サード・ジェネシス

第5話

 

 自分を深い眠りから目覚めさせようとする者が何なのか、は
っきりとはわからなかった。心をかき乱す何か、何だかわから
ない声、でも、どこか憶えのある存在だった。
 ゆっくりと目を開けて、自分の周りを確かめる。タンクいっ
ぱいに充填された液体の中に、自分は浮かんでいた。そして、
タンクの外に集まっている人々を見やった。

 背の高い、白衣をはおった金髪の美女が立っていて、その傍
にはそれより背の低い、グレイの軍服を着たボーイッシュな黒
髪の女性が寄り添っていた。その二人から遠くないところに、
深紅のジャケットを着た黒髪の美女が一人で立っていて、視線
を二人組に向けている。
 そして最後に、その三人よりもずっと若い少女が、鮮やかで
豊かな赤毛の髪を震わせながらも、身を乗り出してタンクを覗
き込んでいた。その少女と目と目が合うと、赤毛の少女の目が
驚きに見開かれた。

「目を覚ましたわっ」
 赤毛の少女が叫んだ。

 金髪の美女が振り向き、赤毛の少女を見てから自分に視線を
移し、驚きを露わにした。
「アスカ、まさか、この子はまだ…」

『ア・ス・カ…』
 どこか不思議と懐かしく思われたその赤毛の少女の名前がわ
かったことに、自分は心の奥から何か深く満たされていくのを
感じていた。

 黒髪の美女が金髪の女性の腕をとって尋ねた。
「リツコ、彼女はこの液体の中でだいじょうぶなの?」

「そのはずよ、ミサト」
 注意深くレイを観察しながら、リツコが答えた。
「エヴァのパイロットを守るためにエントリープラグに充填す
る液体と同じものだから」

 三人の名前が発せられたのを耳にして、自分は不思議に思っ
た。
 今まで会ったこともないってわかっているのに、どういうわ
けか、みんなの名前を自分は知っている。
 一番小柄な少女を見つめて、何とか彼女のことを思い出そう
とした。だがその名前だけは確かに残っているのに、誰なのか
ということはまるで水のようにこぼれ落ちてしまっていた。

「マヤ」
 リツコが呼びかける。
「サイズの合う服をとってきて」

「わかりました、先輩」
 急いで出て行くマヤ。

「この子を外に出したらどうなるかわかってるの?」
 険しい表情のミサトが、かなり苛立った声で言った。

 その言葉に立腹して言い立てたアスカの言葉に、チューブの
中の少女はちょっと驚かされた。
「だからって、このままほっておくことなんかできないわよっ!」

「アスカの言う通りよ」
 穏やかな声でリツコが言った。

 こっちを見つめるミサトに、自分は静かに目と目を合わせた。
 ミサトは最初は目をそらしたが、ため息をつくと言った。
「そうね、それが正しいのよね」

「排水開始」
 リツコが科学者たちに指示する。
「同時に標準酸素濃度の空気を注入して」

 周囲の状況がいきなり変化して、一瞬パニックに陥ったが、
自分はそれを無理に押さえつけた。実験室でよくある薬品と、
オゾンの匂い混じりの空気が感じられた。深く息を吸うと、
奇妙に心が落ち着いた。

 あっという間に、自分は封印されたタンクの中で乾燥されて
立っていた。
 リツコ自ら進み出て、タンクの脇にある取っ手を掴んだ。
「開けるわよ」
 ガチャンと外れる音がした。
「さあっ!」

 青い髪の少女は、そろそろとタンクから外の世界へと足を踏
み出し、下界の空気を呼吸した。
 もう一歩踏み出そうとした途端、足がもつれていきなり倒れ
そうになった時、力強い腕が怪我のないように自分をつかまえ
てくれた。

『…アスカ!』
 黒いアイパッチで隠されていない方の瞳を見上げながら、自
分はぽーっとなった。

「あなたは、誰なの?」
 アスカが静かに尋ねた。

 一瞬の間の後に、他の何よりもたやすく名前が浮かんできた。
「レイ」
 微かに呟く。
「綾波レイ」

 その直後、ネルフの制服を持ってマヤが戻ってきた。
「はい、これ」
 マヤが畳んだ服をレイに手渡した。

「ありがとう」
 我に返って礼を言ってから、レイは裸身の上から直接制服を
着込んだ。ちょっと違和感を感じたが、もっと肌に密着する服
を無意識に予期していたからだったと、すぐに気づいた。
「…プラグスーツ」
 その名が何を指しているのかまだよくわからないまま、レイ
は思い出していた。

「レイ」
 ミサトが静かに呼びかけた。
「何か、憶えてる?」

 ベンチに腰を下ろして、レイはミサトの黒い瞳を見上げなが
ら、その問いかけが自分にとっても非常に重要なことであるこ
とを理解した。

「何も」
 レイが呟いた。

 困惑顔のミサトに、レイは静かに付け加える。
「みんなが誰で、ここが第3新東京市だっていうことはわかる
の。でも、どうしてそれを知っているのかはわからない…。憶
えているのは、それだけ…」

 思慮深く、ミサトは頷いた。
「ありがとう」

「どういたしまして」
 機械的にレイが返事をした。

 レイは周囲を見回すと、リツコが制御コンソールに顔を寄せ
ているのに気がついた。どうやらそれは、医療用モニター機器
に繋がっているようだった。
 リツコと科学者たちは白熱した意見をやりとりしていたが、
レイの耳にはその会話の断片しか聞こえなかった。

「バイオスキャンでは標準的な人間の…」
「もしアダムのDNAを持っているなら、退行したと…」
「以前の記録よりも貧血状態は改善…」
「たしかに外見はずいぶん健康そうな…」

 横に座った人物がいて、はっと振り向くと、それはアスカだ
った。
 赤毛の少女はレイに微笑みかけた。
「ほんとうに他には何も憶えてないの?」

 レイは首を振った。
「何も」

「ま、それもまた良し、じゃないの」
 アスカがそっと語りかけた。
「どうしても忘れてしまいたいことっていうのもあるもんだか
らさ」
 ニッコリ笑いかけるアスカ。
「今度はアタシたち、友達になれそうね」

『今度は?』
 レイは、訝しく思った。

 妙に古くさい仕草で、アスカが握手の手を差し出した。
「アタシの名前は、惣流アスカ・ラングレーよ」

 そっと頷くレイ。
「知ってる」
 微笑みが浮かぶ。
「私の名前は、綾波レイ」

「知ってるって」
 愉快そうな色を瞳に浮かべて、アスカも微笑した。

 その時、茶髪の科学者がドカドカと二人のところに近づいて
きて、乱暴にレイの腕をとった。
「血液サンプルをとらせてもらう」

 レイの目にもわからないほどの動きで、アスカがベンチから
さっと立ち上がった。そして科学者の男の手首を掴みとると思
いっきりひねりあげたので、痛みのあまり男はレイの腕を放し
てしまった。

 怒りに満ちた顔でアスカは男を怒鳴りつけた。
「もっと丁寧に扱いなさいよっ!!」

 レイがアスカの手にそっと手をかけた。
「だいじょうぶよ、その人の仕事なんだから」

 あからさまに渋々と、アスカは手を離した。
「そうだとしても、あの態度はヒドすぎるわっ」
 そう言って睨みつけるアスカ。

 男はズキズキ痛む手首をさすり、アスカにおどおど視線を送
りつつ、レイに申し出た。
「血液サンプルをとらせていただけますか?」

 レイはすんなり上着の袖をまくり上げ、その下の素肌の腕を
出した。
 男はサンプルをとると、そそくさと逃げるように立ち去った。

 レイは何と言っていいかよくわからないまま、アスカを見つ
めると、にっこり微笑みかけ、たった一言告げた。
「ありがとう」

 アスカの頬がちょっと赤くなった。
「ど、どういたしまして」

 しばらくして、アスカが呼ばれた。
 レイは不思議そうにその後ろ姿を見つめていた。
 アスカと、ミサトとリツコは、部屋の片隅で声を潜めて話し
合っていたので、何を話しているかは聞き取れなかった。

 ようやくミサトが他の二人から離れて、レイの傍に静かに歩
み寄った。
「今、あなたのことを話し合ったんだけど」
 ニッコリ笑うミサト。
「その前に、まずはレイ自身に確認するべきだと思ったの」

「確認って何を?」
 レイは呟くようにミサトに訊いた。レイはこんなふうに他人
から選択肢を与えられて自分で選び取る、という機会を与えら
れることに慣れていなかった。

「もしよければ、私とアスカと一緒に、私の家で一緒に住まな
い?」
 単刀直入にミサトが申し出た。

 ためらいながら、レイはアスカの顔を窺った。
 赤毛の少女は、にっこり微笑んでいた。
 レイはミサトに向きなおり、返事をした。

「はい、そうさせてください」
   

続く

 

第5.5話に続く   第4話に戻る

 

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