不思議の国の瞳子ちゃん
『瞳子ちゃんへ 薔薇の館まで来てください。 イベントがあるので瞳子ちゃんにも手伝ってほしいの。 福沢祐巳』 フンッ、と松平瞳子はそのメモを鼻で笑った。 祐巳さまなんか私の姉(スール)でもないくせに、もう姉気 取り?と瞳子は思ったが、こんなふうに自分を指名するほど必 要とされていると思えば、悪い気分ではない。 まあいいわ、祐巳さまは私に命令してるんじゃなくて、ただ それとなく頼んでいるだけですもの。私はそれに応じるだけ。 なぜって…そんなのわかりませんわっ。だって祐巳さまった らニッコリ笑いながら、私がいないとどれだけ寂しいか、なん て言うんですもの。それに、私は自分の意志なんか持たない完 全無欠の子羊なんですから。 瞳子は自尊心が強く、自分自身すらをも説得してしまう力が あった。 今日こそ祐巳さまに面と向かって言ってやらなくちゃ。私は 山百合会のメンバーじゃないんですから、こんなふうに祐巳さ まが私に命令する権利なんか無いし、これからは今までやって 来たようなつまらない仕事で瞳子の手を煩わせないでください な、って。 もっとも、そのためには薔薇の館に行かなくちゃならない。 祐巳さまの言うとおりに。 私って、何て哀れな子羊なのかしら。 瞳子は薔薇の館の玄関につくと、そこにまた別のメモが貼っ てあった。 『中に入って会議室まで来てください。 …志摩子さんと乃梨子ちゃんがもう仕事を始めています。 祐巳』 その「祐巳」の横には小さなスマイルマークが書いてあった。 誰が見ても(瞳子自身を含めて)可愛らしい以外の何物でもな いだろう。 でも、祐巳さまは可愛いのが天然なだけですわ。瞳子だって そうだと思いますもの。 瞳子は溜息をつくと、階段を上がっていった。 祐巳さまが私にとって素敵だろうと救いだろうと、どうでも いいことですわ。確かに先日の演劇部のゴタゴタでムシャクシ ャしていた時には、祐巳さまが気遣ってくださった。時々は祐 巳さまのロザリオを受け取るべきかしらと思わないでもない。 少なくとも、私は祐巳さまの妹と言われてもいいだけの存在 であるはずなのだし。 と言っても、祐巳さまが実際にロザリオを差し出してくださ ったわけじゃないし、それに、考えなきゃならないほどのハッ キリした示唆があったわけでもありませんし。祥子お姉さまが 祐巳さまに妹を作るようにプレッシャーをかけていらっしゃっ たけれど、それだって祐巳さまにはどうでもいいことなのかも。 祐巳さまはこのまま卒業していって、祥子お姉さまと一緒に なられるんじゃないのかしら…。 それに、細川可南子の存在がありますわ。真美さんによれば、 もう一人の妹候補。祐巳さまがプティ・スールをお選びになる に当たって候補が二人いるって、学校じゅうの噂。 …私と、細川可南子。 でも、私から見れば選択の余地はありませんわ。あの可南子 は異常者ですもの。そうよ、家庭の問題があったからって、あ の女は性根から異常なんですわっ。 幸い、祥子お姉さまが最近、可南子のことに関わってくださ って、あの女も祐巳さまへのストーカーをすることはなくなり ましたけど。 でもあいにく、そのせいで祐巳さまが瞳子に手伝いをお願い していたこともご自分でやる余裕ができてしまったし…。 瞳子は溜息と共に扉を開けた。 「ごきげんよ…ひええええええええええっ!!!」 テーブルの上に横たわった藤堂志摩子が、ブラウスを乱しス カートも外し、乳首を手で弄んでいる。切れ切れの吐息に混じ って、喘ぎ声をもらしている。その股間に顔を埋めているのが、 瞳子のクラスメイトの二条乃梨子。手でそっと志摩子の内太股 を撫でながら、これ以上ないというくらいに秘密の場所に舌を 這わせていた。 瞳子は赤大根のように赤面した。二人は瞳子が入ってきたこ とにすら気づいていなかった。 このテのことが学校内で行われているとは聞いていましたけ ど、でも一年生に広がっている噂とは天と地の差ですわ。そ、 そりゃ、プティ・スールの中にはお姉さまと、その…親密な方 もいらっしゃるわよ。でも、そんなこと誰も触れないお約束だ し…。確かに、志摩子さまと乃梨子との関係は、姉妹(スール) としても度を超して親密ではあるけれど…。 瞳子は二人の親密さに驚いたばかりではなかった。二人が山 百合会の会議テーブルの上で行為に及んでいたことに度肝を抜 かれたのだ。 志摩子の嬌声がますます大きくなり、かすれてきた。一年生 の誰もが入学して初めて志摩子に出会った時に、この人は間違 いなく尼僧になるに違いないと思いこんだ。その事について乃 梨子は志摩子と話し合い、そして志摩子に別の物の見方をわか ってもらおうとした、と話していたことがある。 それが、こういう事だったとは…。 瞳子は後じさりし、物音を立てずにこの部屋を(そして薔薇 の館から)出て行こうとした。だが志摩子がいきなり長い悦声 をあげたかと思うと、身を起こした。 「あら、乃梨子。瞳子ちゃんが来ているわ」 その声に顔を上げた乃梨子の頭に、2枚の大きなペラペラの うさぎの耳が付いていたことに、瞳子は目を丸くした。 乃梨子は不満そうに呻くと、お姉さまの股間から顔じゅうを ベトベトにしたまま起き上がった。 「瞳子ってば、タイミングが最悪なんだから」 「そ、それはこっちのセリフですわっ」 そう呟いた瞳子だったが、自分が何を言っているのかわから ないほどテンパっている。 立ち上がった乃梨子は志摩子の身体の下に手を回し、身を屈 めて志摩子の乳房に口を当ててしばらくしゃぶってから、志摩 子の身体の下から別のメモを取り出した。見るとそこに祐巳の 直筆が書かれている。 『おめでとう瞳子ちゃん、山百合会企画のパパラッチゲーム・ 第1ステージクリア!』 「ぱ、パパラッチぃっ?」 瞳子が叫んだ。 「い、いったい、どういう事ですのっ!?」 「書いてあるとおりだってば」 ニヤッと笑った乃梨子だったが、いきなり軽く喘ぎ声をあげ たのは、志摩子が乃梨子のブラウスの下に両手を差し入れてま さぐりだしたせいだった。 「メモに従って進んで。それとも、もっと見る?どっちにして も、きっと楽しいよ」 瞳子は慌てて部屋を飛びだし、バタンッと扉を閉めた。 自分の息づかいが荒くなっているんのがわかった。それは親 友と白薔薇さま(ロサ・ギガンティア)が激しく愛し合ってい る場面を見たからではなく、脳裏に想像したことの方がより強 い圧迫になったからだった。 瞳子が手にしたメモに目を落すと、他にも祐巳のふざけた字 でこんなことが書いてあった。 『瞳子ちゃん 乃梨子ちゃんがこのメモを渡してくれたと思います。 一階に下りてきてください。新しくできたトレーニング室で 由乃さんが困っているの。 祐巳』 瞳子はメモを凝視していたが、やがて首を横に振った。 もう帰らせてもらうわ、と瞳子はキッパリと思った。 乃梨子と志摩子さまのレズセックスシーンのせいでトラウマ を受けちゃったんだから。…でも、いや、ダメだわ。祐巳さま の前でセックスのことなんか話そうものなら、祥子お姉さまが 激怒して、墓の中に埋められてしまいますわ。 とにかくこの場を離れなきゃ、と、瞳子は階段を下り、玄関 に視線を…。 …その瞬間、階段がいきなり滑り台のように平らになり、瞳 子は一気に下の闇の中に滑り落ちていってしまった。 *** まるで永遠のような落下。確かここは二階しかないはずなの に、と瞳子は自分がヘンな夢を見ているんじゃないかと思い始 めた。 ようやく転がり落ちた瞳子は、そこが運動マットを敷いた床 だったことに息を呑んだ。 まだ祐巳のメモを手に握りしめたまま立ち上がった瞳子は、 ここがメモに書かれていたトレーニング室だと気づいた。そん なに詳しく見渡すヒマはなかったが、その部屋の中央で何が繰 り広げられているかはしっかりと目にした。 まず目に付いたのは由乃さま。古風な英国風の狐狩りスタイ ルに身を固めている。その服が乳房のところだけ切り取られて さえいなければ、瞳子も確かにカッコイイと思ったはずだけど。 ファンシーな黄色の帽子に、黄色の乗馬鞭は黄薔薇のシンボ ルカラー。そしてすでに周知になった由乃さまの「キレた表情」、 ひと目見たらどんな生徒も逃げ出さずにいられない、あの表情。 でも、黄薔薇さま(ロサ・フェティダ)に比べたら、由乃さ まはまだマトモな方。令さまは革のビキニ風…というよりもほ とんど紐のようなものを胸と腰に食い込ませているだけ。口に は金属製のくつわを嵌められ、目隠しをされている。 それに、あ…お尻に食い込む革パンティには、尻尾が…。そ う、尻尾。しかもそれは本物の毛で作られているみたい…。ど、 どうかあれが接着されているだけでありますように…。で、で も、もし別の方法で、お、お尻に差し込まれているなんてこと は…。 そして手には、馬の蹄の形をした手袋…。 瞳子は真っ赤になってうつむいてしまった。 だ、誰だってこんなのを見れば気まずくて当然ですわっ、と 瞳子は由乃の勝ち誇ったような笑顔を見て思った。 「ごきげんよう、瞳子ちゃん」 ひいっ、と振り向いた瞳子の目に、今まであったことのない 女性の顔があった。だが、祥子の家で見せてもらった写真で、 それが前・黄薔薇さまであることは瞳子にもわかった。 前・黄薔薇さまは手にクリップボードを持ち、頭にヘアバン ドをつけ…それ以外は何も身に着けていなかった。 「お目にかけちゃったこの様子について、お詫びするわね」 瞳子はもはや礼儀正しくしてはいられなかった。 「本気でそう思ってるんですのっ?」 不信の眼で叫ぶ瞳子。 「あたりまえよ」 鳥居江利子は澄まして言った。江利子は全裸でありながらも 優雅さと気品を漂わせながら、二人の元にスタスタと歩み寄っ た。 「令、ちゃんと瞳子ちゃんの方をまっすぐ見なきゃダメでしょ」 江利子はそう言って、令のショートヘアをわしづかみにする と、ぐいっと激しくのけぞらせた。こもった悲鳴がくつわを嵌 めた口から漏れた。 「それと、膝立ちして犬みたいにちんちんしなさい」 江利子は令の背中に膝を押し当て、ムリヤリに身を起こさせ た。 瞳子は唖然として見守るばかり。 江利子が後ずさっても、令はそのままの姿勢でいた。乳房を ピンと張りつめさせ、瞳子を真正面から見つめる姿勢。 抑圧された官能。これは江利子さまが引きだしたもの、と瞳 子は思った。 苦痛に身をよじる黄薔薇さま…、きれい。 江利子さまが由乃さまに近づくと、得意げな表情が不安に変 わった。江利子さまは由乃さまの手から苦もなく乗馬鞭を奪い 取った。 「これじゃダメよ、由乃ちゃん。あなたが令をちゃんと完全な ワンちゃんに調教できると思って、私はリリアンを卒業したの に。それに、祐巳ちゃんが私に来て欲しいって言ってきた時っ たら!祐巳ちゃんはもうすっかり立派な2年生だったわよ。そ れに引き替え、由乃ちゃんは?」 由乃さまの目がハッと見開かれ、そしておののいた。 「ご…ごめんなさい、江利子さ…」 江利子さまの眉がピクッと吊り上がった。 「ごめんなさい、ですって?」 「や、約束します、もっとうまくなるって!」 狼狽した由乃さまがそう言ったが、だがその声にはどこかワ クワクしている響きがあった。 首を横に振りながら、江利子さまは由乃さまに歩み寄ると、 その乗馬ズボンを引っぱって床にまで引き下ろした。まったく 驚きませんでしたけど、ズボンの下にパンティははいてなくて…。 「どうやら、本物のしつけってものを思い出させなきゃならな いみたいねえ、由乃ちゃん…」 そして江利子さまは鞭を持っていない方の手を伸ばすと、由 乃さまのお尻を思いっきり平手打ちした。由乃さまは身をよじ らせたけれど、何も声をあげなかった。 …きっと、何も声をあげないのも罰の一部なのね。 瞳子は足を踏み出し、咳払いした。 もう一度由乃さまのお尻を叩いた江利子さまが、こっちを向 いた。 「あ、ごめんね瞳子ちゃん、そうよね。足止めさせて悪かった わ」 江利子さまは令さまの傍に寄って、身を屈めて何事か耳打ち した。令さまはすぐに全身の力を抜いて、まるで何事もなかっ たかのように立ち上がった。…といってもくつわを嵌めたまま ですけれど。そして後ろの方で制服を畳んで置いてあったとこ ろに行くと、また新たなメモを取り出して手渡してくださった。 瞳子は赤面し手目を伏せたが、何とか顔を上げて黄薔薇さま を見上げた。 ああ、令さまはこれからきっと江利子さまに全身を打ちすえ られちゃう…のよねっ? 「あ、ありがとうございますわ」 由乃さまも身を起こそうとしたところに、江利子さまからキ ツイ一撃が与えられる。 「ダメだったら、動いていいって言ってないわよ。私が卒業し たらすっかり退化しちゃったのねえ」 その様子を見つめていた瞳子が、ハッと黄薔薇さまに視線を 戻した。 ウインクする令さま。 瞳子は頭を振り振り、出口に向かった。 由乃さまのお尻が叩かれる鋭い音が、だんだんと遠ざかって いった。 『瞳子ちゃんへ 他のみんなもいい仕事をしてくれていると思います。 瞳子ちゃんも疲れて汗をかいちゃったかな? お風呂が用意してあります。廊下をまっすぐ行った突き当た りの右側です。 祐巳』 本当にこれが祐巳さまの仕業なのかしら、と瞳子は訝った。 祐巳さまは外見通りの純真無垢じゃないとは思っていました けど…でも、これはちょっとヘンすぎ…。 *** 風呂場はさっきのトレーニング室同様に立派な造りで、公衆 浴場と言うよりは温泉のように見えた。 中に誰がいるのだろうか、と瞳子が恐る恐る中を窺った。驚 いたことに、中ではあの新聞部の記者姉妹が湯舟の縁に座って のんびりとくつろぎ、杯まで手にしていたのだった。 山口真美は築山三奈子の乳房をそっと愛撫していたが、今や 瞳子は驚きもしなかった。むしろ、なぜこんな場所が薔薇の館 の中にあるのか、の方に頭を悩ませていた。 「どうしてお二人がここにいるんですの?」 前置き無しで瞳子が言った。 三奈子さまが目を開き、苦笑した。 「当然でしょ、瞳子ちゃん。私たちがこのイベントの目玉なん だから」 真美さまが溜息をついて、三奈子さまの乳首をぎゅっとつね る。 「いいかげんにしてくださいっ」 「そんなことしたって、誰も私を止められないわよ」 三奈子さまが呟く。 「お二人のレズシーンを見せつけられるのはともかく、いった い何が進行中なのか教えていただけません?」 真美さまが瞳子に笑いかけ、申し訳なさそうな顔をした。 「私たちもよくわかってないのよ。お姉さまは自分でいろいろ 想像してたみたいだけど…」 横目で徳利を見やる真美。 「あいにく、お酒が空になるにつれて、ヘンな想像になってい くばかりなの」 「わかったっ、わかったわよ!」 そう叫んだ三奈子さまの振り回した腕が、偶然真美さまにさ わってしまった。…ええ、瞳子の目には偶然でしたわ。 「覚えてなさいよ真美、これは松平瞳子暗殺計画だとか、隠さ れた秘密スクープ作戦とか、あと、瞳子さんに空気を注入して 祐巳さんのダッチワイフにするとか、私が推理するたびにアン タが何て言ったか!?」 顔面蒼白になった瞳子をよそに、真美はまた湯舟の中に身を 沈めた。 「はいはい」 「そ、それともアレよ、これは人類複製計画ね!本物の瞳子さ んはもうとっくに殺されていて、従順なクローン人間が作られ て、祐巳さんへの崇拝をプログラムされているのよ。もちろん クローンは自分が本物だと思いこんでいるんだけど、祐巳さん の手でレズ改造されていて、可愛くって抱き心地のいいエロエ ロな身体に…ひえっ!」 「祐巳さんを冒涜するような淫夢の垂れ流しはやめてください っ。それよりも冒涜するんなら、わ・た・し、にして…」 抱きついた真美さまは甘えたように呻ると、瞳子を見やった。 「うちのお姉さま、酒癖悪くって…。このままだとリリアン全 生徒の誘惑計画を立て始めちゃうかも」 「は、はあ」 瞳子の脳裏にギリシア演劇の合唱隊の歌が大音響で鳴り響き だした。 「それとも、これは聖さまのしわざ!?聖さまは実は卒業した と思わせて大学で機を窺い、あの邪悪な指先とエッチなオッパ イで私たちを虎視眈々と狙っているのだわっ。きっと聖さまの 正体は吸血鬼なのよ!間違いないわ!紅薔薇のつぼみがあんな にあっという間にしっかり者になったのも、卒業寸前に聖さま に誘惑されたからに…」 「人は、紅い瞳の佐藤聖、と呼ぶ、ですか…?」 真美さまが苦笑する。 三奈子さまが千鳥足で立ち上がり、瞳子を指差した。瞳子は 丸出しの裸身から目を逸らした。 「感じるでしょ、瞳子さん!山百合会の魔の手がぞわぞわと頭 の中に忍び込んでくるのがっ!もう…頭がグチャグチャでしょ!?」 頷く瞳子。 「そ、それはもう、とっくに…」 「そうでしょ、それが全ての始まりよっ!」 三奈子さまが独りよがりにうんうんと頷く。 「頭がグチャグチャの次は、だんだんとアソコがグチョグチョ にっ」 瞳子は頭を抱えた。 「うわあ、悪い酒…」 「マインドコントロールが作用しているとしても、私たちだけ はそうはいかないわっ、私は…」 ゴンッ! 大きな水音がして、三奈子さまが仰向けに湯舟にひっくり返 った。後ろにいた真美さまが手にした手桶が、少し凹んでいる。 「ごめんなさいお姉さま、でもこのままだとお姉さまったら、 紅薔薇さま(ロサ・キネンシス)が実は死ね死ね団の手下だと か言い出して、収拾がつかなくなって私も口出しできなくなっ ちゃうから」 「で、祐巳さまのバカバカしいメモがまたあるんですの?」 瞳子は目まいを感じ始めていた。 早いところここから出て行かないと…。 「はいこれ」 真美さまが徳利を一つ退けて、下から取り出した新しい白い メモを手渡した。 「申し訳ないけど本当に、私たちも何が起きているのかわかっ てないの。電話で薔薇の館に来るように連絡を受けて、黄薔薇 さま…じゃない、元・黄薔薇さまにここに連れてこられて、お 酒を渡されて…」 「で、私が来るまでここでお酒を飲みながらレズっていろと言 われたんですの?」 真美が苦笑する。 「そうは言われてないけど、お酒は用意されてたわ。お酒が入 るとうちのお姉さま、誇大妄想とエッチのとりこになっちゃう の。…後の方は私がお相手できるけど」 溜息をついて、瞳子は背を向けた。 「ごきげんよう」 瞳子は素っ気なく言った。 「がんばってね!真相がわかったら、独占記事にさせてね」 だが瞳子はさっさと扉の外に出てしまった。そしてメモを覗 き込む。 『瞳子ちゃん 三奈子さまが悪酔いしてたらゴメンね。でも、あのお酒も必 要悪なの。で、前の方にあるオレンジ色の道具棚からフィル ムをいくつか持って、左の階段を上がって二階にいる蔦子さ んに渡してください。そうしたら事態がもっとハッキリする からね。 祐巳』 瞳子はそのメモをクシャクシャに丸めてしまいたい衝動に駆 られた。だがやはり道具棚に向かうと瞳子はフィルムを取り出 し、一気に二階に駆け上がった。 「どうせこれで終わりじゃないんでしょうけど」 瞳子はぼやいた。 *** 瞳子が階段を上がりきると、パシャパシャとカメラのシャッ ターのリズミカルな音が聞こえだした。 蔦子さまが誰かと一緒にいるらしい…。で、真美さまが三奈 子さまと下の浴場にいたから、瞳子がそこにいると想像できる 人物は一人しかいませんわ。 思ったとおり、中に入ると、そこにいたのは蔦子さま第一の ファンこと内藤笙子。それが制服姿で大型ベッドに横たわって いる。ただ、その制服というのがちょっと「アレンジ」されて いて…。 祥子お姉さまだって、祐巳さまをベッドのヘッドボードにタ イで縛りつけたりしませんわっ。…す、少なくとも、もっと上 手な縛り方を…。 蔦子はカメラを構え、縛り上げられてなすすべもない笙子の 写真を次から次に撮りまくっている。蔦子も裸だったが、今ま であれだけ見せつけられてしまったせいで瞳子にはすっかり免 疫ができてしまっていた。 カメラは三脚に据えられていたので、蔦子は好き勝手に動く ことができた。 蔦子は、瞳子の存在に振り向きもせず、ただ手だけを突き出 してきた。思わず「ひっ」と引きつけてしまった瞳子だったが、 祐巳の指示通りに蔦子にフィルムを渡した。 とはいえ、さすがの蔦子も瞳子の反応にククッと笑った。 「思ったほどパニクってないわね。興味があるから?それとも 飽きただけ?」 「こんな事だろうと思ってましたから」 瞳子は正直に言った。 「だって、校内でカメラを隠そうともしないで、ずっと徘徊し てらっしゃいますもの」 瞳子はいつもの高慢さを取り戻し、蔦子の好きなように言わ せておくことにした。 「面白い話のネタがあるなら好きにしてけっこうですけど、で も、おかしくありません?蔦子さまの写真っていつも姉妹同士 で抱き合ってたり見つめ合ったりしてるのばかりですもの。ま るで何かに取り憑かれているみたいですわ」 蔦子は笑いながら、カメラから目を離した。 「そうね、可愛い女の子たちの写真を撮るのが好きだって事は 間違いないわね。別にそれを隠してるつもりはないけど」 そう言うと蔦子はベッドに歩み寄った。ベッドに縛りつけら れている笙子は、蔦子の乳房を食い入るように見つめている。 笙子と会話したのは数回だったが、この様子は瞳子を驚かせた。 大多数の一年生は知り合いの姉妹同士の性交渉の噂を聞くとシ ョックを受けたものだった。 なのに笙子さんは自ら求めて…。 蔦子が話を続ける。 「でもまさか、私が苦もなくああいう写真をとるのがおかしい って思ってる?肉体関係まで行ってるカップルがいるとかって 噂するけど、でも瞳子ちゃんが想像する以上にはるかにたくさ んいるのよ。みんな知ってるんだから。静かな、人目のつかな い、二人だけの場所を…そこでは全ての抑圧から解放されるの」 蔦子は、まるでネコ科の獣のようにベッドによじ登った。そ の太股にロザリオがガーターのように巻かれていることに、瞳 子は気づいた。笙子もそれに初めて気がついたらしく、拘束か ら逃れようと身悶えした。 瞳子は笙子に何の関心も見せなかった…というか、少なくと も外見上ではそんなそぶりはなかった。 「まだ間に合うわよ、瞳子ちゃん。甘いキスは危険な誘惑の第 一歩、うららかな昼下がりの禁じられたファンタジー。気をつ けないと危険が口を開けて待ってるんだから」 「ここで蔦子さまと笙子さんがレズってる前で座ったまま、こ れ以上ご高説を拝聴しなくちゃならないんですの?」 そう言った瞳子は、逆らう気力を失いつつあった。 だが意外なことに、蔦子が大声で言い返してきた。 「話をわかってくれるんなら、そうよ、答えはイエス!でも瞳 子さんは祐巳さんのことをどう思っているの?学校じゅうのみ んなが瞳子さんの困っているのを見て笑っていた時に、祐巳さ んは助けてくれたでしょ。なのに瞳子さんは、祐巳さんの狂お しいほどの想いに応えてあげてないじゃないの」 「祐巳さまは、そんな人じゃありませんっ!祐巳さまはこんな 事しませんっ!」 瞳子は必死になって叫んだ。 「だいたい、蔦子さまだって口先だけじゃないですかっ!まだ 誰にも自分のロザリオを渡していないくせに!」 蔦子が笑った。 「わざわざ買わなきゃならなかったの。ロザリオを受け継ぐお 姉さまが、私にはいなかったからね。でも、瞳子さんの言う通 りね、私ってひどい女だったわ」 蔦子は笙子に顔を向け、身を屈め、年下の少女の額に自分の 額を触れ合わせた。その声が、真面目になった。 「内藤笙子ちゃん。私のロザリオを受け取ってくれる?瞳子さ んがここにいるからじゃないわ。もちろんシャレや冗談でもな いわよ。笙子ちゃんの手をとって、お姉さまとして導きたいの。 笙子ちゃんが幸せになるのを見たいのよ」 そして蔦子は、笙子の耳に顔を寄せ、瞳子には聞き取れない 何かを囁いたが、それを聞いた笙子が顔を真っ赤にしたことか らすると、その内容は容易に想像ができた。 蔦子が身を起こした。 「雰囲気は違うけど、これも紅薔薇さま(ロサ・キネンシス) の言う『聖なる儀式』よ。私のロザリオを受け取って」 笙子は蔦子を見上げた。その目には純粋な愛があふれていた。 「お受けします」 蔦子は長い脚と、そこに巻いたロザリオを見せつけた。 「じゃ、取って」 ビリッと裂ける音がして、笙子を縛めていた拘束がついに破 れた。笙子が蔦子の無依に跳び込み、蔦子は仰向けにのけぞっ て倒れながら笑っていた。そして、まだ部屋の中にいた瞳子に 気づいた。 「あ、と言うわけだから、ここからは二人っきりにさせてね」 まったく、こっちだって残ってレズセックスを見せられるの はまっぴらですわ、と瞳子は思った。 「メモはないんですの?」 喘ぎ声をあげた蔦子が、はっと我に返った。 「そうそう、祐巳さんのメモね。三脚の下よ。カメラを動かし ちゃダメよ!さもないと真っ二つにねじ切っちゃうんだから」 瞳子は三脚に近づき、まるでロボットのような動きでメモを とった。瞳子は部屋を出ると、しばらく壁にぐったりもたれか かった。それから、メモを見た。 『瞳子ちゃん フィルムを届けてくれてありがとう。あと一息!まっすぐ移 動して、右側の6番目の扉の「遊戯室」に行けば、瞳子ちゃ んが探すものの答えが待ってるよ。笑顔を忘れずにね! 祐巳』 瞳子は首を振った…が、途中でやめた。さっき蔦子と交わし たやりとりが心の中に甦ってきた。 他人の考えなんかお見通し、というのが瞳子の自慢だった。 乃梨子も笙子も、瞳子にとっては与しやすい相手、まして祐 巳さまはこの学校でいちばん容易い相手、と瞳子は思いこんで いた。祐巳さまの考えていることなんか、顔に全部出ている… と。 それが、間違っていた? さっきよりもノロノロと、瞳子は次の目的地に移動を開始し た。顔に苦悩を浮かべたまま。 *** 「フルハウス!キングと5よっ!」 「おあいにくさま。…クイーンのフォーカード」 「そんなあっ、いったいそのツキは何なのっ?」 「はいはい加東さん、つべこべ言わずに脱いで」 正直、もう今となっては驚くこともない。 瞳子が部屋に入ると、普通より大きめの、ミニカジノのよう なテーブルが設えられていた。そのテーブルを囲んでいた四人 のうち二人は見覚えがあった。 …前の紅薔薇さまと白薔薇さまである。 あとの二人は知らなかった。一人は黒縁の眼鏡に、白のブラ とパンティ以外は、たった今シャツを脱いだので何も着ていな い。 もう一人は穏和な外見の女性で、完璧な着こなしの服装のま ま、目の前にはテーブル上にあるチップの半分が積んであった。 残りの半分は当然、前・紅薔薇さまこと水野蓉子の前、であ る。 それはつまり、前・白薔薇さまこと佐藤聖は素っ裸であると いうことに他ならないわけだが、それでも今の瞳子を驚かせる ことは無かった。 「あ、親愛なるゲストのご登場だよ!瞳子ちゃ〜ん、こっちに おいで!」 ああ、ただじゃすまないですわ…! 瞳子は前・白薔薇さまの噂は聞いていた。そのあまりの不品 行に「懲戒」を食らったというその女生徒は、しかし実際には あまりそんなふうには見えなかった。 卒業した後でもみんなが佐藤聖という女性のことを学校の六 十年の歴史上最強の色魔だという評判は消えなかった。 これがゴールなら、祐巳さまは瞳子をあの野獣への生贄にす るおつもりですの?いつものほほんとしているくせに、それが 残酷なほどって言う人もいたけれど、それは本当だったのです ね。これはあんまりですわっ。 だが瞳子の足はなぜか自然に前に進んでしまっていた。身体 が言うことを聞かなくて、まるで炎に飛び込む蛾のように佐藤 聖の元に引き寄せられていた。 陽気で、しかし舌なめずりする炎の中に。 テーブルのそばまで来ると、聖が瞳子をその胸に抱き寄せて、 ぎゅっと抱きしめた。 「お疲れさま、瞳子ちゃん!」 瞳子は身じろぎしたが、何も言わなかった。 聖はニヤッと笑った。瞳子の目にはその笑みが中年オヤジの ように見えた。 「でも、昂奮しちゃったでしょ?大したことない?それでもO K、お景さん以外は誰も気にしないから。お景さんも今日のう ちは気にならなくなると思うけど」 「アンタとベッドインするつもりはないからね」 眼鏡の女性(これが景さんという人なのだろう、と瞳子は思 った)が、ふくれっ面で言った。 「ふふ〜ん、で、瞳子ちゃんの今のご気分は?」 瞳子は口を開きかけたが、すぐにキュッと口を閉じ、顔を真 っ赤にしてしまった。 私、感じてる。ううん、忘れていたんですわ。信じられない くらい昂奮してる自分を。 いつから?ああん、もう!自分のことばかり考えてばかりで、 自覚すらしていませんでしたわ! 聖はニヤニヤ笑った。 「さて瞳子ちゃん。私たちがやっていたゲームについて、少し 訊きたいことがあるんだ」 呻く瞳子。 「もう、ちょっとは休ませてあげればいいのに!」 景が顔を両手で覆った。他の二人は苦笑するばかり。 「瞳子ちゃんは、このささやかな舞台の主役。ウサギの穴に落 ち、多くのエッチなものを駆け抜けてきた。そしてとうとう、 私たち四人がゲームをしているところにやって来たわけ。何も かも夢みたいだったんじゃない?」 「は、はい」 瞳子が答えた。 「そして、いったいどうして私たちがこんなまねをしているか、 ずっと気になってたでしょ?」 瞳子は目を白黒させた。眉根を寄せる瞳子に、しかし聖はぺ んぺんと瞳子のほっぺたをそっと叩いて、ショックを与えて我 に返らせた。 「考えちゃダメ、感じるの。で、答えは?」 「みんなで麻雀をやっている」 「やったあ!」 聖は瞳子を抱きかかえたまま躍り上がったので、危うくひっ くり返りそうになった。 「私の勝ちよ!」 「聖、私たちがやってたのはポーカーでしょ。脱衣ゲームにし やすいからって。何度も何度も言ったじゃないの」 「脱衣麻雀でいいじゃん!」 聖が言い張る。 「あなたの昔のネオジオだけにしときなさい!」 蓉子が呻いた。 この人たち、いつもこんな感じだったのかしら、と瞳子は訝 った。 聖はニヤニヤしながらテーブルの上に跳び上がり、景の前で しゃがみ込んだ。 「とにかく、私じゃなくて瞳子ちゃんが言ったんだから、私の 勝ちね」 そう言うと、聖は目を閉じて唇を突き出した。 「ね、ご褒美」 「そんなご褒美の約束はしてません」 そう言って景が椅子を引いてテーブルから離れようとする。 「そんなのダメだよお景ちゃん。キミだけが私のペネロペ、私 のジュリエット、なんだからね。他の誰よりも上の、究極のゴ ールなんだよ」 「それじゃ、私の立場は?」 すねる蓉子。 「腐れ縁っ」 素っ気なく言い放つと、聖は再び景に顔を向けたが、瞳子の 目には景もぽーっとなりつつあるように見えた。 「心の奥底で湧き上がっている燃えるような想いを否定しない で」 「あと、パンティも」 静が笑いながら言う。 「もう、いいから早くイタリアに帰ってよ」 そう言った聖に、景が手を伸ばしたと思った途端、聖の腕を つかみ、乱暴に引っぱってカーペットを敷いた床に押し倒し、 すぐさま上からまたがった。 「あなたの言うとおりだわ、聖。私、ずっと自分の気持ちを自 分で否定しようとしてきたんだわ。ね、お願い、聖!あなたが 他のみんなにしてあげてきたこと、私にもして!私を奪って!」 あっけにとられた聖だったが、すぐにニヤッと笑った。 「ま、ご希望とあらば…」 聖が自ら進んで景にキスした様子に、困惑した瞳子はテーブ ルにもたれかかってしまった。 しばらくして、二人も落ち着いてきた。 「今さら照れて止めたいとか思ってない?」 景がそっと囁く。 「お景さんは、止めたいの?」 聖が言う。 「…もうっ」 景が苦笑した。そして二人はまた激しいキスを交わした。 その時瞳子は、蓉子がそっと自分の手をとった事に気づいた。 蓉子は瞳子を扉の前にまで連れて行くと、メモを瞳子の手に押 し付けた。 「あんなふうに心の抑圧を解放しちゃうのが聖の得意技なのは わかってるから、しばらくはあの調子ね。でも安心して、何事 も実際に体験よ。私も静さんもどうせすぐにあの仲間入り。そ うなったら瞳子ちゃんはここを出て、ラスボスのところに行け ばいいわ」 「あの、蓉子さま…、申し訳ありませんが、あなたと『体験』 はできません」 蓉子が目を白黒させた。 「あら、私って魅力無いのかしら?…それとも、妬いてるのか な?聖にしてほしいの?加東さんというピアノを弾いてるみた いに」 「い、いえ、そういうのじゃ、全然、ないんですの。よ、蓉子 さまは間違いなく素敵な方だとは思いますわ。でも、これは純 粋に、私自身の意地ですの」 ピンと来ない蓉子だったが、すぐに頭の上の電球が灯った。 「ちょっと待っててね。確か隣の部屋に…」 蓉子は瞳子のことを静に任せると、弾むように出て行った。 静はニコニコして瞳子を見守っている。 「時間はかからないわ。別にお仕置きとかじゃないわよ、たぶ んね。他の人からはそう見えるかもしれないけど。正直言って、 もしも、みんなの評判通りにあなたが「自分の立場をわきまえ なきゃ」っていう人なら、私もお節介したいもの。それと、福 沢さんはそういう人じゃないわよ」 「じゃあ…祐巳さまはそういう人じゃないけれど、こんなふう に薔薇の館を巨大乱交の場にして私を性的に麻痺させようと誘 惑するようなお方だと?」 「その通り、『強制』じゃなくて『誘惑』っていう言葉がね」 そこに咳払いの声がして、静と瞳子が振り向いた先には、見 慣れない女性が立っていた。 いや、見慣れないというのは間違い。それは水野蓉子に他な らなかった。 しかし蓉子はなぜか…金髪。 「江利子がパーティで使ったかつらが残っていたの」 そして蓉子は静に身を寄せると、首筋にそっとキスした。 「静さんの美的感覚ではアリかしら?それとももっと純真無垢 で言うことを聞いて欲しいかな?だったら私のことを『志摩子』 って呼んでもいいわよ。私も照れずにがんばっちゃうから」 静がその姿に息を呑んだ。 「じゃ、ごきげんよう、瞳子さん。お茶も出さなくてごめんな さいね。でも、マッド・ティーパーティだもの、かまわないわ よね」 そう言うと静は、蓉子の手をとって壁際の長椅子に歩み寄っ た。 蓉子と静、そして聖と景(今はもう全裸)を、瞳子は交互に 見やった。 瞳子は深呼吸した。鼻の奥が熱くなっているのがわかった。 次の部屋にこそ祐巳さまがいてほしい、と瞳子は願った。 *** 瞳子は廊下の壁にもたれかかり、大きく息をしながらメモを 見た。 『紅い扉の奥で、瞳子ちゃんを待っています。 貴女の、祐巳』 瞳子は顔を上げた。廊下の突き当たりに赤一色の扉がある。 ハートの文様でもなく、ビスケットの扉でもない。 あの奥に…何が? 瞳子にはこれ以上考える余裕はなかった。 静さまは、他の人だったら「お仕置き」だと思うかもしれな い、っておっしゃってた。それってどういうこと? 祐巳さまは瞳子の無遠慮な批判を浴びても平気な顔をしてい たけれど、その仕返しをしようと?もしそうなら、何てひねく れた復讐なのかしら。 いいえ、祐巳さまへの先入観が間違っていたとしても、これ はやっぱり常軌を逸していますわ。他にも誰かいるのかも…。 いきなり、瞳子はその扉を開けるのが怖くなった。 誰がいるのか、瞳子にはわかったのだ。 瞳子は扉の前まで来て、ドアノブに手をかけた。昂奮は去っ ていなかった。…それどころかもっとひどくなっていたが、そ れは恐怖感の裏返しだった。何とか呼吸を整え、必死で過呼吸 になりそうなのを抑えた。 ノブを回し、瞳子は中に入った。予想通りだった。 部屋の奥にいたのは、小笠原祥子。これ以上ないほどの最高 に優雅な笑顔を投げかけている。 瞳子は何もかも祥子をお手本にしてきたが、しかし瞳子がい かに女優だとしても、この年上の美女の流儀をマスターできて はいなかった。 祥子が手招きした。 「いらっしゃい、瞳子ちゃん」 瞳子は息をゴクッと呑んで、奥に歩いていった。 部屋は金の壁紙が貼られ、真っ赤なベルベットのカーテンを 四方の壁の中央を覆うように掛けてあった。さらに別のカーテ ンで仕切られたところが右側にあったが、瞳子はほとんど気に かけなかった。瞳子の目は左側にある大きなテーブルとベッド に引き寄せられていたからである。 「ベッド」…というのはおそらく正しくない。どちらかと言え ば病院の診察台のような背の高いベッドにクッションを敷き詰 めたもの、と言った方がいい。その上を簡単に破れそうな薄い 白地の紙で覆っている。 その横には…診察用になりそうな場所があけてあるが、どん な医者でも十中八九はそんな診察を引き受けそうもない。 と、瞳子は無垢な乙女じゃありませんわ。あ、いや、その処 女ですけど、セックスのことぐらいは知っていますもの。女の 子ティーン向けのエッチな雑誌だってみたことありますわっ。 私だってエッチになれっていうなら我を忘れることぐらい…。 だがテーブルの上に山ほど置いてある様々な道具…。その半 分は瞳子にもよくわからないものだった。だがそれらがいわゆ る「大人のオモチャ」であるということは、残りの半分から判 断しても間違いなさそうだった。 目隠し、さるぐつわ、首輪、そして三種類の形のバイブレー ターが、清潔に並べて置いてある。その横に小さな金属球がい くつかと、両端に足首拘束具の付いた長い金属棒、そして九尾 鞭。 これじゃ、静さまのおっしゃっていたのは嘘だったとしか思 えませんわ。明らかに「お仕置き」以外のなにものでもないで すものっ。 扉がバターンッと不吉な音を立てて閉じた。 ハッと我に返った瞳子が見たのは、すでに制服を脱ぎ捨てて、 まるで同じ生地から仕立てたのかと思うほどにカーテンの色と 同じ、鮮血のように真っ赤なスリップをまとった祥子の姿だっ た。 瞳子はヘンな意味でガッカリした。祥子には革が似合うのに、 と思った。 瞳子は自分自身の全身が剥き出しになったかのように感じな がら、目の前の様子を茫然と見つめていた。もしも今までさん ざんレズセックスシーンを見せつけることで瞳子を麻痺させる のが祐巳の作戦なのだとしたら、それは成功していた。 祥子はテーブルに歩み寄り、九尾鞭を手にして素早くビュッ と振った。 「この鞭はね、山百合会に代々受け継がれてきたものなのよ」 淡々と言う祥子。 「先代のお姉さまが初めてこれを私に使った時、その痛みを学 ぶとともに、その歴史の重みを学んだわ。そして私も、祐巳を 初めてこの部屋に連れてきた時に、これを使ったわ」 ニッコリ笑った祥子だったが、その目ははるか遠くを見てい るようだった。 「あの日は何て素晴らしかったかしら」 満足そうに首を振ると、祥子は瞳子に視線を戻した。 「瞳子ちゃん、あなたが私の愛する妹にどんな態度だったか見 せてもらったわ。あなたに手を差し伸べようとした者へ、あな たが投げつけた冷たい言葉と刺々しいふるまいをね。頑固すぎ て自分の目の前にあるものすら見えないのね!」 荒々しい祥子の声に、瞳子は後ずさった。 「祐巳があなたに与えたものから、どうして目を背けるの!」 祥子が呟く。 瞳子は悟った。祥子がありとあらゆる意味で祐巳のことを深 く愛していることを。もし誰かが瞳子のように祐巳の心優しい 申し入れを拒んだとしたら、それは祥子の愛を否定したも同然 なのだ。 祥子は瞳子をベッドに招いた。 「松平瞳子。あなたは自らにふさわしい罰を受ける覚悟はある?」 ゴクッと息を呑んだが、瞳子は前に進み出た。これが正しい 行動かどうかは自信がなかった。もしも逆鱗に触れれば、自分 の未来に無数の苦痛が待ちかまえていることは想像できた。し かし、それはどうでもよかった それじゃ、どうでもよくないことって?もう、なるようにな れですわ!こうなるのが必然なら、それが正しいことだったん でしょうからっ! 「罰を受け入れますわ」 瞳子の言葉に、祥子が微笑んだ。 だが、瞳子が続ける。 「でも、祥子お姉さまからではありません」 瞳子は肩をそびやかした。 「これが代々の伝統というなら、私に罰を下すのは祐巳さまで あるべきですわ。それに、もしこれが私の過ちで引きおこされ た罪ならば、被害者は祐巳さまなのですから、どんな罰かは祐 巳さまがお決めになるべきです」 そこでいったん唇を舐め、瞳子はついに決断を下した。 「それに、これが私の初体験になるのでしたら…お相手は、ぜ ひとも祐巳さまに…」 祥子はムッとしたが、逆上するほどに怒っているようには見 えない。 瞳子に歩み寄ってくる祥子に、瞳子は下唇を噛んだ。 「お姉さま…約束ですよ」 反対側から声がした。さっき瞳子はこちら側にあったSM用 品に気をとられて気づかなかったが、カーテンで仕切られた向 こうに四柱のベッドがあったのだ。 自分の動悸が速くなったのが、瞳子にはわかった。 祐巳さまが、やっぱりここにいらっしゃる。 汗が少し流れるのがわかった。 ベッドの方を向いた祥子は、いつも見せている威厳に満ちた お嬢さまとは全く思えない顔だった。実際、今の祥子は大好き なオモチャを取り上げられた幼い子供のような顔になっていた。 「でもっ…お仕置きが!」 さあっ…とカーテンが開き、祐巳が歩み出てきた。首にロザ リオを掛けた以外、身には何もまとっていなかった。 「お姉さま、私はいつだってお姉さまを愛しています。でも、 今はお姉さまの時間じゃありません。私自身が美しい想い出を 作る時間なんです」 最上級のふくれっ面をしている祥子に、祐巳が微笑みを浮か べて歩み寄った。 「お仕置きをさせてくれるって言ったじゃないの、祐巳!」 「いいえ、そうなるかもしれないって言っただけですよ。最悪 の場合には、って」 祐巳が瞳子に輝くような笑顔を見せた。その笑顔は、たとえ 祐巳が全裸でなくても、いつだってひと目見ただけで膝の力が 抜けてしまうほどのものなのだ。 「だけど、瞳子ちゃんはちゃんとゲームをこなしたんだもの。 そんなことできませんよ」 瞳子に近づく祐巳。 「私、感動してる。そして、瞳子ちゃんの初めての人になれる のが嬉しいの」 祥子はふうっと溜息をつき、脱いだ制服を取りに行った。 「少しはお仕置きしてもいいと思うけど」 祐巳が振り向いた。 「ご希望なら、週末にでも私がお相手しますってば。昔を思い だして素敵ですもん」 瞳子の目からは「情欲に満ちた」としか描写できないような 顔を祐巳に向けて、祥子は無言で部屋を出て行った。 全裸の祐巳と、それに向き合う瞳子を残して。 差し出した手は拒まれず、祐巳は瞳子を巨大なベッドに導い た。ただのベッドで、寝台のどこにも手錠や拘束具などは、瞳 子の目には見あたらなかった。もしも祐巳が婦人警官なら、魔 法に掛けられたように逮捕されてしまうだろう。 祐巳が腰掛けた。 「私もね、初めてこの部屋を見た時には悲鳴をあげて逃げ出し そうになっちゃったの。怖くなっちゃって」 ベッドの縁に立ちつくしたままの瞳子に、祐巳はニッコリ笑 いかけた。 瞳子が自分の制服を指差した。 「あの、私も…?」 「あ、私が」 そう言って、祐巳は瞳子のタイの結び目を手にした。そして、 瞳子の服を脱がしていった。それだけでまるで性交しているか のようだったが、祐巳は瞳子の肌に決して触れようとはしなか った。この全宇宙の中に瞳子だけが存在しているかのように、 祐巳は瞳子に集中していたのだった。 それが瞳子には信じられない事に思われ、祐巳の隣で全裸に なるという居心地の悪さを全く無視する助けになった。 瞳子はようやく、震えながらベッドに腰掛けた。 祐巳は瞳子の隣に座り、両腕を回して、のけぞるように倒れ たので、二人は顔を向けあいながら横たわった。 「ここはね、今世紀初めのこの学園創設までさかのぼる儀式の 場なの。いつもこんなに手の込んでいるものじゃないし、外の 目からいつもは隠されているの。でも、ゴールはいつだって同 じ。女の子同士で身体と心の絆をより固く結びつけるのよ」 祐巳が微笑む。 「これって、祥子お姉さまの受け売り。ホントは私もすっかり 混乱しちゃって」 瞳子はキョトンとした。 「混乱?」 クスクス笑う祐巳。 「誤解しないでね。祥子さまから性の悦びを教わった時、私ほ んとに嬉しかったの。瞳子ちゃんが想像する以上に。おかげで 祥子さまにも同じように気持ちよくなってもらうこともできる だけじゃなくて、聖さまがどれだけ大切な人だったか卒業する 前に見せることができたし、蔦子さんが笙子ちゃんとどんな関 係を築いたらいいかってアドバイスすることもできたの。セッ クスってすごいね」 そして祐巳は瞳子の耳に囁いた。 「…私ね、けっこう上手なんだよ」 瞳子は思わず息を呑み、身を寄せたために、祐巳にぎゅっと しがみつくようになった。 「でもね、瞳子ちゃんとはそんなの必要ないね」 祐巳が続ける。 「マリア様だってわかってくださるよ。あんまり何もかも見ら れたくないけどね。この学校には、愛を示すために必要なもの が何でもあるの」 祐巳は手を上げて、自分のロザリオを持ちあげ、そっと首か ら外した。 「このロザリオはね、祥子お姉さまからいただいたものなの。 お姉さまが下さったどんな高価な物よりも、私にとっては大切 なもの。私たちの愛の証。女の子同士で互いに誓い合う愛の証 なの」 祐巳が大きく、震えながら息をした。緊張しているのは、そ して昂奮しているのは自分だけじゃなかった、と瞳子は思った。 「瞳子ちゃん、このロザリオを受け取ってくれる?私の妹にな ってくれる?瞳子ちゃんを導き、華麗で素敵で優しい女性にな る手伝いをさせてくれる?そして、瞳子ちゃん自身の心の壁か ら瞳子ちゃんを連れ出してもいいかな?みんなに瞳子ちゃんが 輝く様子を見せちゃってもいいかな?」 瞳子は喉を詰まらせたまま、目に涙を溜めた。返事をするの に時間がかかった。 祐巳さまの言うとおり。これはセックスのことじゃない。祐 巳さまに、隠し続けてきた自分を見ていただくの。冷たい視線 を、刺々しい言葉を突きつけてきた、その理由を。祥子お姉さ まにすらも隠し通してきた、心の中に負った傷を、祐巳さまに だけ見ていただくの…。 祐巳を見ると、その顔には確信が浮かんでいる。何ヶ月も否 定し続けてきたものを瞳子に認めさせた、という確信が。祐巳 だけが他の誰よりも瞳子を癒すことができる、という確信が。 「お受けいたしますわ」 瞳子は、かろうじて言った。 「お姉さま」 祐巳の肩がかくっと落ちたのを見て、祐巳が信じられないほ ど緊張していたのが瞳子にはわかった。そして祐巳はロザリオ の十字架を手にすると、ちょんと唇に挟み、そのまま瞳子にキ スをして、その十字架を瞳子の口の中にそっと押し入れた。 喘いだ瞳子が、その十字架を歯で挟むと舌で巻くようにして 祐巳の口に戻そうとした。だが祐巳はとっくに顔を離し、その ままビーズを瞳子の首に掛けてしまった。 ロザリオはこうして完全に瞳子のものになった。 そして、十字架がポロッと瞳子の胸に落ちた。おかげで瞳子 はきちんと祐巳にキスできるようになった。今度は祐巳が喘ぐ 番になって、瞳子の肩を抱き寄せると、さらに濃厚なキスを返 した。 しばらくたって、ようやく二人は顔を離した。 「もっとしたいの、瞳子ちゃん。もっともっと、瞳子ちゃんに 見せたいの、瞳子ちゃんに話したいの、もっと…」 瞳子はニッコリ笑って、昂奮したり神経質になりながら話を しようとする祐巳の様子を愉快そうに見つめた。少なくとも、 今の瞳子はそんな祐巳を誤解する余地など全くなかった。 「いいんですよ、祐巳さま。私、今夜はどこにも行きませんか ら。それに…」 その時瞳子は、部屋の向こうに使われないままだったテーブ ル上を一瞥した。 「まだ祐巳さまから正式にお仕置きを受けていませんわ。祥子 お姉さまをガッカリさせたくないでしょう?」 祐巳は笑った。大きな、遠慮のないその笑い声は、きっと佐 藤聖さま譲りね、と瞳子は思った。 「あれは必要ありませんって祥子お姉さまに言っちゃったのに、 あれを全部瞳子ちゃんに使ったりなんかしたら、きっと祥子お 姉さま、見たこともないくらいむくれちゃうよ」 そして、祐巳の顔から聖笑いが消え、再び愛情に満ちた笑顔 が戻った。 「あれを使うような時間はたっぷりあるよ。これから何ヶ月も、 何ヶ月も。でも今は、私が欲しいのはありのままの瞳子ちゃん だけ」 祐巳が身を屈めて、瞳子の乳首をそっとくわえて歯を立てる と、瞳子が嬌声を上げた。 そして瞳子は、自分の全てを「お姉さま」に捧げるために、 仰向けに横たわった。 *** 祥子は溜息をついて、苛立ちながら階段を登っていた。 そりゃ、祐巳はようやく念願のゴールにたどり着けて有頂天 なんでしょうけど、私はまだ…満たされてないのに! 他のみんなのところに行こうかとも思ったが、仲間はずれに なった自分の気持ちをわかってくれるのは蓉子だけだろうし、 その蓉子もどうやらあの声では「忙しい」らしい。 それに、完全に自分の意のままになる相手がいないというわ けではない。 いとわずに身を尽す、ゲームの追加特典として用意された相 手が。 階段の一番上、緑の扉を開けて、祥子は中に入った。 「可南子ちゃん。ひざまずいて足をお舐めなさいっ」
完
*大神官さんの提案により訳語を修訂しました。ご助言に感謝し ます。(06/12/06)
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