サード・ジェネシス
第25話
ためらいがちに動き出したエヴァ零号機は、その紫の巨躯を 拘束台から離れて一歩、そしてまた一歩と踏み出した。ジオフ ロントの地下空洞内を移動しながら、じっと単眼で前を見据え、 ぎくしゃくした動きも徐々に滑らかになっていく。 「信じられないわ…」 碇ユイが呟いた。ネルフの制服の上から、借りた白衣をはお った少年の身体。褐色の髪が考えこむような瞳にかかっていた が、ユイはみんなから少し離れたところに立ったまま、駆動す るエヴァの映像を見つめていた。 マヤは仕事に没頭していて、客人にまで気が回らずにいた。 そこに、黒髪の美人司令官は明るくレイに声をかけた。 「レイ、どんな感じ?」 モニターからこちらを見あげたレイの赤い瞳は、落ち着いて いる。 『今のところは、全て順調です』 ミサトは一段高い司令席に座り、その横にリツコがついた。 そして二人は零号機の再活性化試験の最新データに目を凝らし ていた。 「で、冬月教授は他には何て?」 その黒髪にマッチした深紅のジャケット姿のミサトが訊いた。 「混乱状態にしては、シンジ君、ずいぶん筋道たった言動だっ て」 皮肉っぽく言ったリツコが、ブロンドの髪をかき上げた。 「教授によれば、碇ユイは学生時代のことまで事細かに憶えて いたそうよ。シンジ君ではまずわからないようなことまでね」 両肘をついてあごを両手で支える、見なれた姿勢でミサトが 呟いた。 「確かにね」 「ええ」 リツコも頷く。 少し進み出たユイが、マヤの操作パネルを興味深そうに覗き 込んでいだ。ずっと無表情だった顔は、好奇心に昂揚した表情 が浮かび、目を輝かせ、何事かマヤと小声で話している。かつ てのシンジのあの表情とは全く違って見える、情熱的で穏和な 表情に浮かぶ笑顔すらどこか異様に見えるほどだった。 「ユイさんが弐号機をぴくりとも動かせなかったのも驚いたわ」 ミサトが考えこんだ。 「シンジ君は前に動かせたのに」 「シンクロ率が全く違っていたから」 リツコがほっとため息をついた。 「シンジ君の頭の中に本当に別の人間がいるってこと、ほとん ど信じないわけにいかなくなってきたわ」 「マギは何て言っているの?」 ミサトが訊いた。 「肉体の転換は起こりうることだって」 答えるリツコ。 「でもその可能性は数値的にも極めて低い確率だって、母さん は…」 「母さん!?」 眉を上げたミサトに、リツコが赤面した。 *** それほど離れていないところに立っていたアスカは、少し苛 立っていた。 『レイのことがまだ心配なのね、アスカったら』 モニターを見ながら、ミサトは思った。 『ここしばらく、アスカもエヴァに乗ってないし』 テスト駆動を完了させて、レイが拘束台に零号機を戻すと、 エントリープラグが外されて、少女は解放された。 駆け寄ったアスカが、まだ充填液でびしょ濡れのレイを手助 けしてキャットウォークにまで出してやった。 「ありがとう…」 レイがアスカの手をぎゅっと握りしめ、優しい笑顔を浮かべ た。 「な、なんでもないってば」 アスカが少し顔を赤らめた。そして二人は歩き出した。 「やっぱり、シミュレータとは全然違ったわ」 二人でエレベータに乗ると、レイがぽつんと言った。 「具体的にどこが悪いってわけじゃないけど…やっぱり違う」 「言いたいことはわかるわ」 頷いたアスカだったが、自分が今でもまだエヴァに乗り込ん だ時にしばしば精神的なパニック状態に陥ってしまうことはわ ざわざ口にしなかった。幸いにも弐号機のパイロットを続けさ せてもらって、パニックになる回数も少しずつ減っては来てい た。 「ところで、碇くんのこと、どう思う?」 エレベータから出て廊下を歩きながら、レイが訊いた。 「変よね」 眉を寄せるアスカ。 「しゃべることも、もうちょっとシンジっぽいのかと思ったら、 全然違うんだもの。ものすごく頭良さそうに見えるし」 「うん」 レイも頷いた。 レイとアスカが司令室に入ってくると、マヤが笑顔で迎えた。 ミサトやリツコ、そしてユイもそばに立っていた。 「二人ともシンクロ率は確実に上がってます」 マヤが言った。 「ごくろうさまでした」 「これでレイもまた待機状態に入ってもらえるわね」 ミサトが頷く。 「パイロットが二人常駐してくれれば、非常事態が起きても心 強いわ」 ユイが不審げな表情を浮かべた。黒髪が襟足にまで伸びてい た。 「もう使徒は撃滅されたと思っていたのに」 ユイが眉をひそめる。 「話はそれほど単純じゃないんですよ」 皮肉っぽくリツコが言った。できる限り穏当な表現を選びな がら、リツコが続ける。 「国連は、異星からの侵入者の可能性に対して、防衛ラインの 最前線にネルフを任じたんです」 「まったく、そんなこと言われてこっちはありがた迷惑で感激 に震えたわよホント」 たしなめるような表情のレイを無視して、アスカがふざけて 言った。 「…よければ二人だけで話したいんですけど?」 ユイがミサトに囁いた。 コクンと頷き、二人は部屋を出た。ずっと背の高いミサトが、 ユイを案内していく。 「あの人の相手をするのって…ミサトさん、たいへんそう…」 マヤがその場の全員の思いを代表するように呟いた。 *** 小さなミーティング室に入りながら、ミサトはユイを見やっ た。ネルフの活動に関する会議用に確保されていた部屋である。 少年の身体をした女性は、その個性を表情から態度から全く 異なるものに変わってしまっていた。手招きしてユイを座らせ たミサトは、その司令官の権威のせいか、無意識にすっとテー ブルの上座に腰を下ろしてしまった。 「どうしたらいいかしらね?」 明るく尋ねながら、ミサトは妙に見慣れている目を見つめこ んだ。 黒髪をかき分けるユイの表情は疲れ切っていた。 「リツコさんとも話をしましたけれど、私のこの状態がたやす く改善できない以上は」 ユイが言った。 「…その解決法を探る間、私の力がネルフの助けになればいい と」 ミサトが苦笑する。 「普通ならその申し出、飛びつきたいところだけど」 「でも?」 眉を吊り上げたユイの顔は、シンジにはあり得ない表情だっ た。 「貴女をネルフにお迎えする前に、精神状態は確認しておかな くちゃならないわ」 あっけらかんとミサトが言う。 「でなきゃ、機密を無防備にさらすことになるもんね」 「まだ私を混乱状態にあると思っているのですか」 怒りを露わにするユイ。 「冬月教授もあれほどおっしゃっていたはず…」 ミサトが手を上げてユイの言葉を止める。 「冬月教授には私もこれ以上はないほどの敬意を抱いてます。 でも冬月教授は心理学者じゃありませんから」 深く息を吸ったミサト。 「…実は、前に一度召喚した外部の専門家がいるの。すでに貴 女と面談する必要な許可を得ているわ。その人のチェックを受 けた上でなら、自由に作業に就いてもらいましょ」 ユイはあまり愉快ではなかったが、やむなく頷いて訊いた。 「で、私が会うことになるその専門家というのは?」 「水野アミ教授」 ミサトが言った。 「明日には、面接のためにここにやって来るはずよ」 「ずいぶん手回しがいいわね」 ユイが目を白黒させた。 「私が目覚めてから、まだ丸一日も経っていないのに」 「以前におおざっぱに説明したら、ずいぶん関心をもって、会 いたがっていたから」 ミサトがさらに言い添える。 「レイに面談したし、アスカとも話し相手をしてくれたわ。二 人とも教授に対しては好印象よ」 「ああ…アスカさんね…」 ひどく申し訳なさそうな顔になって、ユイが訊いた。 「あの傷…、アイパッチも…、あれはエヴァを操縦したせいな のでしょう?」 ふと、ミサトは一瞬めまいを覚えた。 いま自分の目の前に座っているのが、エヴァンゲリオンを最 初に創った人物であることに。そしてその人物が、エヴァがど のように使われたのか、そのことに深い責任を感じていること に気がついたのだった。 ウソを言ってごまかすこともできたが、ミサトはあえて正直 に言おうと決心した。 「…そうです。アスカの傷は、エヴァのフィードバックシステ ムによって受けたものです」 ユイは顔をしかめ、そして告げた。 「あんな事になるとは、思っていなかった」 「厄介が解決すれば、その件についてぜひ力を貸してください」 ミサトが言った。 「同様の現象からパイロットを守る楯を開発するために」 『もちろん、アークエンジェル計画の助力も』 これは、口には出さなかったが。 「心から、力になります」 きっぱりとユイが言ったが、少し躊躇した。 「病院住まいはつらいわ。住むところをお願いできないかしら?」 あまりいいアイデアではないと思ったが、ミサトはあえて言 った。 「実は、私の部屋に、使ってもらえそうな予備の寝室があるの」 言いよどむミサト。 「…その、つまり、前にシンジ君が使っていた部屋なんだけど ね」 少し考えるユイ。 「お邪魔でなければ」 ミサトが肩をすくめた。 「では、我らの仲間にようこそ」 「仲間?」 戸惑った顔のユイ。 『そっか、ホントにシンちゃんの知ってることも覚えてないっ てことなのね』 ミサトは思った。 「別の部屋に、レイとアスカも同居してるの。あ、それとペン ギンが一羽」 「なかなか面白そうなお住まいね」 如才ないユイの言葉。 だがミサトは笑うばかり。 「お隣に会ったらもっと笑えるわよ」
続く
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