サード・ジェネシス

第0話:プロローグ

 第3新東京市にどんな異変が起こっても、日本国中の耳目を
集めることはなかった。奇妙なことに、大半の国民は第3新東
京市が存在することすら意識していなかった。あたかも巨大な
心理的盲点が第3新東京市とその周辺地域を覆ってしまい、あ
らゆる人がその存在に気づいていないかのようだった。そして
長年にわたって日本政府が第3新東京市に資金と資材を注ぎ込
んできたというのに、誰一人としてその詳細を知らないらしい、
というとことん奇妙で、精選し尽くされた「非覚醒」が支配し
ていた。

 だが、あの核に匹敵する大爆発が全てを変えた。爆発ととも
に警報が国じゅうに鳴り響き、悪しき謎の物体が空に現れた。
自衛隊の一部が命令の無いまま攻撃し、謎の飛行メカがそこに
集結し、人工衛星が奇妙なエネルギーの炸裂を観測する中、日
本政府は公式見解を出すのに大わらわだった。

 狂気が集結したわずか数時間後、緊急対策チームが廃墟と化
した街を発見した。そしてズタズタに切り刻まれた量産型エヴ
ァの群れ、そしてこの世の物とは思われない謎の湖(後の調査
でわかったが、この水はLCLだった)を。
 その湖の畔で二人の少年と少女が波に洗われていた。二人と
も極度に消耗していた。少年に外傷はなかったが、肉体は全く
の無反応で、ただ空を空しく見上げるばかりだった。一方、少
女は引き裂かれたプラグスーツ姿で、全身傷だらけで、なぜか
片目を失明していた。

「離してえええっ!」
 絶叫したアスカが医療班の一人を殴りつけ、後ろにまで吹っ
飛ばした。みぞおちへの膝蹴り一発で大の男が長々とのびた。
少女は野獣のような雄叫びとともに、目を燃え上がらせ、残り
の人々に突進した。

 NGOの医師・水野アミがさっと身を翻し、驚くほどの敏捷
さでサイドステップを使い、手刀の一撃をアスカの首筋に加え
た。昏倒するアスカをさっと抱き留める。
「そこに」
 そう言うとアミはそっと少女を横たえた。

「今のは…?」
 スタッフの女性が驚愕して目を見開いた。

「親友に、格闘技の達人がいてね」
 アミはそう言いながら、倒れた少女を見やった。そして注意
深く片目を開け、ライトで奥を照らす。
「自動反応がないわ」
 眉をひそめたアミは、インターンたちを手招きした。
「この子たちを医療テントに運んで。この女の子は意識を取り
戻したらチェックする必要があるから」

 そこに響いた悲鳴に、全員の視線が湖に向けられた。粘液の
中から人の姿が現れたのだ。ほぼ全裸のその男は、よろめきな
がら地面に崩れ落ちた。茶髪の若い男は倒れたままぶるぶる震
え、呻いていた。医療スタッフが助け出そうと駆け寄っていっ
た。

「もしもし、そのまま動かないでください」
 明るい茶髪の看護師の女性が男を抱えるようにして仰向けに
させたが、カッと目を見開いていたままの男の顔に軽くショッ
クを受けた。

「…青葉…シゲル…」
 呟く男。
「ネルフの認識番号は…」

「ネルフの職員?」
 男にこれほどの恐怖をもたらしたのは何なのか、アミは訝し
んだ。男の肩に手を置き、アミはそっと尋ねる。
「ここで何があったの?」

 青葉はアミをしばらくぼんやり見つめていたが、やがて小声
で呟いた。
「攻撃された…軍隊が襲ってきて…襲撃されて、どうしようも
なくて、司令室も収拾できなくなって…」

「それから?」
 看護婦が促す。

「レイ」
 引きつった笑いに歪む青葉の口。
「レイ。レイだ。レイが!レイがっ!レイがあああああっ!!」

 青葉は激しくのたうちだし、痙攣し、身をよじりだしたので、
スタッフが慌てて押さえつけようとする。

「トランキライザーを!」
 アミは青葉の片手を押さえつけながら叫んだ。看護師が大慌
てで注射器を用意する。

「たいへん、もっと来るわ…」
 別の看護師が嘆息混じりに言った。さらに大勢の人々が謎の
粘液の湖から次々と姿を現しだしたのだ。

 幸いなことに青葉のように精神にダメージを受けている人は
おらず、姿を現した人々の反応は全く異なっていた。その一人、
葛城ミサトは最もこの体験の影響を受けていないらしく、借り
着を着るやいなや、すぐさま対策チームと一緒になって、出現
してくる人々のケアに当たった。
 硬直している人、茫然自失の人、そして最も多かったのは、
一種の「宗教的体験」を味わった人々だった。

 一人また一人と人々が現れるとともに、湖は「収縮」してい
くように見え、人々が中から出ていくごとに小さくなっていっ
た。人々は湖の中での体験を「集団的精神」とか「大霊(オー
バーソウル)」などと表現した。まるで人と人の間の障壁が全
て打ち砕かれ、全員が一つになったかのように。だが、それを
受容できた人もいるようだが、大多数は…そこまではいかなか
ったようだ。

***

 「事件」から一週間以上たったある日、安静にして眠る青葉
シゲルを、どこか寂しげにミサトは見下ろしていた。
「青葉君は…しっかりした人だったのに」
 呟くミサト。
「どうしてあんなひどい反応を?」

「人々に何が起こったのか、いくつか聞き取り調査をしました」
 アミが静かに言う。
「全員、親しい友人や恋人が姿を現した、と言っています」

「私は加持君を見たわ」
 ミサトが言った。
「それで?」

「この人の言葉から判断すれば」
 アミが言う。
「彼には親しい存在がいなくて、なぜか、そのレイというのが
…彼を圧倒してしまった、と」

 ミサトは目に見えるほど顔を歪めた。
「回復する?」
 長い間補佐をしてくれた若者を見下ろしながら、ミサトは静
かに訊いた。

「時間をかけたぶんだけ、落ち着いていくでしょう」
 曖昧に答えるアミ。
「それ以上のことは、何とも」

 二人は医療テントを出て、LCLの湖のあった場所のそばの、
ブルドーザーで整地されたエリアに立った。第3新東京市の多
くの地で土木工事チームによって再建が始められ、復興が進め
られる一方、いったい何が起こったのかという謎は継続したま
まだった。調査班はマギのファイルやそれ以外のデータを徹底
的に調べたが、全貌を把握するのは長期間のプロジェクトにな
るだろう。

「じゃあ、全ては幻覚だった、ってこと?」
 二人で廃墟を見渡しながら、ミサトが言った。

「わかりません」
 アミが答えた。
「明らかだと言えるのは、ゼーレがリリスの本体を発見したか
捕獲したかして、今度はそれが自由になろうとした。セカンド
インパクトの発生も、使徒たちの襲来も、リリスが自由を得よ
うとした結果だ、というのは間違いないでしょう」

「それにゼーレと碇ゲンドウの策略が絡み合った、と」
 渋面でミサトが言い加え、首を横に振った。
「何が現実で何が現実じゃないかは、今この時点ではどうでも
いいわ。対処すべき重大問題に直面している真っ最中の今はね」

 ミサトが言っているのは、現状を「掌握」しようと乗り込ん
できた軍隊のことだった。ミサトは徹頭徹尾軍隊に一個人とし
て牽制していたが、軍隊はそれでも事態を進めようとしていた。
生還者の一人を保護下に置き、マギからリカバリしたデータフ
ァイルを元に赤木リツコを殺人罪で告発しようとしている。

「この事態にどう対処するおつもりです?」
 アミが興味津々で訊く。

「連中の頭越しに行くわ」
 ミサトがゾッとするような笑いを浮かべる。

 アミも苦笑した。
「それは貴女が国連との安全なラインを持っている理由と関係
か?」

 ミサトはニヤッと笑っただけだった。

 二人が話しているところに、看護師がクリップボードを小脇
に抱えてやって来た。
「ご要望の生還者リストです、葛城三佐」
 そう言って書類を手渡すと、看護師はその場を離れた。

 自分の仕事にかかるミサトの姿に、アミはミサトの持つ個人
の精神力の強さにあっけにとられた。あの心が壊れた青葉の姿
に発憤したこともあったが、以前には明らかに無かった懐の深
さが備わっていたのだ。何をどのように言うべきか自覚しつつ
も、あからさまに他者を意のままにするような鋭利さはない。
その姿は非常に魅力的で、アミはこの美女をもっと近くで観察
していたいと思った。

「これだけの人々が、家族も含めて、再建のために残ってくれ
るなんて、驚きだわ」
 リストに目を通しながらミサトが言った。時折まゆをひそめ、
やがてミサトはアミを見やった。
「負傷が治っていた人と、そうでない人がいるのはなぜかわか
る?」

「想像ですけど」
 アミが答える。
「貴女を含んだ少数はLCLにほぼ完全に馴染んでいて、他の
人はそうではなかったからかと」

「それでトウジ君の説明がつくわ」
 嘆息するミサト。

「申し訳ありませんが、これで失礼します」
 アミが静かに言った。
「医療班はもう大半が引き上げましたから、今ごろは落ち着い
て、市内の病院がバックアップに奔走しているでしょう」

「ご助力感謝するわ」
 ミサトは固く握手し、そして言った。
「貴女のチームは素晴らしい働きだったわ」
 そして皮肉っぽく言い添える。
「病院の連中とは雲泥の差よ」

「アスカさんのことですか?」
 アミが察したのは、その内的外傷に苦しむ少女の扱いに困っ
ているという話を聞いていたからだった。

「今後も助言をお願いしたいわ」
 期待を込めてミサトが尋ねた。
「貴女の洞察力はどの分野でも通じそうだから」

「可能なときにうかがいます」
 アミが言った。

「それでいいわ」
 ミサトはそう言って、他の様子を見にその場を離れていった。

 アミはテントの外で佇みながら、崩壊したジオフロントを見
渡した。ネルフ本部は白日の下に晒され、街は混乱から徐々に
立ち上がりつつある。これがこの街と住民の再生なのだろうが、
アミ自身はその一部になりたくはなかった。この次に何が起こ
るのか、まだまだこの目で知りたかったからである。

 

続く

 

第1話に続く

 

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