サード・ジェネシス
第4話
『変ね、なんて平和そうな眺めなのかしら』 赤毛の美少女は夢見心地だった。その唇にはほんの少し笑み が浮かんでいる。 『まるで、なんにもなかったみたい』 第3新東京市を見渡しながら耽っていた物思いを中断させる、 病室のドアをはっきりノックする音がアスカの耳に入った。 カッとしたアスカが、ノックした誰かに言い返した。 「あっち行ってよっ!」 「私よ、ミサトよ」 声が聞こえた。 はあ〜っと息を吐いて、アスカは静かに言った。 「…どうぞ」 ミサトと、リツコとマヤが一緒に部屋に入ってきた。前にも こうして一緒の三人を何度も見たことはあった。だが、その時 と違って今は、こうして両腕を包帯で巻かれ、右目だけで三人 を見やっている。 「おはよう、アスカ」 そう言って、ばつの悪そうに白衣のポケットに両手を突っ込 んだリツコに、アスカは笑い出さないように必死だった。 リツコの背後で様子を窺うマヤも、何を言ったらいいのかさ っぱりわからないようだった。 『なによ、二人でいい雰囲気じゃん』 金髪と黒髪の二人を見やって、アスカはちょっと引っかかっ た。そして、ミサトが二人から微妙に距離をとってあげている ことにも気づいた。 「今朝はいきなり殴りかかってこないのね」 自分の頬に手を当てたミサトは、消えかかっていた痣に触れ た。 「今朝は止めとく」 アスカは笑って答えた。 ミサトも笑顔で返す。 「頼むから、医者にも八つ当たりして殴ったりしないでね」 ミサトが呟いた。 「向こうはあくまで仕事でやってるんだから」 この言葉にいきなりかっとなった自分を押さえて、アスカは ニヤリと白い歯を見せた。 「もしまたアタシをベッドに縛りつけようとしたら」 アブナイ口調で言いながら、アスカは無意識に包帯が巻かれ た腕をさすっていた。 「しかるべき報いってやつを喰らわせてやるわよ」 困り顔で立ちつくすミサトと、リツコとマヤを、アスカはじ っと見つめた。 互いに顔を見合わせている三人に、アスカは爆笑したくなっ た。三人の狙いが何で、何のためにここに来たのかは明らかだ った。 ま、焦らすのはここまでにしてあげるわ。 「…エヴァのパイロット、やるわよ」 ついにアスカが、まだ発せられていなかった問いかけへの回 答を言い放つと、また窓に顔を向けて市街を眺めた。 アスカは、背後に死んだような沈黙が広がるのを感じとって いた。しばらくしてようやく、ミサトが口を開いた。 「い、いま、何て?」 また笑ってしまいそうなのを感じながら、アスカはまた三人 に顔を向けた。 「言ったでしょ。エヴァのパイロット、やってあげる」 「本気なの?」 リツコが静かに問いかける。 金髪の科学者に、アスカは笑いかけた。 「それが、アタシのできることだもの」 呟くアスカ。 「それが、アタシが上手くやれることだもの。シンジのことな ら聞いたわよ。だったら、他に選択肢はあまりないじゃないの」 「他にパイロットが見つけられるものなら」 歩み寄ってきたミサトが静かに言った言葉に、アスカは驚か された。思いやりに満ちたミサトの声が続いた。 「私もアスカを、あの操縦席に押し込みたくなんかないわよ」 ありがたく思って見上げたアスカの肩に、ミサトの手が置か れ、そっと握った。 「怖くないって言えば嘘になるけど」 腹の底に恐怖感がわだかまっていることを感じながらも、ア スカはミサトに言った。 「でも、自分にはやれるって確信があるの」 目を閉じたアスカに、ミサトが頷いたのが伝わった。 「わかったわ」 一瞬の間。 「我らがエースパイロットのカムバック、最高よ」 アスカは殺風景な病室を嫌悪感も露わに見回した。 「で、すぐにここから退院できるの?」 リツコがアスカのカルテを手にして、内容を見てから言った。 「ただの観察期間ね。大した問題なく、一緒にここを出られる と思うわよ」 「服をとってきますね」 マヤが急いで出て行こうとする。 マヤの後ろから、アスカが声をかけた。 「できれば、アイパッチも見つけてきてくれる?」 そしてミサトに向きなおった時には、すでにあの自信に満ち た顔に戻っていた。 「それで、お次は?」 ミサトは笑い出すのをこらえながら、真面目に答えた。 「綾波レイに、会いに行くわ」 一瞬ビックリしてミサトを見上げたアスカだったが、何とか 話を理解しようとしていた。 「…何ですって?」 アスカには、そう言うのがやっとだった。 リツコもミサトを咎めるように睨む。 「頼むから、冗談は止めてちょうだい。ずっとそんなこと言っ て」 「ごめん」 だがミサトの顔にすまなそうな表情は無かった。その黒髪を 手でかき上げて、ミサトは言った。 「説明するより、実際にその目で見た方が早いと思うわ」 絶好のタイミングの女神様のようなマヤが、ちょうどその時、 畳まれた制服の上下と、その上に載せた黒いアイパッチを運ん で戻ってきた。 「サイズが合うといいんだけど」 少し引きつった笑顔で、マヤはアスカに服を差し出した。 「ありがと」 アスカもマヤに笑顔を返して、畳んだ服を受け取った。 二人はそのまま立っていたが、アスカが意味ありげな視線を 送る。 「あ、そうか」 ハッとしたリツコが、アスカの着替えのために二人を引っぱ って部屋を出た。 苦笑したアスカは、窮屈な入院着をまず脱ぎ捨てた。手早く ほどいた包帯が足元で山になると、アスカは手を止めて、外科 手術で残っていた薄赤い縫合跡を指でなぞった。 また苦笑しながらアスカは、標準型のネルフの制服を身に着 けた。それがあのプラグスーツでなかったことに、アスカは少 しホッとしていた。まだあれを再び身に着ける心境にはなって いなかった。 左目を覆うのにアイパッチは少々不格好だったが、アスカは 何とかうまく按配した。 ソックスと靴を履き、準備はできた。 「思ったよりいいじゃん」 鏡に映した自分の姿を、アスカは満足げに眺めながら、上着 の裾をピンと真っ直ぐに直した。 しっかりした足どりで、アスカは廊下に出た。 「さ、行きましょ」 ミサトはアスカに自分のそばにいるよう手招きして廊下を進 み、リツコとマヤはその後ろからついていった。 全員でエレベーターに乗り込みながら、ミサトが不安げにア スカを見やった。 「アスカ、もとの部屋に戻る気はある?」 「どういうこと?」 静かにアスカが訊く。 「私の新居に、空いている部屋があるの」 静かに言いながら、どこかの階のボタンを押すミサト。 「よければ、そこに入っていいのよ」 「ふうん、悪くないわね」 にやりと笑ったアスカが、一瞬の間をおいてからかうように 訊いた。 「また前みたいに自堕落な生活してんの?」 「そんなもんね」 ミサトが答えた途端にエレベーターが停まり、扉がスッと開 いた。 「偉くなったら変わるのかと思ったけど」 納得のアスカ。 「どうやらそういうことも無いみたいね」 後ろでリツコが微かにククッと笑ったので、ミサトがキッと 睨んだ。 その階は明らかに科学医療専門のフロアになっていて、壁も まだ塗られていなかった。一行の前方で何か音がしていて、近 づくにつれてその音は大きくなってきた。 「で、これから会いに行くっていうレイちゃんは、別のクロー ンなんですか?」 おそるおそるマヤが訊く。 「正直に言って、よくわからないのよ」 ミサトは正直に言うと、リツコを見やった。 「それを調べてもらうのが、リツコに戻ってきてもらいたかっ た理由の一つでもあるのよ」 大きな二重扉の前に着くと、ミサトが扉を押し開けて、三人 に頷きかけた。 「入って」 数人の科学者たちが、大きな金属製のチューブの周りで鳩首 していた。 ミサトが大きく咳払いすると、科学者たちが脇によけて場所 を開けたので、四人にも中に何が浮かんでいるのかよく見える ようになった。 アスカは、かつて知っていた綾波レイの姿を予期していたの だが、中に浮いていた少女は以前と全く同じには見えなかった。 いくつかの相違点ははっきりしていたが、それ以外は微妙な ところだった。髪の青色がもっと影が濃くて、前より違和感が 薄まっていた。 そして、このレイが以前よりも女らしくなった体つきになっ ている事に気づいて、アスカは赤面した。 生き生きとした肌の色も、頬にさす赤みも、細かい点が以前 のレイと違っていた。かつてのレイを表現するのに決して使わ れそうになかった「健康的」という言葉が、このレイには全体 的に当てはまっていた。 円柱状チューブの周りを行き来していた科学者は、いかにも 典型的なマッドサイエンティスト然とした人物だった。黒髪を 逆立て、白衣にはコーヒーの染みがいくつもつき、目は血走り、 顔がげっそりしていた。 心配そうに、ミサトが覗き込んだ。 「スティングレイ博士、いったいいつからここに詰めっぱなし なんですか?」 スティングレイ博士は肩をすくめた。 「わからんよ、いま何時だね?」 ミサトが時刻を伝えると、博士の眉があがった。 「なるほど、すごいな。ところで今日は何日だね?」 「家に帰ってお休み下さいっ」 ミサトはむりやり博士をドアに向かって押し出した。 抵抗しようとする博士に、ミサトが言い添える。 「必要とあらば、命令書を出しますよっ」 「わかったわかった」 スティングレイ博士はため息をつきながらヨロヨロと出て行 った。 「今の名前、あの方の本名なんですか?」 マヤがそっとリツコに訊く。 「ええ、困った人よ」 関心なさげに答えたリツコの目は、レイに釘付けだった。ふ と、リツコがミサトに訊く。 「このレイを、貯蔵庫で見つけたって言ってたわね。いつそこ に入れられたのか記録はなかったの?」 「その部屋は封印されていたけど、明らかに第3新東京市が建 設されて間もなくの頃のだわ」 ミサトが静かに答えた。 「それ以外の情報は」 肩をすくめる。 「スキャンしたデータは?」 完全に科学者モードに入ったリツコが訊いた。 「完全にシールドされていて」 別の科学者がそっと口を挟む。 「スキャンが全く通らないんです」 「それじゃ、このレイについて調べるためにできる唯一の方法 は」 液体の中に浮かぶ少女を見つめながら、アスカがぽつりと言 った。 「…これを開けることね」 「そのようだわ」 ミサトもそっと頷いた。
*今回のゲスト:スティングレイ博士(バブルガム・クライシス)
続く
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