サード・ジェネシス

第8話

 
 ありがたいことにそれからは大したトラブルもなく、一時間
半ほどで一行は洋品店を後にした。ただ、レイが何着も試着し
て更衣室から姿を現すたび、アスカがいつもレイの姿に目を輝
かせていたことを、ミサトは見逃さなかった。

 現ネルフ司令官として、ミサトはこの二人が互いにどう影響
しあうかを注意して観察しなくてはならなかった。だが、アス
カの友であり保護者という立場も、できるなら維持したいと思
っていた。
 ミサトは今までアスカが誰かにこれほど胸襟を開く姿を見た
ことがなかったし、これはこの少女にとって非常に良いことで
あるように思われた。

「服はどうだった?」
 リツコがそっとレイに訊く。

 レイは嬉しそうに金髪の科学者にむかって微笑みを返した。
「とっても気に入った」
 健康そうなピンクの彩りが入った白いブラウスと青いスカー
ト姿は、深青色の髪の少女によく似合っていて、アスカもどう
やらそう思っているようだった。

 アスカ自身はお揃いの黒のスラックスと長袖のシャツ姿でキ
メていて、あのアイパッチも相まって、まるで女海賊の船長と
いった様子だった。赤毛の少女は、ネルフ本部の戦いで刻み込
まれ、まだ両腕に残る傷跡を気にしていたが、ミサトはそのこ
とをあれこれ言おうとはしなかった。ミサトはただ、アスカが
パイロットへの復帰を受け入れてくれたことになにより喜んで
いた。

「でも、アスカの服もとっても素敵だと思う」
 レイがアスカに向かって言った。

 赤面して目を逸らしたアスカが呟く。
「あ、ありがと」

「どうかしたの?」
 不安そうにレイがアスカに尋ねた。

 ミサトは必死に笑いたいのをこらえた。
『ああ、もうっ、かわいいなあっ』
 その時、ミサトはいま一行が歩いている場所を見て、しなく
てはならないことをふと思い出した。
「ごめん、ちょっと私に時間をくれないかな?」
 ミサトは小声でリツコに言った。

 辺りを見回すリツコ。
「何をするの?」

「シンジ君が入院してる病院が、近くにあるの」
 沈んだ声でミサトが言った。
「立ち寄って、お見舞いしたいんだけど」

「シ・ン・ジ」
 繰り返して言ったレイが、奇妙な顔をして、静かに言った。
「その名前、私、知ってる」

 アスカはかつての同僚パイロットのことを全く考えていなか
った自分に、ズキッと心が痛んだ。だが今はレイに問いただす
方がもっと重要だった。
「憶えてるのっ?」

「うん」
 眉間にしわを寄せて考え込みながら、レイが頷く。
「でも、どこで聞いたのかわからない」

 ミサトは渋面を浮かべないようにこらえた。今のことからは、
碇ゲンドウがレイに全員を認識できるようプログラムしていた
ということになる。
 ミサトはリツコに向かって言った。
「どうしたらいいと思う…?」

 肩をすくめるリツコ。
「正直、私にもわからないわ」

「じゃあ、みんなで一緒にお見舞いに行きませんか?」
 マヤがそっと提案した。
「そうすれば、もし不測の事態が起きても、みんないれば何と
かなりますよ」
 黒髪の若い女性が付け加える。

「決まりね」
 アスカが言った。

 ふうっと息をついて、ミサトが頷いた。
「買った服はジープの中に鍵をかけて置いといて、それからシ
ンジ君のお見舞いに行きましょ」
 指示するミサト。

 直ちにそのようにしてから、間もなく五人は病院のエレベー
ターで上の階に向かっていったのだが、みなどうしたらいいの
か、どうなるのかわからないままだった。

 ふとマヤを見やったリツコだったが、嬉しそうにマヤに向か
って微笑みかけている自分に気づいてしまった。慌てて目を逸
らしたリツコだったが、腹の底がつかえたように思えて仕方が
ない。リツコが自分に正直な人間だったなら、マヤと一緒に仕
事を離れて一緒に街に外出している状況で、この興奮を口に出
さずにはいられなかったろう。

『それに、こんなにおまけがくっついてるし』
 上機嫌なリツコは、他の三人を気にしつつもエレベーターで
マヤと一緒に並んだ。

『先輩、どうかしたのかな?』
 丸一日リツコと一緒に行動しているうちに、何か感づいたマ
ヤだったが、それが何かははっきりわからなかった。だがそれ
が何であろうと、今朝、ミサトとリツコが何事か話し合ってい
た時からだったように思えた。

 ムッとした顔でマヤはミサトを睨んだ。
『ミサトさん、先輩に何かヘンなこと言ったんですかっ?!』

 視線を感じたミサトが、マヤの怒った顔に気づく。
『わ、私が何かした?』
 とまどったミサトは、ひそひそ話を交わしているアスカとレ
イに目を向けた。

 心の奥で、自分がヘマをやらかすことなく、このままこの二
人を仲良しのままでいさせたい、とミサトは願った。軍人とし
てのミサトは、レイをあの封印されたカプセルから外に出した
ことは間違いだったかもしれない、といまだに思っていたが、
一人の人間としては、その選択は正しかったと確信していた。

『それが結果として、私の身の破滅になるかも知れないけどね』
 ミサトは皮肉に思った。

 ミサトが何か考え込んだ様子にアスカは気づいたが、それを
妨げようとは思わなかった。純粋無垢な瞳の輝きでエレベータ
ーの仕組みを知ろうとしているレイを、アスカはにこやかに見
つめた。あれだけネルフやエヴァについて知識を与えられてい
るレイなのに、その他のことには全くの無知同然なのだ。

 エレベーターがガクンと揺れて停まったので、アスカは手を
さしのべてレイをそっと支えた。
「だいじょうぶ?」
 レイに訊くアスカ。

 レイはニッコリアスカを見上げた。
「うん、大丈夫」

 目を逸らしたアスカは、皆と一緒に廊下を進んだ。アスカを
見つめながら、レイは考え込んでいた。
 鮮やかな赤い髪がまるで少女の頭に輪になって舞う炎のよう
にも見え、それが自分が昔から知っているアスカの激しい気性
と見事に調和していた。だが、その炎は、なぜだかははっきり
わからないものの、レイの心を熱くしているように思えた。レ
イにわかることはただ、いつでもアスカの傍にいることが心地
よいということだった。

 廊下の突き当たりの扉のところに、黒髪の男性が立っていた。
一行が近づくと、その男が顔を上げた。
「あ、葛城陸将」
 男がミサトに会釈した。

「陸将?」
 ビックリしたリツコが小声でミサトに問いただした。

「昇進通知が来たの」
 渋面でミサトが言った。
「まだ襟章が届いてなかっただけ」
 医師に向きなおるミサト。
「シンジ君は?」

「変化はありません」
 医師は首を横に振った。
「昏睡状態は安定しているので、静脈注射で栄養を与えていま
す」

「外部からの刺激に何の反応も無いの?」
 訝しげにリツコが訊いた。

「ありません」
 また首を振った医師は、ふと時間に気づいた。
「申し訳ありません、巡回の時間ですので」

 去っていく医師を見ながら、ミサトはため息をついた。
「中に入りましょう」
 ミサトは扉を開け、ごく普通と変わらない病室の中に入って
いった。

 窓のカーテンがふわりと揺れ、射し込む陽光がベッドに横た
わる者の姿を照らし出していた。
 碇シンジの黒髪は乱れ、まるでたったいま眠ったばかりのよ
うに見えた。だが、普通の年若い少年はたいていの場合、チュ
ーブや配線が取り付けられて、心臓の鼓動や脳波の変化を刻一
刻とモニターされていたりはしないものだ。
 しかし最も奇妙なのは、シンジの顔の表情だった。

 エヴァのパイロットだったころのシンジの顔には、極度の重
圧に顔に皺が寄って年齢以上に老け込んでいた。さまざまなパ
ターンの戦闘を経るごとにシンジは心身を磨り減らし、どうや
ったところでシンジを消耗し尽くしていった。
 だが今ここで横たわっている少年は、全く平穏そのものだっ
た。その表情を見れば、誰もが…この少年は幸せだとすら言う
だろう。

 ミサトはベッドの傍に歩み寄り、そっとシンジの手をとった。
「こんにちわ、シンちゃん」
 そっと声をかける。
「また、お見舞いに来たわ」

 凍ったように立ちすくんだまま、アスカはシンジを凝視しな
がら、必死に幻と記憶を区別しようとしていた。
『シンジは、アタシの首を絞めたりしてないのよっ』
 全てが地獄に堕ちた後に残された曖昧な記憶を、アスカは思
い出していた。
『シンジを憎んでるなんて、アタシは言わなかったわよね!?』

「シンジ君…」
 マヤが名を口にしたが、そのまま途切れてしまった。マヤは
シンジを深く知っているわけではなかったが、昏睡状態で横た
わっているこの少年を見下ろしているうちに、突然後悔の念が
胸を突いた。せめて、もっとシンジのことをわかってあげよう
と努めるべきだった、と思った。

 リツコがベッドの反対側に回り、悲しげにシンジを見下ろし
た。自分こそ他の誰よりも責任がある、とリツコは思った。エ
ヴァの建造や整備に手を貸した上、何よりも積極的に碇ゲンド
ウが自分の息子をエヴァのパイロットに押し込むようにしむけ
たのだ。

「しばらくぶりね、シンジ君」
 囁きながら、リツコは傍の椅子に腰を下ろした。

 その時、響き渡った澄み切った声に、全員がハッとした。
「この人は、ここにいないわ」

 驚きに振り返った先に、不思議そうにシンジを見つめるレイ
の姿があった。

「どういうことよ?」
 訝しげにレイの顔を覗き込みながらも、アスカは理解しよう
とした。
「シンジの昏睡状態のことを言ってんの?」

「ううん」
 はっきりレイが首を振った。
「つまり…」
 異様なほどにじっとシンジの身体を凝視するレイ。
「この人の一部…この人の精神が、消えてしまっている。今は、
もうどこにも無いの」

 レイを真剣に見つめるリツコ。
「どこに消えてしまったのか、わかる?」

 ためらいつつも、レイは首を激しく振り、まるで苦痛に襲わ
れたかのように頭を両手で抱え込んでしまった。
 考えるより先に、アスカが駆け寄って両肩を持って支えると、
嬉しそうな笑みが返ってきた。

「レイを虐めないでよっ!」
 かつてネルフじゅうを怖れさせた凄まじい癇癪玉を一瞬破裂
させ、アスカが叫んだ。

「だいじょうぶだから」
 レイがアスカにそっと言った。顔を上げると、ミサトにリツ
コにマヤの視線が集まっていた。
「どこにいるのかははっきりはわからない…。わかるのは、こ
の人が…もうここにいないということ」
 そして、レイはすっと天井に向かって指をさした。

 四人は一瞬レイをぽかんと見つめたが、やがてミサトにはは
っと閃くものがあった。半歩後ずさって、ミサトはプラスティ
ック製の病院の椅子にどすんと崩れるように座り込んだ。
「そんなのって」
 弱々しくミサトが呟いた。

「なに?何なの?」
 リツコはミサトを揺さぶりかけた。

「全ての混乱がおさまった直後の、初号機の衛星写真を見たの
よ」
 まるで独り言のように、ミサトは微かに呟く。
「自分自身のパワーで生み出した『異世界』に行ってしまう初
号機を。私は、考えないようにしていたんだわ。…シンちゃん
は、あれに乗って行ってしまったんだ、…って」
    

続く

 

第9話に続く   第7話に戻る

 

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