サード・ジェネシス

第10話

 
『ずいぶん変わった場所で、天の啓示が降りてきたもんだわ』

 この第3新東京市、机の向こうの椅子に座りながら、リツコ
は考え込んでいた。このクールな金髪の科学者の場合、ダンス
フロアの喧噪の中、マヤをその腕の中に抱いてダンスに揺られ
ていた時に、それは降りてきたのである。あの暗褐色の髪を見
つめ、その小柄な身体を抱きながら、リツコはやっと自分の気
持ちを認めたのだった。
 自分は、マヤを愛している、と。

「となると今度は、マヤにどうやってそれを伝えたらいいかを
考えなきゃ」
 リツコはほっと息を吐いた。

 リツコが腰を据えているオフィスは、まだ少しガランとして
いたが、私物もいくつか持ち込まれていた。自分の学位証に、
ミサトと写した大学時代の写真、その他諸々。その中には、崩
壊したネルフ本部の瓦礫の下から発見されたものもあり、リツ
コ個人の荷物から持ち込んだ物もあった。

 その時、コツコツと鳴ったノックに、リツコはハッと我に返
って、来たのがマヤであることを期待してしまっている自分に
気づいた。
 だが、あに図らんや、ずんずんとミサトが入り込んできたの
を見て、リツコは『なーんだ』と思わずにはいられなかった。

「明日のマヤちゃんの昇進式、どういうふうにしたらいいかな?」
 ミサトが机の上に書類を置いて尋ねた。

「あんまり大げさなのはいやがると思うわ」
 苦笑するリツコ。

「あの店に連れ出して、酔っぱらわせちゃえばいいわよ」
 ミサトがニヤッと笑った。

 時々こんなふうにまだ三佐のころとあまり変わらないノリに
なってしまう現ネルフ司令官ではある。だがもしその陽気な顔
の下を覗けたなら、そこには全く違うものが見えるだろう。ミ
サトの表情や態度の内側には、ずっしりと重い責任に伴った深
刻な緊張感が横たわっているのだった。

「それはちょっとまずいわ」
 リツコが首を横に振った。
「マヤって、落ち込み上戸なのよね」

「どうしてそんなこと知ってるのよ?」
 ミサトが驚いて身を乗り出す。

「去年のクリスマスパーティーよ」
 リツコは記憶をたどりながら微笑んだ。
「酔っぱらったマヤが、千鳥足で私のところに来てね、目を白
黒させながら私に話しかけようと必死だったのよ」
 思い出すリツコ。
「とても可愛かった…」

 今のリツコには、あの時のマヤが自分に『先輩が好きです』
と言おうとしていたことが手にとるように理解できたが、それ
は口には出さなかった。

 ミサトは奇妙な顔をして、リツコが何か隠していることがあ
るなと気づいたものの、これも口にはせず、肩をすくめただけ
だった。
「いいわ、じゃあ身内でささやかにやりましょ。リツコと私と、
レイとアスカ、それとマヤちゃんと一緒に作業してる技術班の
子たちにも出席できるように伝えておくわ」

「了解しました、司令」
 笑いながらリツコが言った。
 この二人の間に働く力関係は奇妙なもので、一方では旧友で
ありながらも、もう一方では唐突に司令官と部下の立場にガラ
ッと変わってしまう。ミサトの立場のことをリツコが時折思い
おこしてしまうのも無理からぬ事ではあった。

「やめてよね、それ」
 ミサトが嘆息した。訝しげなリツコの顔に、説明するミサト。
「新人のスタッフをたくさん採用したけど、みんな揃いも揃っ
て軍人気質なんだもん」
 また、ため息。
「みんなにはミサトさんって呼ばせたいんだけど、絶望的でさ」

「まあ、人の上に立つ者の高価な代償ね」
 リツコは苦笑した。
 将官に出世してしまって以来、ミサトはむしろ仲間たちが気
さくな司令官として扱ってくれることを期待していたのだが、
そういうのは全く無理というものである。

 話題を変えようと思って、リツコが訊いた。
「レイとアスカは、もうそっちに引っ越したの?」

「レイが買いこんだ物とアスカの荷物は全部、今日じゅうに新
居に届くはずよ」
 ミサトがニッコリした。
「今夜、荷物を整理する予定なの」

「その前にまず、部屋の掃除はしたんでしょうね?」
 疑わしげに訊くリツコ。

 ミサトが驚いたように見上げた。
「何で私が?そんなことしたら、私と同居する上で何が肝心か
っていうことに、非現実的な考えを植え付けるだけだってば」

「まったく、もう…」
 ぶつぶつ呟くリツコ。
「せめてアスカがレイに前もって言っておいてくれれば…」
 そして、ため息をつくのだった。

***

 第3新東京市内に建つピカピカの新築アパートで、レイはア
スカを連れて廊下を進みながら、小声で話をし合っていた。そ
の先の部屋の外に、さまざまな物を詰め込んだダンボール箱が
積んであった。いくつかはアスカの印が付いてあって、それよ
り少ない数個はレイの物だった。

「この部屋、絶対に中はグチャグチャだからね」
 二人が玄関の前に着くと、アスカがレイに警告した。

「まさか、そんなにひどくはないでしょ」
 無邪気にレイが言う。

「あるのよそれが。信じなさいよね」
 カードキーをリーダーに通したアスカ。

 玄関扉が開いたとたん、一切の誇張抜きに、まさに大災害の
被災地のごとき惨状が露わになった。部屋の間取りはまともで、
機能的なキッチンに、リビングに、寝室が二つ。だが、室内じ
ゅうに何種類ものガラクタが散乱していた。空っぽになった弁
当パック、ビールの空き缶、カップにお皿にドンブリが、あり
とあらゆる空間に散らかっていたのだ。

「うわあ…」
 レイが弱々しい声を発する。

「ハッキリ言って、以前ほどじゃないわね」
 アスカが付け加えた。

「前よりも?」
 信じられないといった顔でレイがアスカを見つめる。

「ビールの空き缶が少ないもん」
 肩をすくめたアスカが、苦笑いしながら気をつけてゴミため
の中を先導した。
「ペンペンの様子を見ましょ」

「ペンペン…」
 繰り返したレイだったが、その声にはその名前を知っている
という響きがあった。
 二人はキッチンにたどり着くと、冷蔵庫の扉を開けた。

 冷蔵庫の中ではペンギンが横になって居眠りをしていたが、
ふと片目をギョロッと開けた。ペンペンは、二人がエサを持っ
てきていないことをすばやく見定めると、自分でバタンと扉を
閉めてしまった。

「もしビーフジャーキーでも持っていようもんなら、たちまち
ねだられていたところだわ」
 アスカが笑った。

 二人は外に積んであったダンボール箱を中に運び入れ始めた。

「ここ、とても面白い」
 箱を持ち上げながら、レイが呟いた。

「それ以外の感想は無いのっ?」
 アスカが少し苛立って訊く。

「うん」
 レイは首を振って、アスカを見やった。
「ずっとずっと、私はひとりぼっちだったような気がするの」
 淋しげな笑みがよぎる。
「もう二度と、そんなふうにはなりたくない」

「よかった」
 アスカがニッコリ笑った。

 アスカが寝室に入って、驚きに目を丸くしているところに、
遅れてレイが入ってきた。

「レイがこの部屋に入りたいって言ったの?」

 その問いに少し眉をひそめるレイ。
「一緒の部屋に住むと思ったの」

 アスカの顔が微かに青ざめた。
「レイの希望?」

 ニッコリ笑う。
「うん、そう」
 静かにレイが答えた。

「わかった」
 アスカはふうっと息を吐いた。
「じゃ、ベッドをもう一台ここに入れなきゃ」

 すでにベッドが一台、室内に据えられているのを、不思議そ
うに見つめたレイが、無邪気に訊く。
「一つのベッドでいっしょに寝たら?」

 固まってしまったアスカが、ベッドを共にするということが
どんな問題を引き起こすのかをどうやってレイに教えたらいい
のか、必死になって考える。

「…二台よっ」
 やっと言い訳を決めたらしい。
「その…、寝てる間に寝返りをうっちゃうからっ」

 まだ少し疑わしげながらも、レイは頷いた。
「わかった」

 そこに、ミサトが微笑を浮かべながら、玄関の扉を開けて中
に入ってきた。そろそろとゴミの山をサイドステップで回避し
ていったミサトの眉がぴくんと上がった。レイとアスカがベッ
ドルームの一つから出てきたのである。

 中を窺って、二人の荷物が一緒の部屋に運び込まれているの
に気づくと、ミサトはアスカに意味ありげな笑みを送った。
「これって、面白くなりそうね」
 囁くミサト。

 アスカは、レイにひそひそ声が聞こえないところまで待って、
言った。
「ミサト、これはレイが言い張っているんだけどね」

「へえ、何を」
 ニヤニヤ笑っているミサト。

「頼むから、レイのベッドをあの部屋に移すの手伝って」
 アスカがため息をつきながら言った。

「あらあっ、同じベッドで一緒に寝るんじゃないのぉ?」
 実際にミサトは、少しガッカリした顔をした。

 じとーっと汗を垂らしたアスカだった。

***

 マヤは、修理ベイの中に立っていた。
 少年のような暗褐色の髪の女性は、金属製のキャットウォー
クからエヴァ弐号機をじっと見下ろしている。

 この深紅の人間型巨大ロボットは、量産型エヴァの群れによ
って八つ裂きにされ、技術チームが手をつけ始めた一週間前に
は、まだ全くの残骸の山だった。だが、全ての努力が報われて、
弐号機は完全に修理された姿で目の前に立っている。

『修理と言うより「治療」だったわね』
 マヤは思った。
 エヴァは多くの部分が生体組織で出来ているため、アスカ同
様に弐号機の修復は困難を極めた。大半の内部組織に至っては、
ゼロから再構成しなければならず、テストだけでも数週間を要
すると思われていた。

 しかし、どうにかこうにか、弐号機は再び完全になった。

「マヤ」

 後ろから聞こえた静かな声が、巨大な修理ベイ全体に反響し
た。

 振り返ったマヤは、優雅な金髪の美女がこっちに歩み寄って
くるのを見て、目を丸くした。

「先輩っ」

 悲鳴のような声をあげたマヤは、リツコがこんなところにま
で何をしに来たのかと訝った。

 リツコは優しく笑った。
「マヤに話があるの、いいかしら」
    

続く

 

第11話に続く   第9話に戻る

 

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