サード・ジェネシス
第3話
見るからに疲れ果てた様子で、葛城ミサトがカードキーを使 って、アパートの新居の扉を開けたとたん、素早くかがみ込ん で廊下をダッシュで駆け寄ってくるペンギンを押しとどめなく てはならなかった。 「はあい、ペンペン、ただいま」 つぶやくミサト。 ミサトは周りを見渡しながら、一週間前に引っ越してきた時 には新築でピカピカだったのに、と思いながら首を振った。だ が今や室内は散らかし放題で、テイクアウトの食事の容器があ りとあらゆる場所に散乱し、ビールの空き缶が前衛芸術的に散 らばっていた。 「やれやれ、ようやくここも『自分ち』らしくなってきたわね」 何かを求めて見上げているペンペンに、ミサトは笑いかけた。 まずはペンペンのために餌のパックを開けてから、ミサトは 今夜の自分の夕食を何にするか考えだした。宅配は面倒くさい ので、ミサトは冷凍ディナーを取り出して電子レンジに放り込 んだ。 腰を下ろして電子レンジが魔法をかけ終わるのを待ちながら、 ミサトは昼閧ノ起きた出来事を反芻し始めていた。 リツコの復職は、まったくのところミサトにとっては天の配 剤だった。あの頭脳明晰な金髪の女性科学者が戻ってきて技術 面を統括してくれれば、自分の両肩にのしかかったとんでもな い重荷も軽くなるというものだった。ミサトは自分の得意分野 である、軍や政治家との折衝にだけ専念できるわけである。 『その方がリツコも、私からあれこれ御託を並べられなくてす むし』 ミサトはそう思いながら、悪戯っぽく笑った。 『それに、リツコのそばにおじゃま虫がいない方がいいもんね、 マヤちゃん』 伊吹マヤが戻ったことは、リツコと同じくらいミサトにとっ ては救いの手だった。この年若い女性は使徒との戦い全てを通 じてずっとコントロールに詰めており、そしてたくさんのスタ ッフが斃れていくのを目にしてきた。今やマヤは有能な人材に 成長していたし、それにミサトがかつて昇進した時も、マヤの 助力に負うところが大だった。 ミサトは立ち上がって料理を出してから、大回りして冷蔵庫 からお気に入りの缶ビールを取り出した。 「あああ〜〜〜っ、生き返るわ〜〜〜」 グイッとひと飲みして、ぷわっと幸せな息を吐くミサト。 そしてがばっと料理に箸を付け、口いっぱいに頬張り、そし てビールで流し込んでいくのを反復する。食べ終わると、ミサ トは食器を押しのけ、ほっと息を吐いた。 『二人とも、かわいかったなあ』 昼に、マヤがリツコをそっと促しながら一緒に早退していっ た様子を思い出しながら、ミサトは思った。 『マヤちゃん、リツコにあんなにベタ惚れなのに、リツコった ら気がつかないんだから…。それとも、気づかないふりをして るだけなのかな』 だが、マヤのことを考えているうちに、ミサトは同じ髪の色 の別の人物の姿を思い出していた。思い出したくない、その人 の姿を。 ミサトは目を閉じて、自分の負った傷の痛みなど問題になら ないような苦痛を感じていた。 『シンジ君』 苦しげに思いおこすミサト。 軍隊がネルフを奇襲攻撃をかけてきたあの時、少年はすっか り打ちのめされていた。シンジは、自動操縦に切り替えられた エヴァの手に捕らえられ握りつぶされようとしていた親友を殺 すことを強いられた直後だった。 そんなシンジをミサトはエヴァにまで引きずっていったのだ った。いま思えば罪悪感で冷や汗がまだ流れてしまう行為だっ たが、しかしその時ミサトにできたことは、自分の身体を楯に してシンジをエヴァに乗り込ませることだけだったのだ。 『私は、シンちゃんを救いたいと思ったのに』 ミサトはあの戦いで受けた致命的な銃弾の傷を思い出した。 『シンちゃんを守りたかったのに』 だが、後にミサトが知ったのは、最悪で気が狂いそうな事態 が起こり、あの哀れなシンジはその真っ直中に呑み込まれてし まったということだった。 正確には、何がシンジの身の上に起きたのか誰にもわからな かった。一部始終を記録していた偵察衛星写真を再生しても、 どう控えめに見たところでわけがわからなかった。はっきりし ていたのは、シンジとアスカが意識不明で発見され、綾波レイ とエヴァ初号機はともに消失し、そしてシンジがどうしても目 を覚まさないことだけだった。 最初の数日は、シンジの昏睡はあまりの消耗のせいであろう と思われていた。だが、アスカが意識を取り戻しても、シンジ は目を覚まさず、人々は不安になった。医療チームは、肉体的 には何の問題も発見できず、精神医たちは蓄積されたストレス がこの少年にはあまりにも大きすぎたのだろうと推測するのみ だった。 『それに、アスカよ』 厳しい顔でミサトは思った。あの大量生産型エヴァの群れに 弐号機は破壊され、完全にバラバラにされる寸前だった。それ が少女の心に凄まじい心的外傷を残したのだった。 『そのアスカに、私たちは明日面会に行き、そして再びエヴァ に乗ってもらうように説得しなくちゃならないなんて』 ため息をつくミサト。 「明日は一日じゅう布団をかぶっていられたらいいのにね」 ミサトはペンペンに声をかけたが、ペンペンは知らん顔だっ た。 ミサトは冷蔵庫に目をやると、缶ビールを数本、凄まじい勢 いで持ち出してきて、今の苦痛が和らぐまでかっくらった。 『意識まで失いそう(汗)』 そう思ったミサトは、ビールの回った頭をクラクラさせなが ら、寝室に向かって、落ち着かない夜の眠りについたのだった。 *** 翌朝、自分の住むビルの外でリツコとマヤに出会ったミサト は、落胆のため息をつかずにはいられなかった。 『何よ、昨日と物腰がさっぱり変わってないじゃないの』 苛立つミサト。 『せっかく半日も二人っきりでいられる時間をあげたのに、な んにも無かったっていうの?かんべんしてよね』 「どうかした?」 リツコが不思議そうに訊く。 「何でもないわよ」 ミサトはため息をついて、二人を路駐のジープにまで連れて 行った。 「マヤちゃん、運転して」 「はい」 マヤはニッコリ笑って運転席に乗り込んだ。二人がまだ席を 決める前にマヤが言った。 「先輩、前に乗ってもらえますか?」 「え、ええ」 ハッとしたリツコの頬にほんのり赤みがさした。リツコは振 り返ってミサトに訊く。 「そ、それで、これからどこに行くの?」 「市民病院よ」 ホッと息を吐くミサト。 「マヤちゃん、場所わかる?」 その問いかけに直接答える代わりに、マヤはジープを発進さ せた。一番近道で効率のいいルートを選んで第3新東京市を駆 け抜けたジープは、わずか数分で目的地に到着していた。 「何か訊きました?」 ニッコリ笑うマヤ。 下車しながらマヤが静かに言い添える。 「こんな事もあろうかと、街の地図をすぐに暗記したんです」 IDカードをフロントに提出した三人だったが、自分たちが すぐに周囲から注目の的になったことに気づいてくすぐったく 思った。 「ネルフ最後の砦」と、三人とそしてあの最後の戦いのこと を誰かが囁くのが耳に入って、ミサトはそいつをぶん殴りたい と思った。 そんなヒロイックなものなんかじゃなかった。狂気と、混沌 と、血にまみれ、力を合わせなくてはならないはずの人々が、 互いに殺し合いをしたのだ。なのに、現場にいた者はみなある 種の伝説に祭り上げられてしまっていた。 ミサトはそんなふうに扱われるのを、仕方がないとはいえ、 恥ずかしく思わずにはいられなかった。 「アスカは上の階よ」 そう言ってミサトは二人を連れて、エレベーターに乗り込ん だ。 一緒に中に入ると、ミサトが最上階のボタンを押した。 以前のミサトの説明を聞いていなかったマヤが訊いた。 「アスカちゃんは、どうなんですか?」 「肉体的には回復してるわ」 冷静にマヤに答えたミサトだったが、アスカの精神状態につ いては口にしないことにした。 目的の階につくと、三人は長い廊下を歩いて、奥のドアまで たどり着き、ミサトがしっかりとノックした。 「あっち行ってよっ」 聞き慣れた声で、返事が返ってきた。 「私よ、ミサトよ」 呼びかけるミサト。 一瞬の沈黙の後、アスカは言った。 「…どうぞ」 窓辺に佇む包帯だらけの少女を目にした瞬間、おかしな錯覚 が襲った。白い包帯で首から腕を吊った少女の姿は、怖いほど に綾波レイそっくりだった。 だが、振り返った少女の赤毛が鮮やかになびくと、その幻影 は消え去った。 「おはよう、アスカ」 リツコはばつの悪そうに白衣のポケットに両手を突っ込んだ。 マヤはリツコの背後でためらい、何を言ったらいいのかわから ない様子だった。 その二人から微妙に距離をとって、ミサトが言った。 「今朝はいきなり殴りかかってこないのね」 ミサトは自分の頬に手を当てて、消えかかっていた痣に触れ た。 「今朝はやめとく」 苦笑しながら、アスカは右目で三人を油断なく睨む。左目に は包帯が巻かれ、視力を失った瞳をその下に隠していた。 ミサトは真っ直ぐアスカの視線を見据え、その目からアスカ が何を考えているか読み取ろうとした。アスカの憤りと激しい 気性を考えると、それはたやすくはなかったが。 「頼むから、医者にも八つ当たりして殴ったりしないでね」 ミサトが呟く。 「向こうはあくまで仕事でやってるんだから」 「もしまたアタシをベッドに縛りつけようとしたら」 包帯が巻かれた腕をさするアスカ。 「しかるべき報いってやつを喰らわせてやるわよ」 ミサトも、リツコもマヤも困り顔で立ちつくすばかりだった。 しなければならないことをまずは伝えなくてはと口を開きか けたミサトだったが、どうにもうまくいきそうにはなかった。 ミサトは考え込まずにはいられなかった。 『本当にアスカにこのまままた押しつけてしまっていいのかし ら?』 「…エヴァのパイロット、やるわよ」 アスカはそう言って、また窓に顔を向けた。 静寂が時間を支配した。 ミサトがやっとのことで口にした。 「い、いま、何て?」 イタズラっぽい笑みを顔に浮かべ、アスカが三人を見やった。 「言ったでしょ。エヴァのパイロット、やってあげる」 「本気なの?」 リツコが静かに問いかける。 「それが、アタシのできることだもの」 呟くアスカ。 「それが、アタシが上手くやれることだもの。シンジのことな ら聞いたわよ。だったら、他に選択肢はあまりないじゃないの」 「他にパイロットが見つけられるものなら」 呟きながらミサトがそっとアスカのそばに寄り添った。 「私もアスカを、あの操縦席に押し込みたくなんかないわよ」 アスカがその言葉をありがたく思いながら見上げると、ミサ トは赤毛の少女の肩にそっと手をかけた。 「怖くないって言えば嘘になるけど」 呟くアスカ。 「でも、自分にはやれるって確信があるの」 ミサトは微かに頷いた。 「わかったわ」 そして微笑を浮かべる。 「我らがエースパイロットのカムバック、最高よ」 アスカは殺風景な病室を嫌悪感も露わに見回した。 「で、すぐにここから退院できるの?」 リツコがアスカのカルテを手にする。 「ただの観察期間ね。大した問題なく、一緒にここを出られる と思うわよ」 「服をとってきますね」 マヤが出て行こうとする。 「できれば、アイパッチも見つけてきてくれる?」 マヤの後ろから、アスカが声をかけた。そしてミサトに向き なおった時には、すでにあの自信に満ちた顔に戻っていた。 「それで、お次は?」 笑みが漏れないようにしながら、ミサトが言った。 「綾波レイに、会いに行くわ」 沈黙の時間の中、アスカが驚愕に満ちた右目でミサトを見つ めた。 「…何ですって?」 アスカには、そう言うのがやっとだった。
続く
How did you like about this story? Please tell me in my LOUNGE BBS.