サード・ジェネシス

第2話

 電話のベルが甲高く響き、そしてまた鳴った。
 シーツの下から手が、手探りで伸びる。空のグラスが床に落
ち、次に本が落ちかけたところで、やっと受話器を掴むとシー
ツの中にのろのろと引きずり込む。

「もしもし〜?」
 寝ぼけた声で電話に出る。少しの間が置かれる。
「…はいぃ、伊吹マヤですぅ。はいぃ、私ですぅ」

 長い沈黙が続くうちに、眠っていた精神がゆっくりと動き出
した。
 いきなりマヤはベッドの上にガバッと起きあがり、茶色の瞳
を見開いて、寝癖でボサボサの黒いショートヘアを逆立ててシ
ーツを腰のところにかき寄せた。

「み、ミサトさんですか?」
 思わず叫んだマヤ。

 ミサトの明朗快活な声が大きく明瞭に響いてきた。
『その声だと、やっと目が醒めたみたいね』

「どんなご用件で?」
 ドキドキしながらマヤが訊く。

 ミサトが静かに言った。
『マヤちゃんに戻ってきてほしいの。ネルフは再始動したわ。
マヤちゃんの助けが必要なのよ』

「私、もう辞めた人間ですから」
 念押しするマヤ。
「先輩があんなことになっちゃって、だから…」
 リツコのことを思うと、早く埋めてしまいたかった苦痛が爆
発しそうだった。

『わかってるわ』
 ミサトは認めた。数秒の間を置いたミサトに、マヤは電話の
向こうで何が起きたのかと訝しがった。
『ただね〜、リツコの方が本気でマヤちゃんの助けがいると思
うんだけどな』
 いつもの口調でミサトが言った。

「先輩、そこにいるんですか?」
 ハッと息を呑むマヤ。

『免職されたリツコを世話する義理はないんだけどね』
 そう言うミサトの声はやけに愉快そうである。
『でも、懲罰としてリツコをネルフ科学班の知恵袋に任命する
ことは出来たってわけよ』
 一瞬の沈黙。
『今のところちょっとばかりゴタゴタした状態ではあるけどね。
で、ネルフへの復帰について、マヤちゃん、興味はおあり?』

 マヤは躊躇すらしなかった。
「行きます。いつ行けばいいですか?」

『出来るだけ早く来てくれるかな』
 安堵したミサトが答える。
『リツコは明日、第3新東京に来ることになってるから、それ
までにはマヤちゃんもここに来てくれる?』

「行きますっ」
 ハッキリとマヤは返事をした。本部の入っているビルの場所
と、市内に住むための新居の場所を確認して、マヤはそっと受
話器を戻した。

 マヤは今の東京の部屋を見回し、すでに引っ越しに必要な詳
細を考えていた。まず最初に、家主に電話してすぐに引っ越さ
なくてはならなくなったことを伝えた。それから、衣類を荷造
りし始めた。

 出来るだけコンパクトに荷造りされたマヤの荷物のほとんど
は箱詰めされ、それからマヤはタンスの一番下の引き出しに手
をかけた。そこを引くと、ビニールに梱包されたまま押し込ま
れていた物を取り出した。

 びりびりとビニールを破くと、中にあったのはマヤのネルフ
の制服だった。辞職した時にどうしてこんなにきちんと制服を
しまっていたんだろうと思ったが、そのわけはわからなかった。
それよりも、マヤはミサトの電話からずっと心にわき上がる思
いを抑えるのに必死だった。

『また先輩に逢える!』

***

 翌朝、早朝からとっくにマヤの準備は万端だった。東京住ま
いの間に出来た数人の友人を呼び、荷物に入りきらなかったも
のを餞別に渡し、出発の用意をした。
 マヤが東京に来たのは、第2、第3新東京から、その町が思
い出させてしまうもの全てから離れたかったからだった。せめ
て可能な限り当たり前の生活が欲しかったのだった。

 電車に乗って、まずは東京から第2新東京に向かう。
 旧市街の人々が身近にすぐ「未来都市」を見に行けるゆえに、
人気の路線である。流れていく車窓のビル群を眺めながら、マ
ヤは物思いにふけった。

 マヤは最後に起きた出来事を…少なくともマヤ自身にとって
は事実だと思われたことを、思い出していた。
 軍隊がネルフ本部に侵入し、マヤはコントロールパネルの下
にしゃがみ込んで助けを待つしかなかった。いや、マヤ自身正
直に言って、死を待っていたと言うべきだった。
 そして…あれが起きた。

 銃声が、爆発音が、あらゆることがゆっくりになっていき、
そしてついに止まった。そしてあの人が天井を通り抜けて温か
い微笑みと共に舞い降りてきた。
 リツコの、亡霊が。

『でも先輩は生きてるって』
 眉を寄せて考え込むマヤ。
『それじゃ、私が見たのは何だったの?』

 その後の記憶はひどくぼやけていた。ようやく我に返ったマ
ヤは、元の通りネルフの中央制御室でうずくまったまま、戦闘
終了を告げる誰かの館内アナウンスを聞いていたのだった。

 その後の数日は大混乱だった。
 ミサトは病院で生死の境を彷徨っていた。リツコは碇ゲンド
ウ殺害未遂容疑で軍事病院に軟禁された。レイは姿を消し、シ
ンジは昏睡状態。エヴァは全機損壊、または喪失していた。

 ついに限界に達したマヤは、直接の上司に辞表を出した。マ
ヤは二度と戻らないつもりでネルフを去った。

『あの件についてはもういいわよね』
 マヤは眉をひそめた。

 第2新東京市に到着すると、マヤは迂回路を通って次の汽車
に乗り換えた。そして化粧室で着替えをし、あのなじみ深い、
着慣れた制服に再び袖を通した。そして軍用車両に向かう途中
ずっと、マヤは好奇心とわずかな敬意の入り交じった視線を感
じていた。車中で車掌にネルフ専用パスを見せると、車掌が略
式の敬礼をした。

『いったい、どうしちゃったのかな?』
 訝しがるマヤ。

 マヤが、まだ若い黒髪の女性の横の席に腰掛けると、その女
性が大きな瞳でマヤを見つめた。
「失礼ですけど、ネルフのスタッフの方ですか〜?」
 勢い込んで訊く少女。

 ビックリしたマヤが目を白黒させる。
「そ、そうですけど…」

 少女は嬉しそうに実に感激の声をあげた。
「あのネルフ本部の銃撃戦の時にも現場にいたんですか〜?」
 少女が熱く尋ねた。

「ええ」
 マヤは用心しつつ答える。

「はにはに〜、それって、どんな様子だったんですか?」
 息を詰まらせて少女はマヤを見上げた。

「大混乱だったわ」
 マヤがハッと気を取り直す。
「あなたは?」

「あ、いけない」
 赤面する少女。
「私、ナコっていいますう〜」

 マヤは、大きなまん丸眼鏡を鼻の上にかけたこの少女を見つ
めながら、以前に思っていた以上に早くこの通勤時間が短くな
ってほしいと本気で思ってしまっていた。
 でもマヤは下車しつつも、この新たな知人がまだ先の駅まで
行かなくてはならないことにちょっぴり申し訳ない気持ちを抱
いていた。

 マヤは周囲を見回して、そして超ハイテク都市の中を歩いて
いった。

「5階だっけ」
 つぶやきながらマヤは、メモに走り書きした場所をせわしく
確認つつ、当該の階でエレベータを降りた。
「5−Cのオフィスは…」
 廊下を行って、まもなく何も表示のないオフィスを見つける
ことができた。左側が5−Bで、右側が5−Dだったからであ
る。

『ここに間違いないわ』
 そう思いながらマヤは、ドアに手をかけた。ドアが開けよう
としたとたん、聞き慣れた声がマヤの耳に飛び込んできた。

「…私たち、発見したのよ、綾波レイを」
 そう言い終えたところのミサト。

 一瞬の間が空いて、リツコの声。
「綾波レイを?それは、別のクローン体ってこと?」

 マヤは手を引っ込めて、扉をノックした。

「どうぞ」
 ミサトが呼びかけた。

 マヤはドアを開けて、ミサトの前に進み出た。
「伊吹マヤ、出頭いたしました、司令」

 居住まいを正してリツコが自分を見つめる視線に、マヤは相
好を崩さないように必死だった。

「ミサトさんでいいわよ」
 黒髪の美女が苦笑した。
「あんまり軍隊式過ぎるのは苦手だから」

「マヤ」
 微笑むリツコ。
「また会えてよかったわ」
 金髪の美女が神経質に髪をかき上げると、顔が青ざめている
のが露わになった。

『そうか、先輩は退院してまだ間もなかったんだっけ…』
 そう思ったマヤは自制するのも忘れて訊いた。
「先輩、ちゃんと身体を休めているんですか?」

 赤面したリツコが、顔を伏せてつぶやく。
「こんな時に、母親の小言みたいなこと言わないで」

 脇腹を押さえて少し顔をしかめながら、ミサトがカウチから
立ち上がった。
「私たち二人とも、大丈夫よ、ぜ〜んぜん平気」

 ミサトに微笑したマヤは、心の中で「ありがとうございます」
とつぶやいた。

 ミサトも微笑みを返す。
「さ、二人とも今日この後はオフにして落ち着きなさいな」

「でも…」
 リツコが言いかける。

 イタズラっぽく微笑みながら、ミサトが言った。
「二人っきりになれる時間をあげるって言ってんのよっ」
 

*今回のゲスト:神維那己(鋼鉄天使くるみ2式) 

 

続く

 

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