きます」
 暴れ馬のように心臓が跳ね回っているのを感じて、エレノア
は言った。
「あ、あとは、ガランティーヌがお世話をしますから」

 慌てた様子で部屋から出ていくエレノア姫だった。
 あの、不思議なお方、私よりたった2歳年上なだけなのに…
あんなに、女らしくて…あんなに力に満ちあふれていて…そう
…愛おしいくらいに…。
 ため息をついたエレノア姫の目がいきなり潤んだ。王宮の冷
たい石壁にもたれ、エレノア姫はあの忘れられない姿に…あの
猫のような微笑に、勝利を捧げるあの力強い手に、優勝者の称
号とその手に姫の手をとる権利を誇らしく宣言するその姿に、
苛まれ、声を殺してすすり泣き始めた。

 …失望したのは、優勝した黒騎士が女性だったこと。
 グエンドリンさまが私の手をとる権利を、父上はにべもなく
「子供じみたことを」を言って打ち棄てられた。女同士で結婚
などできない、と母上も説得された。まるで私がグエンドリン
様の勝利を政治的な結果として把握していないかのように。

 通りかかった影に気づき、エレノア姫は目をしばたたかせて
身をしゃんと起こした。
 足音を殺して近寄り、様子を窺っていたのはイアーゴだった。

「エレノア姫…相変わらず悲痛な目をしておられますな」

「イアーゴ伯、こんなところで何をしているのです?たとえ王
国の大法官といえど、王宮のこの棟には私か、父上の裁可が必
要なことは知っているはずです」

「どうかお許し下さい、姫。危急の用事でトーナメントを欠席
しましたものですから、驚くべき試合の勝者のことについてど
うにも好奇心が抑えられませんでした。ラルースのレディ・グ
エンドリンと伺いましたので、ぜひお会いしたいものだと陛下
のお許しを願いましたところ、この姫さまの下僕たる私めに慈
悲深く認めてくださいました」
 イアーゴはニヤリと笑って姫に頭を下げた。

「許しません。グエンドリン様は祝宴の身支度中です。お引き
取りを」

「姫のお望みは我が下命」
 イアーゴはまたニヤリと笑って、慇懃なお辞儀を繰り返した。

 エレノアは立ちはだかったまま、長い脚のひょろひょろした
姿が勿体ぶって、腰に佩いた剣の柄を左手で押さえながら階段
を下りていくのを睨みつけていた。
 ほっと息を吐いた途端、エレノア姫はまた身震いした。差し
迫る危機の予感にこめかみがズキズキと疼いた。

***

 ラルースのレディ・グエンドリンが、祝宴の場となった万聖
堂の豪奢な入り口に姿を現すと、王の賓客達の騒がしいおしゃ
べりがぴたっと止んだ。

 またもや、エレノア姫は自分の目が信じられなかった。
 グエンドリンの長い金髪は真昼の太陽のように輝き、生気に
満ち、美しく、四大の自然力で日に灼けた顔に、淡い瞳の色は
人々の目を奪った。
 ラルース公の娘が王国一の美女たちと肩を並べる美と女らし
さを備えていると断言するのに、じゅうぶんであると言えた。

 そしてあの自信に満ちた笑み…。
 この手弱女が、ラ・ロシュの並み居る最高の騎士たちを、そ
してサムエル王の息子を打ち破ったという事実は、まったく理
解を超えたことだった。

 グエンドリンが自分のお気に入りの、エルスペス妃が16歳
の誕生日を祝って贈ってくれたクリーム色のドレスを選んで身
にまとっていたことに気づいて、息が詰まったエレノア姫は大
きく息を吸った。

「陛下」
 グエンドリンが優雅なお辞儀をしながら言った。

「グエンドリンよ、我が忘却していた名付け子よ」
 ラ・ロシュのミシェル王が挨拶を返す。
「どうか、我が歓迎を受けてくれ」

「私の願いは、我がラルース公家が忘れられないでほしいこと
ですので、陛下、どうぞ我が祖先の慎ましい館にも繁くお運び
を願い奉ります」

「うむ、その通りじゃな。そちの兄を失ったことは痛恨の極み
じゃ。ラルース家は常にラ・ロシュの貴族の中でも最も忠義の
厚い家柄だった。王家はそちの家に恩義がある。グエンドリン
よ、どうか余の隣に座って、そちが如何様に男勝りの剣技を身
につけたのか話してくれぬか」

 エレノア姫は、グエンドリンが真っ赤な唇に謎めいた笑みを
浮かべるのを見た。王女ははっと目を伏せ、グエンドリンの視
線を避けた。

 猫…。
 この方は猫だわ…。さもなければ雌ライオン…。うろうろと
うろついていたかと思うと、不意に獲物に飛びかかる…。

 エレノア姫は自分の椅子を動かして、父王の椅子から離した。
小姓がすばやく別の椅子をその間に置いて、金髪の高貴な美女
のため宴卓の席とした。グエンドリンが隣に腰掛けると、エレ
ノア姫はその女性(というよりも年齢的にはまだ乙女か)の横
顔をよく見ることができた。

 間違いなく古きケルトの血を引いてらっしゃるわ。

 そう思ったエレノアの脈拍がまた上がりだした。常日頃から
ケルトの民の顔立ち、夏小麦のような金髪や海のように澄んだ
瞳が姫の好みだった。そんな想いを悟ったかのように、目を合
わせてもいないのにグエンドリンの微笑は大きくなった。

 グエンドリンの手がそっと延びてきて、二人の指が触れた。
 そして、絡めるように手を組んだ。
 父王とグエンドリンの会話など、エレノア姫の耳には全く入
ってこなくなった。感じられるのは、自分の手を握るひんやり
した手の感触。
 そして…王家だけの小振りな宴卓の向こう側の、豪華な大宴
席に座る王宮の男女の、怪訝そうな視線だった。廷臣達がひそ
ひそ囁いたり、どっと笑ったりするのを聞いて、それが父王の
機嫌を悪くさせるのではないかと、エレノア姫は恐れた。偽善
が何よりも嫌いなエレノア姫の怒りがこみ上げたその時、声が
聞こえた。

「…姫さま?」

 はっとして見ると、グエンドリンの顔が目の前に近づいてい
た。
「な、何でしょう、レディ・ラルース?」

「ちょっと、痛いんですけど」

「い、痛いとは?」

「ええ、私の手が。人の手とは、剣のようなもの。鳩を愛でる
ように、愛おしく優しく扱えば、剣はおのずから語りかけてく
れます。血が通わなくなるほど万力のように締め上げてはいけ
ませんね」

 エレノア姫は慌ててグエンドリンの手を離した。
「ご、ごめんなさいっ」

 金髪の美女はニッコリ笑って、エレノア姫の手を再びとり、
指で愛でた。エレノア姫ははっと息を呑んだ。

 十品に及ぶ豪勢な宴会料理を、うら若き二人の乙女はほとん
ど口をつけなかった一方、王や賓客達は思うさまに堪能した。
乾いた喉を際限なく酒が潤し、吟遊詩人たちが愛と友情と、そ
して皮肉な機知に富んだ歌を歌った。
 この上もなく嬉しそうにラヴィン修道士が食べた三皿目の
「玉葱と干葡萄の子牛肉の詰め物」は、この王宮礼拝堂の説教
師にとっては毎日の仕事の代価と同じ値段になるのだった。

 何度もエレノア姫は、自分の意志に反して、イアーゴ伯の姿
を目で追ってしまっていた。

『イヤな男』
 王女は思った。
『また私に向かってニヤニヤ笑って…。神様、どうかこの邪悪
な者からお守り下さい』

 ちょうどその時、イアーゴ伯が立ち上がって言った。
「陛下、一言よろしいでしょうか?」

「もちろんじゃ」
 弱ってきた歯で汁気たっぷりの鶏腿肉にかぶりつきながら、
王が答えた。

「陛下、私から乾杯を捧げたく存じます。ラルースのレディ・
グエンドリンさまは、あえて申し上げれば男の世界だけのもの
と思われていた剣士として、そのお腕前で我らを圧倒されまし
た。レディ・グエンドリンは疑いもなく、女性が男同様に凛々
しく勇敢になれることを証明されたのです」

 王も、大多数の賓客も飲み食いを中断して大法官の言葉に聞
き入った。
 エレノア姫は、その空気に不穏なものを感じ、耳を傾けた。

「かくもお見事な知恵と力をお示しになられたレディ・ラルー
スを、賞賛したく存じます」
 イアーゴは、何か問いたげな美女に向かって言葉を続けた。
「僭越ながら、我が杯を掲げて、この令嬢の多くの美徳を讃え
ます」

 王はご満悦で、多少つらかったものの、自分の足で立ち上が
った。グエンドリンを見下ろし、王が起立したと見るやすぐさ
ま跳び上がるように立ち上がった他の賓客らとは別格として、
グエンドリンにはそのまま座っているよう促した。
「大法官の言葉を我が言葉とさせてもらおう。レディ・ラルー
スよ、ラ・ロシュの王はそちに恩義がある。余は汝に『ラルー
ス公』の称号を正式に認可する。そちの父も兄も物故した今、
我が王国の一翼には力強く、勇敢な手が必要なのじゃ」

「かたじけのうございます、陛下」
 グエンドリンはまた立ち上がろうとしたが、慇懃に感謝を示
そうとするグエンドリンを老王は押しとどめた。
「言葉もございません」

「馬鹿を申すでない」
 王はどさっと椅子に腰を下ろして言った。
「こういう時には、言葉は必要ないのじゃ」
 ラ・ロシュのミシェル王はまた酒をあおりながら、鼻を啜り、
咳き込んだ。

「陛下」
 まだ起立して自分の銀と金製の酒杯を掲げたままのイアーゴ
が言った。
「お許しを願いまして、私めのレディ・ラルースへの賞賛を最
後まで言わせていただけますか?」

「うむ、よいぞ…じゃが、手早くな、大法官よ」

「ありがたく存じます、陛下。まさにその慈悲は無限なり」

 手を振って、王はイアーゴに話を急がせ終わらせるように促
した。あまりにも盛大に酒を飲み過ぎたせいで、老王はこらえ
性がなくなり、まぶたが重くなるにつれて不機嫌になっていた
のだ。

「私の目からは」
 イアーゴが続ける。
「レディ・ラルースはあらゆる栄誉にふさわしく、そのうちの
いくつかは男に与えられるものですらあります。グエンドリン
さまは我々を不確かな運命から、あのサムエル王の息子の手か
らお救い下さいました」

「大法官っ」
 王がため息をついた。
「じゃから余が今この場で、我が名付け子にラルース家の家名
を授けたのじゃぞ!」

「さようでございます、陛下。それでもなお、もう一つ前代未
聞の栄誉を私から申し述べたいのです」

「何の事じゃ?」

「王女さまのお手を」

 氷のような沈黙に宴席が凍りついた。エレノア姫は信じられ
ずに目を見開いた。

「姫の手、じゃと?」
 叫んだ王が立ち上がった。同様に立ち上がった王の賓客たち
の顔は信じがたげにこわばっていた。
「貴様、気でも狂ったか!?」

「いいえ、陛下」
 イアーゴ伯はこれ以上ないほど落ち着き払って答えた。
「しかし、トーナメントの優勝者はレディ・ラルース。そして
陛下のお言葉に従えば、グエンドリンさまこそがエレノア姫の
御手をとる権利がございます。先ほどのように…。今この場に
ご臨席の紳士淑女の皆様方は全員、レディ・ラルースが姫君に
勝利を捧げるのをご覧になったはず。トーナメントの優勝者と
して、そしてエレノア姫の未来の伴侶として」

「グエンドリンは女じゃぞ、イアーゴ伯っ。そんなことを要求
する権利はない。聖書の教えにも反する事じゃ。女同士で結婚
などできぬ。そうであろう、ラヴィン修道士っ?」

 酒にぐったりしていた修道士はハッと目を覚まし、口ごもっ
た。
「は、なに…へ、陛下?」

「聖書によれば、女同士で結婚することはできるのか?」

「女と…女で結婚でございますか、陛下?」

「そうじゃ、余が訊いているのじゃ」

 丸々太った修道士が、正しい回答をすべく頭を整理していた
時、先にグエンドリンが口を開いた。
「陛下、よろしいでしょうか?」

 軽く手を振って、王は頷いた。

「陛下、確かに私はエレノア姫の御手をとる権利を主張しまし
た。トーナメントの時にはそれが最も賢い行動であると思われ
たからです。私はエレノア姫の『チャンピオン』となりました
が、それは私が兄の敵を討ち、アルサールのライスの勝利を阻
むためでした。陛下、私はどんな場合であっても、相手が男だ
ろうと女だろうと、その意志に反して結婚する気はございませ
ん。陛下の娘であり未来の女王であるエレノア姫が、私を伴侶
として受け入れるはずはないと存じますが」

「そうじゃな」

 全員の目が、グエンドリンからエレノア姫に移った。

「姫もそうであろう?」
 そう訊いた王の息遣いはひどく乱れていた。

「いいえ、父上。私はグエンドリンさまを我が伴侶にしたく願
います」

「ば、馬鹿を申すなっ!!女同士で結婚して、世継ぎはどうす
る気じゃ!?いったい、おまえは…」

「方法はどうとでもなりますわ。それに、私は確信しています
の。グエンドリンさまは今日のように、これからも私を守って
くださいますわ。そしてラ・ロシュ王国をサムエル王の邪悪な
企みから守ってくださいます」

 グエンドリンはエレノア姫にニッコリ笑いかけた。エレノア
姫が表明した勇気と決断に満足したかのように。

「いかんっ!余は許さんぞ!女同士で結婚するなぞ、自然の摂
理に反する事じゃ!」

「陛下」
 イアーゴが言った。
「一言よろしいですか?」

「よいとも、大法官。おぬしが引き起こしたこの混乱を自ら解
決できるのならなっ」

 王の指弾を無視して、イアーゴ伯はその黒褐色の目をしばた
たかせた。
「最も簡単な解決策は、ご自分のお言葉をお守りになることで
す、陛下。王の言葉は神聖なものですゆえ」

 ミシェル王の黄色く濁った目が、美髯の臣下を睨みつけた。
そして娘の言っていたことが正しかったのか、と訝った。

 イアーゴは裏切り者なのか?サムエルめのクロイツェルに、
ビルドスタットの金貨に買収された間諜だったのか?

「なぜそんな馬鹿なことを言うのじゃ、大法官よ。そんな婚姻
を受け入れるような貴族がここにいるとでも思うのか?反乱が
起きてからアーメンを唱えても遅いのじゃぞっ」

「全くその通りでございますな、陛下」
 あっさり認めたイアーゴは、肩を落としていた。
「そんなことは考えもいたしませんでした。差し出口をどうぞ
お許し下さい。エレノア姫の伴侶はまさに、そんな疑いの余地
など、いや全く」

「疑いの余地ですって?」
 頬を怒りで紅潮させて、エレノア姫が問い質した。
「それは、どういう意味なのっ、イアーゴ伯!」

 イアーゴはまるで王女の追求に虚をつかれたかのように、目
を白黒させた。
「疑いの余地?」
 イアーゴは言葉を選び、ゆっくりと言う。
「ああ、なるほど、そう…『魔法』ですとか…。ですがそれは、
どう考えても、ありえませんな。何と言っても、レディ・ラル
ースは国王陛下の名付け子ですし。まさかそんなことなど…。
おっと、もうこの舌をしまうことにいたしましょう、しゃべり
すぎてしまいました。さあさあ、もっと酒を…」
 そそくさとお辞儀すると、イアーゴ伯は辞去して、私兵を引
き連れ会場を出て行ってしまった。

 エレノア姫は唇を噛み、自分の怒りと憎しみを大声をあげて
露わにしたい衝動に駆られていた。父王が今の当てこすりに不
気味な沈黙に沈んでいた。イアーゴ伯の今の言いがかりは、王
の頭から離れなかった。

 王女とグエンドリンとの婚姻を阻むための完璧な手段…
 『魔法』…。
 この憎むべき罪状があれば、この金髪の貴族の娘すらも、異
端審問で有罪を宣告されれば火刑台行きに…。

 心臓がドキドキして、エレノア姫は立ち上がって退席を告げ
た。そして、椅子に座ったままのグエンドリンに言った。
「レディ・ラルースには、部屋まで付き添っていただけますか?」

「承知しました、姫さま」

 すぐさまグエンドリンは、エレノア姫とガランティーヌと共
に三人で、王が退席するまでは去るわけにいかない賓客たちで
いっぱいの会場をあとにした。

 足早に、乙女たちはエレノア姫の私室に入り、ガランティー
ヌがしっかり扉を閉めた。

「間違い、間違いありませんわ!」

「何がです、姫?」
 グエンドリンが言った。
「私が魔女だと?」

「まさか。イアーゴが罠を仕掛けたことです。そして私はその
陥穽に落ちてしまいました」

「イアーゴ伯は危険な男ですね。でも、私は心配していません。
明日にはここを離れます」

「明日?」

「ええ、姫。あなたの父王さまは自分のお言葉を守りはしない
でしょう。あのイアーゴ伯の舌鋒のおかげでね」

 エレノア姫は、見えない手で心臓を握りつぶされるような気
がした。背筋に戦慄が走った。思わず姫はグエンドリンの足元
に身を投げ出し、懇願していた。
「お願い、行かないで、お願い!」

 エレノア姫の前に膝をついたグエンドリンの魅力的な顔も、
その輝くパステルの瞳も、不安げになった。
「姫さま、行かなければ、イアーゴ伯が私に罪をかぶせて地下
牢の異端審問に送り込んでしまうでしょう。そうなったらもう、
どうしようも…」

 その時、三人は同時にハッと顔を上げた。何者かが部屋の扉
をドンドンと激しく叩いたのである。

「何者です!?」
 エレノア姫の息がかすれ、苦しげになった。

「ガイダルでございます、姫。謹んで、この扉をお開け下さい
ますよう」

 ガイダルはイアーゴ伯の従者で、赤毛で神経質なニキビ面の
背の高い男だったことを、エレノア姫は思い出した。噂では、
何人もいるイアーゴ伯の隠し子の一人だと言われていた。

「あっちに行きなさい、ガイダル。中に入ることは許しません。
さもないと父上にお伝えしますよっ」

「姫の父上様が私を遣わされたのです。入らなくてはなりませ
ん」

「何の理由で?」

 一瞬間をおいて、ガイダルが答えた。
「レディ・ラルースを『塔』にお連れします。二日間、魔女の
疑いで審問にかけられます」

***

 異端審問は手早く結論が出された。ラルースのレディ・グエ
ンドリンは、魔法と「無名のもの」との契約で有罪とされてし
まった。
 エレノア姫はこの公正な審問を装った茶番を、怒りと憤りを
もって見つめていた。国王の名付け子でありながら、ラヴィン
修道士の手で法廷から引きずりだされたグエンドリンの寂しげ
な顔が、エレノア姫の脳裏から去らなかった。
 抗議は不敬と決めつけられた。根拠のない告発とそれを支え
るバカバカしい証拠に、怒りを露わにして叫んだ。

 王国最良の騎士たちを相手にしてトーナメントを勝ち抜ける
女性なぞいない、ゆえにグエンドリンは魔女である。
 女同士で結婚しようと目論んだ、ゆえにグエンドリンは魔女
である。
 男装して、王をはじめラ・ロシュの貴賓に事実と異なり男と
思わせた、ゆえにグエンドリンは魔女である。
 そしてその強さ、卓越した剣技は明らかに「無名のもの」の
仕業である…云々。

 エレノア姫の自室の小さなバルコニーからは、王宮の召使い
達が乾いた薪の山を、愛しいグエンドリンを縛りつけるための
杭の周りに集めている様子が見えた。乾いた薪なのは、犠牲者
の身体を炎が焼いて想像も付かないほどの苦痛を与える前に、
煙で窒息してしまわないようにするためなのだ。
 イアーゴ伯もこの様子を見ているに違いない、とエレノア姫
は確信していた。

 王女はため息をついて、再び塔を見つめた。涙に潤んだ目を
必死に細め、牢獄の小窓にグエンドリンの美しい顔を見つけよ
うとした。震える手をあげて涙を拭い、情け容赦なく食らいつ
いてくる絶望と無力感に対して必死に戦った。

***

 その翌日、エレノア姫はひどい頭痛で目を覚ました。こめか
みがひどく圧迫される感じがした。窓の外を見ると、夜明けの
空が血のように赤く染まっていた。
 グエンドリンが火あぶりにされるのは正午のはずだった。エ
レノア姫は悪夢のような夜を、何度も吐きながらも、跪いたま
ま奇跡の起こることを祈り続けた。だが日が昇っても奇跡はま
だ起こらなかった。

 しかし、奇跡は起ころうとしていた。…恐るべき代価と共に。

 最初は噂だったが、やがてそれは確実になった。
 サムエル王とその軍勢が、ラ・ロシュに侵攻してきたのであ
る。息子の死の復讐のために。
 試合は不公正だった…ただの人間を、魔女と戦わせたのだ、
と。

 エレノア姫の父は従弟をなだめるべく、魔女を渡す代わりに
サムエルに退却するよう使者を送ったが、ビルドスタットの王
は使者たちを皆殺しにしてしまった。

 ラ・ロシュは包囲され、城壁の内側にも王宮内にも恐慌と混
乱が湧き上がった。
 エレノア姫はガランティーヌを呼び寄せると、二人はグエン
ドリンを救い出しに行った。それが自分たちにできる最後のこ
とになろうとも…。
 包囲は月単位になるかと思われていたが、裏切り者が跳ね橋
を降ろして正門を開けてしまったために、僅か一時間で籠城は
終わってしまった。

 きっとまたイアーゴのしわざ…。
 エレノアはそう思いながら、王家の者しか知らない塔に抜け
る秘密の通路を駆け抜けていった。

 エレノア姫とガランティーヌが塔の広間に駆け出してみると、
十二人の兵士が剣を抜いた。その中にガイダルがいることにエ
レノア姫はすぐ気づいた。

「ガイダルっ、父上の命令です!レディ・ラルースを釈放しな
さい。私と同行して、サムエル王に直談判します!」

「それはもう手遅れです」
 落ち着きを保とうとしながら、ガイダルが答えた。

「私は秘密の出口を知っています。もしグエンドリンさまを釈
放すれば、あなたにもそれを教えてあげます。さもなくば、あ
なたも父親と同じようにサムエル王の手にかかって死ぬことに
なりますよ」

「わ、私の父ですと?どういう意味です?」

「イアーゴ伯はつい先ほど、サムエル王の手の者に殺されたそ
うです」
 エレノア姫は壁の小窓を指差して言った。
「外を見てみれば、私の言葉が真実だとわかるはずです」

 その言葉に従って外を見たガイダルのニキビだらけの青白い
顔色が、さらに青くなった。暫くためらっていたガイダルだっ
たが、やがて配下の者の顔を見て、そして待ち受けている女性
たちを見た。塔の剥き出しの壁を通じて、外から恐怖の叫び声
と、剣と鎧がガシャガシャと鳴る音が塔の中に反響した。

「魔女を解き放て」
 怒りを押し殺すかのように目を伏せて、ガイダルが言った。
「あの忌々しい魔女を解き放て」

***

 三人の乙女と十二人の護衛は、長い秘密のトンネルを一時間
もかけて抜けた。一行が辺りを見回すと、そこは妖精が住むと
いう魔法の森と言われる「吐息の森」の裾野だった。
 振り向いたエレノア姫は、ラ・ロシュ城を見て息を呑んだ。

「ラ・ロシュが燃えている!」
 ガランティーヌが悲痛に叫んだ。
「ああ、神よ!」

 聳える城楼から煙が立ちのぼっているのを目にして、エレノ
ア姫は絶叫した。
「母上!父上!神よ!殺されてしまった、みんな殺されてしま
った!ああ、神様!」

 グエンドリンは泣きわめく王女の苦痛を自ら感じながらも、
必死でもがくエレノア姫を落ち着かせようとした。両親を失う
ことがどんな気持ちか、グエンドリンも知っていた。「孤児」
という言葉の意味もわかっていた。
 だがようやくエレノア姫も、グエンドリンの腕の中で優しい
声と静かな吟遊詩人の歌を耳にして、静かになって眠りの中に
沈んでいったのである。

***

 十日の昼と夜を経て、三人の乙女と即席の護衛隊はラルース
公領にたどり着いた。
 グエンドリンが領民からいかに慕われているかを目にして、
エレノア姫は畏敬の念を抱いた。男女貴賤を問わず、グエンド
リンの帰還を歓声をあげて迎えたのである。
 ラ・ロシュの落城はすでに伝わっており、あちこちでラ・ロ
シュの敗北に対して逆襲を叫ぶ声が聞こえていた。

 だが、エレノア姫にとってもグエンドリンにとっても、今は
まだ、最も重要なことは復讐ではなかったのである。

***

 先祖伝来のグエンドリンの居城で、ゆったりと入浴をとった
後、二人の乙女は面と向かい合っていた。

「エレノア姫」

「はい?」

「私と結婚してくださる?」

 まだ悲しみに心は沈んでいたものの、エレノア姫は微笑した。

「どう?」
 グエンドリンが訊き直す。

「お受けしますわ」

 今度はグエンドリンが微笑し、エレノア姫の温かな手をぐっ
と握りしめた。

 口づけ。そして、愛の営みがそのあとに続いたのは、言わず
もがな。
 
 

 

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