サード・ジェネシス

第5.5話

 
 惣流アスカ・ラングレーは、すぐ背後から聞こえてくる騒ぎ
に目もくれず、廊下をスタスタと歩いていった。訴えてやると
か泣き言を漏らす籠もった声に、それをなだめる声が聞こえて
いた。
 やがて、ピカピカの床を歩いてくるハイヒールの足音。

「アスカっ」
 リツコが呼びかけながら、追いかけてきた。
「何があったのっ?」

「あのバカ精神科医の顔面にパンチを喰らわせた、が、その何
がよ」
 アスカが吠えた。怒りに燃えた片目をギラギラつかせ、さら
に言いつのる。
「アタシはあの時に何があったのかを話していたんであって、
母さんの話なんかするために来たんじゃないんだからっ!」

 リツコが眉を寄せた。
「アスカの個人ファイルを見たのね」
 ため息をついてブロンドの髪をかきあげるリツコ。
「次からは職権を越えないように言っておくわ」

「次なんか無いわよっ」
 一言言ったアスカの赤い髪が、両肩を巻くように靡いた。

 苦い顔をして、リツコがアスカを引き留めた。
「何でも一人で抱え込んじゃダメよ、わかるでしょ?」

「耳が痛いくらいにね」
 アスカの答えは冷静だった。そして再び廊下を歩き出す。
「レイの様子を見てくるわ。いいでしょっ」

「わかったわ」
 静かに言ったリツコの顔は、寂しげだった。

***

 施設の中を歩きながらも、アスカの頭の中はぐちゃぐちゃだ
った。
『なんだってあんな事を持ち出しやがったのかしらっ!?』
 アスカは思った。
『母さんの自殺がアタシに影響してるなんて、言われなくたっ
て自分でわかってるわよっ』
 通路のドアをズカズカ抜けていく。
『アタシの事を何だと思っているのっ!?』

 医療エリアには、消毒薬と血のニオイが奇妙に入り混じって
立ちこめていた。それがアスカのイヤな記憶を思いおこさせた。

 歩く速さを緩め、立ち止まったアスカが覗き込んだ部屋の中
には、微かに好奇心を顔に浮かべてテーブルについているレイ
の姿があった。
 その隣には、レイよりも濃い青色の髪をした女性が、優しい
表情を見せながら色々質問をしていた。

 ふと顔を上げたレイが、医療ラボの入り口に立っていたアス
カの姿に気づくと、にっこり微笑みかけながら手を振った。

 アスカは無理に笑顔を作って頷き返し、また廊下に戻ってい
った。ちょうど付き添いの家族や友人の待機用らしい椅子があ
ったので、アスカはホッとため息をつきながらどすんと座り込
んだ。
 レイの事に戸惑っている、というだけでは今のアスカには表
現が足りなかった。

 アスカは、かつてのオリジナルのレイの事があまり好きでは
なかった。
『今となっては消してしまいたい事だけど』
 他には誰にも言った事は無いが、アスカは自ら認めた。
『アタシ、レイが大嫌いだった』

 レイは完璧な人形であり、ネルフの期待の星であり、夢と希
望の的だった。その無感情な瞳で世界を見透かしていたレイに、
アスカはたちまち神経を逆撫でされたのだった。

『そして、母さんよ』
 いつものように怒りがこみ上がってくるのを感じながら、ア
スカは思った。
 生みの母には狂気とともに自殺され、育ての母には無視と無
関心に晒されてきたアスカ。
『お人形…』
 アスカは目を閉じて母親の事を、そして無感情な物体に心を
奪われた自分を思いだしていた。
『いつもアタシのそばにいたのは、お人形だった』

 かつての綾波レイ…。
 彼女はアスカのお気に入りの人形にあまりにも似すぎていた。
だからアスカは、注目を浴びるレイに侮辱を覚えつつ、あれこ
れとチクチク虐めることで、何か感情的な反応を引き出そうと
していたのだった。

『そう、だから…』
 アスカは思った。
『アタシは、レイを憎んだの』

 ひどく疲れが襲ってきて、アスカは目をこすった。

『でも、今のレイは前と同じ?』
 戸惑いを覚えるアスカ。
 肉体的には明らかに違っている。培養カプセルから救い出し
た時のレイの、その健康的な裸身に見とれてしまったアスカは、
頬を少し赤らめた。
 前より濃い髪の色に、健康的で、プロポーションも微妙に変
わっている。

 でも、本当に違っているのは、あの赤い瞳だった。自分の回
りの世界を貪欲に吸収し、あらゆる物を熱心に見つめるレイの
目は、生気に満ちあふれていた。喜怒哀楽といった感情が瞳に
閃き、生き生きと輝いていた。
 レイは空虚な無感情の人形なんかではなく、打てば響く反応
を見せている。

「じゃあ、アタシはどうしたらいいのかな…」
 そっと一人ごちたアスカ。

「どうしたらいいかって?」
 聞いたことのない女性の声が聞こえた。

 驚いたアスカの目がハッと見開かれた。
 目の前に立っていたレイの横に、女医が一人立っていて、二
人で不思議そうにアスカを見下ろしていた。

「あ、ごめん」
 パッと立ち上がったアスカ。
「ちょ、ちょっと、考え事が口に」

「何だか深刻そうね」
 暗青色の髪の女性がそう言って、手を差し伸べた。
「私は、水野アミ」

「惣流アスカ・ラングレーです」
 自己紹介したアスカは右目で、注意深く小柄な少女を見やっ
ていた。

 ちょっと考えこむようにアスカを見ていたアミが、レイに向
かって言った。
「ちょっとアスカさんとお話ししたいんだけど、いいかしら?」

「はい」
 そう言うと、レイは嬉しそうに微笑を浮かべ、窓辺に駆け寄
ると、外に広がる町を食い入るように眺めた。

「な、何か…」
 アスカが口を開いた。

「当然ながら、あなたの個人ファイルも拝見させてもらったわ」
 打ち解けた口調でアミが言った。
「ここに来る前のうち合わせの一環としてね」

 驚きにアスカは虚をつかれた。これほどにあっけらかんと言
われたせいで、自分の人生をこんなふうに覗き込まれてしまっ
たというのに、アスカはこの女性に怒りをぶつけにくくなって
しまった。

「…で?」
 話の方向性が見えて、アスカは訊いた。

「私もそうだったわ」
 同情と、そしてどこか厳しさを交えた目で、アミが言った。
「私は何年も、母親のようになりたい、そして母親を乗りこえ
たいと思ってきた。おかげでずいぶん時間を浪費してしまった
わ。その時間で他にできた事もあったのにね」

「アタシは母さんなんかと違うわっ」
 言い返すアスカ。
「一人は自殺し、もう一人はアタシに何にもしてくれなかった
っ」

「で、あなたは精神的に自殺したわけね」
 アミがカウンターを放った。
「そして、誰にも心を許さなくなった」
 女性科学者はそこで一瞬言葉を切った。
「さもなければ、他人が自分の思ったとおりにならなきゃ気が
済まなくなった」

 アスカは口を開け、何かを言おうと、何かを吐き出そうとし
たが、どうする事もできなかった。思いっきり土手っ腹にパン
チを喰らったような感じがしたことに、アスカは驚くしかなか
った。

「これからこの報告書を葛城司令に届けなきゃならないの」
 水野アミは書類を手にして、そして言い添えた。
「少し考えてみてね。それじゃ、がんばって」
 そう言うと、白衣をまとった美女は、その身に穏やかなオー
ラを漂わせながら、その場を去っていった。

「だいじょうぶ?」
 アスカが立っているところに戻ってきたレイが、そっと訊い
た。
 振り向いたアスカの目に入ったのは、優しい気遣いを浮かべ
て自分を見つめる二つの瞳だった。

『レイはまだ、アタシの事なんか何も知らないのに』
 アスカは不思議に思った。
『なのに、ずっとアタシを心配してくれてる…』

 苛立ったように咳払いをするアスカ。
「だ、だいじょうぶよっ、ちょっとビックリしただけだってば」

 アスカを見上げたレイは、そんな強がりに安心してはいない
ようだった。
「それならいいけど…」
 ためらいがちにやっとそれだけ言ったレイ。

 いたたまれなくなって、アスカは目を背けた。
「前にエヴァの事を訊いてたでしょ。ここにシミュレータがあ
るの」
 ポツリと言うアスカ。
「…やってみる?」

「うん、お願い」
 ニッコリ笑ったレイの瞳が輝いた。

***

 二人は一緒にエレベーターに向かって行き、乗り込むとネル
フ本部の下の階に向かって降りていった。

 シミュレーターは二人にとって妙に馴染みのあるものだった
が、レイはプラグスーツをすんなり着こなして、シミュレータ
ーの中に乗り込んだ。
 しかしアスカは、レイの姿を見て身がすくんでしまった。量
産型エヴァの忌まわしい記憶が戻ってきた。
 悲鳴と共に、弐号機は中のアスカもろともに、バラバラに引
き裂かれた…。
 アスカは身震いし、レイの姿に背を向けた。その途端、アス
カの心にさっきアミが言った言葉が甦った。

『自分のしてきた事がどれくらい当てはまるかしら…』
 訝るアスカ。
 自分の「怖れ」が、どれだけ自分の人生を蝕む影を生み出し
てきたんだろう…。

 アスカは、またレイに視線を戻した。新しく生まれ変わった
少女に。

『再生、か…』
 アスカは思った。
『過去のくびきから解き放たれる…。アタシにも、できるのか
しら?』

 アスカは壁に片手をつき、体重をかけて寄りかかった。
「アタシは、母さんとは違うんだもの」
 一人ごちたアスカ。
「だから、これ以上母さんの娘として縛られる必要なんかない
んだわ」

 そんなに単純な事だろうか?たぶん、そうでもないだろう。

 夢中になってシミュレーターで戦っているレイに、アスカは
目を向けた。レイの瞳は、明るく輝いていた。
 アスカも思わず笑みが浮かんできた。

 長年身に染みついた怒りっぽさや、我を忘れるほどの激情を
振り捨てることは、簡単にできることじゃないだろう。でもそ
れはきっと意味のある事なんだ、と思ったアスカに、レイが顔
を上げてニッコリ微笑みかけた。

 アスカは通信システムのスイッチを入れて、話しかけた。
「アタシ、ちょっとミサトのところに行ってくるけど、すぐ戻
るから」

 笑ったレイがポツリと言った。
「待ってる」

 微笑みを返したアスカは、何か胸につかえていた物が解けて、
妙にいい気分になったのを感じた。

「じゃあ、またね」
  

*今回のゲスト:水野亜美(美少女戦士セーラームーン)
  

続く

 

第6話に続く   第5話に戻る

 

*感想を百合茶話室にお書きください*

How did you like about this story? Please tell me in my LOUNGE BBS.

ENTRANCE HALL
INFORMATION DESK
READING ROOM
BACK to INDEX